71.アリアの父
広い公園の中――イリスは一人、歩いていた。
アルタ達と別れて、アリアを誘い出すために一人で行動をしているのだ。来るかも分からない、親友を待ち続ける。
すぐ近くに人が通れば、イリスは離れたところまで移動していく。
……万が一アリアがやってきた場合、すぐに戦闘になる可能性もあったからだ。
(私は、もう迷わない)
イリスは心の中ではそう決めている。アルタと話して、イリスの決意は固まった――そう思っているが、少し手に汗をかいているのが分かる。
どうしても緊張してしまっている――どこまでも、自分はダメな人間なのだと思い込んでしまうほどに。
アリアには迷いはなく、イリスには迷いがある。その『迷い』こそが、今のイリスとアリアに決定的な差を生み出しているのだ、と。
(先生も言っていた……アリアが本当に敵になったのなら、私に手を引けとは言わないはず。そこに、可能性があるのなら――っ!)
その人影は、迷うことなくイリスの下へとやってきた。
少し離れたところから、ローブで顔を隠したまま真っすぐに進んでくる。
他に誰か一緒にいる様子はない――遠くから見ている可能性はあるが、明らかにイリスに向かってその人物はやってきた。……本当に、姿を現したのだ。
「……アリア」
「イリスはやっぱり、そういう人だよね」
察したように、アリアが言う。
手を引けとアリアに言われたが、イリスはまだエーナの護衛に就いている。それも、アリアは把握しているのだろう。
それでも姿を現したのは、きっとまだアリアにも話をするつもりがあるからだ。
イリスはそう確信した。
「手を引けって言われただけじゃ、無理に決まっているでしょう」
「……うん、知ってた。でも、そうしてほしい」
「その前に、理由を聞かせて」
「……イリスに話すことはないよ」
ちらりとアリアが周囲を確認する仕草を見せる。
イリス以外に誰かいないか確認しているのだろう。少し離れたところにアルタ達が待機しているが、少なくとも見える距離ではない。
アルタも規格外の強さを持つが、ここまで離れた状況までは把握できていないだろう。……ある程度時間が経てば、ここにアルタもやってくることになる。
そうなった時、きっとアリアはイリスの前から姿を消すだろう。
その前に、説得する必要がある。
「そんなこと、言わないでよ。私はアリアを家族だと思ってるの」
「……わたしは、そんな風に思ったことないよ」
「っ、それでも、私はあなたを大事に思ってる」
「関係ない。わたしはもう、イリスのことなんてどうとも思ってない」
「……だったら、どうして手を引けなんて言うのよ。本当にどうも思っていないのなら、今すぐ私と戦って――それで、殺せばいいじゃない。あなたの邪魔になるのならね。何を言われても、私はこの件から手を引くつもりはないわ」
「……イリスは本当に分からず屋だよね。昔からそう」
アリアが小さくため息をついて、懐から《黒い短刀》を取り出す。
イリスはそれを見ても構えない。アリアの表情は真剣だ――イリスですら、アリアの殺気が本物であることを感じている。
「構えて。この件から引かないのなら、わたしはあなたを、殺す」
「……やってみなさいよ」
「!」
イリスもまた、表情を変えずに答える。拳を握り締めて、一歩前に出た。
伝えたいことははっきりと伝える――今が、そのチャンスだからだ。
「あなたが本当に私のことを殺せるのなら、殺せばいい」
「戦わないで、死ぬつもり? 《最強の騎士》になるんでしょ?」
「ええ、そうよ。私が目指すのは、この国で最強の騎士になること。その想いに迷いはないわ」
「だったら――」
「でも、そうなるために私はあなたと戦うんじゃない。本気で戦ってあなたを止められるのなら、私は今度こそそうするわ。けれど、今は違うのよ。そんなことしたって何も解決にならないわ。だから……お願いだから、全部話してよ。私は、どんなことがあってもあなたの味方よ」
「……そんなこと、聞いてない」
アリアの表情がわずかに揺れる。長い間、一緒にいたから分かる。
初めて、アリアが動揺を見せた。イリスの迷いのない言葉に、アリアの『本心』が垣間見えたのだ。
イリスはさらに一歩、前に進む。
「聞いてなくたって言ってやるわよ。私はあなたを連れ戻す。あなたは家族だから」
「違う。わたしはあなたとは……違う」
「違わないわよ。あなたは私の親友で、家族なの。私にとってはそれが本当――」
「勝手なこと言わないでっ」
初めて、アリアが声を荒げた。
両手に短刀を構えて、イリスに殺意を向ける。
イリスは怯むことはしない。一歩前に進むと、アリアが後ずさりをする。
アリアは動揺した様子で、静かに言葉を続ける。
「お願いだから、もう手を引いて」
「それはできないわ」
「……わたしを家族だと思うのなら、お願い」
「っ! そんな顔してるあなたを放っておけるわけないでしょう。大丈夫だから、ね?」
イリスは諭すように、アリアに話しかける。
アリアの殺意は消えることはなく――遂にアリアが地面を蹴って距離を詰めた。イリスの首元に向かって短刀を突き立てる。
イリスはそれでも構えない。ピタリと、アリアの短刀がイリスの命を奪う寸前で止まる。
「……っ」
「アリア」
「何で、イリスは言うこと聞いてくれないの……」
アリアの表情は、今にも泣き出しそうになっていた。
そんな悲痛な表情を浮かべたところは見せたことはない――それだけ、彼女が固い決意をしていたことが分かる。
イリスの方が、その決意を上回ったのだ。
「私も、それにシュヴァイツ先生もいる。あの人も、アリアを信じて待ってくれているのよ。だから、ここには私一人しかいない」
その言葉が本当であることは、状況が裏付けている。
敵が潜んでいるかもしれないというのにイリス一人――そんなことをさせるということは、明確にアリアと接触しても問題ないと思っているからだ。
アリアがイリスの喉元から短刀を下ろすと、視線を逸らす。
どうするべきか、悩んでいる様子だった。
だが、このままならアリアを連れ戻せる――そう、イリスが確信した時だ。
「やれやれ、困った子だねぇ……ノートリア」
「ッ!」
アリアの背後から、その声が届く。
ほとんど気配も感じさせることなく、現れたのは四人。
三人はフードに仮面と、以前襲ってきた暗殺者を思わせる風貌。そしてもう一人は、白衣に身を包んだ白髪の男。
お世辞にも健康的とは言えない顔つきで、にやりと笑みを浮かべる。
「結局は説得に失敗して絆されちゃうようじゃ、困るんだよ」
「……あなた達、《影の使徒》ね」
「おや、そこまでバレているのか――いや、むしろエーナ・ボードルはそれを見越して誘ってきていたのかな? ははっ、そうだとしたら少し困ったことになったなぁ……。もしかして、殺しても意味がない、とか?」
色々と察したように一人で言葉を続ける男。
イリスは懐にしまった《信号弾》を放つ準備をする。
敵は四人――一人一人が、相当な実力者だ。
イリスが単独で相手をするのはさすがに難しい、そう判断していた。
その時、アリアがイリスを庇うように立つ。
「ま、待って。イリスは説得する、から……!」
「そんなに怯えなくても大丈夫さ。別にその子を殺すつもりはないよ。むしろ利用させてもらおうと思ってね」
「利用……? 私を?」
「ああ、そうさ。君も相当な実力者だが……困ったことにもう一人。情報によると、アルタ・シュヴァイツだったか。この子らが少し立ち合ったようなのだけれど、どうにも強すぎるみたいでね。だから少し、作戦を練り直そうと思うんだ。上手くいけば、君でも『戦争』を起こせるかもしれないしね」
「……! やっぱり、それが狙いなのね」
「ふぅむ、中々にあの娘は食えないな。こちらが狙っているつもりで狙われていたとは――だが、だからこそ今が好機だ。ノートリア、イリスを捕まえなさい」
「……っ」
「アリア、従ったらダメよ」
「従うな、か。何の権利があってそんなことを言う?」
「権利……ね。あなたがクフィリオ・ノートリアだとして、それでもアリアが従う理由があると言うの?」
「っ! ほう、そう来たか」
イリスの言葉に、男は少し驚いた表情を見せる。
今度はイリスがアリアを庇うように前に立った。
アリアは迷っているようだった――それでも、イリスはアリアのことを信じている。
ここでイリスが信じなければ、きっとアリアを連れ戻せないからだ。
「わたし、は……」
アリアが言葉を詰まらせる。やがて、力なく両手に握った短刀を下げた。明確に、イリスへの殺意が消える。
殺意までも嘘をつける――それがアリアという少女だ。
それでも、イリスの決意がアリアの嘘を見破った。
イリスは懐に忍ばせた信号弾に手を伸ばすと――
「それを出させるわけにはいかないね」
「っ!」
動いたのは、四人の中で一番小さな子だった。
声からして子供・アルタと同じか、それよりも下だ。
そんな子が、一瞬にしてイリスとの距離を詰める。
右手に持つのは短刀――それを捌くのに、イリスは信号弾を防御に使ってしまう。
「――《紫電》っ!」
言葉と同時に、イリスは距離を取って剣を呼び出す。
紫色の雷を纏い、イリスはその子供と向き合った。
「何もできないのなら下がっていなよ、ノートリア。ここはボクに任せてさ」
「父、さん……」
「! 父さん、ですって……!?」
その言葉を聞いて、イリスは驚きに目を見開く。
アルタと同じくらいの身長だと言うのに、アリアは確かにその少年のことを父と呼んだ。
少年が仮面に手をかけて、その素顔を露わにする。アリアと全く同じ顔をして、にやりと不気味な笑みを浮かべた。
「残念だけれど、少し外れたね。ボクがクフィリオ・ノートリアだ」
少年――クフィリオがそう言い放つ。
短刀を構えたクフィリオと、イリスは向き合った。






