70.待つ者達
《ニロス王立公園》は一面に草原の広がるような印象を与える場所だった。
視察のためにいくつか回って、昼前に僕達はここにやってきた。
馬車と止めて、エーナとメルシェが公園の中心部にある噴水を見学している。
もう何年も前に作られたそれは、王都の名所の一つであった。
夕刻になると、より高く水が浮かび上がり――夕焼けに照らされてできる影が芸術品のように見えるという。昼の時間帯でも、綺麗な噴水として知られている。
そんな場所に三人……イリスの姿は、すでになかった。
(ここまでは予定通り、かな)
当初の作戦通り、必要なところでイリスに単独行動をしてもらっている。
公園内は広く、そして人も少ない――アリアが接触してくる可能性は、十分にあった。
逆に言えば、ここでエーナを狙うために暗殺者が送られてきてもおかしくはない。
ただ、《影の使徒》はあくまで『エーナが暗殺された』という事実を大衆の目に晒したいというところにある。
公園は多少人通りがあれども、昨日の闘技場周辺に比べれば快適なくらいだ。
「アルタ、夕刻辺りにまたここに寄れるか?」
「調整すれば可能かと思いますよ。今日のペースなら夕刻前には終わるでしょうし」
「そうか……なら、夕刻の噴水の風景も見ておきたいな」
エーナはそう言って、また噴水に視線を送る。
昨日とは打って変わって、僕のことをしっかり名前で呼んで話しかけてきてくれるようになった。……打ち解けたというか、認められたというか――そこは何とも微妙なところだけれど。
少なくとも、僕に彼女を守るだけの力があるということは認識してもらっている。
王国騎士であるという事実もすんなりと受け入れてくれた。メルシェも含めて、順応性が高い子達と言えるだろう。
その方が、僕的にはかなり助かるところだ。
「早々に次の場所に向かいたい……と言いたいところだが、イリスはまだ戻っていないか」
不意に、イリスの消えていった方向を見ながら、エーナが言う。
イリスには公園内から出ないようには言ってある。
必要に応じて、信号弾を打って連絡する手筈になっていた。
……アリアに関することで冷静さを欠いてしまう可能性もあったが、昨日話した限りでは大丈夫だろう。
本当なら、僕の力を借りなくても一人でアリアを連れ戻したい――そう思っているのかもしれない。
彼女にとってアリアは、親友であると同時に家族でもあるのだから。
だが、それ以上にアリアの状況が複雑である可能性が高かった。
(何故、アリアさんが敵側についたのか……それはほぼ分かっている。メルシェさんの言うことが本当であればだけど)
ちらりと僕はメルシェの方を見る。
エーナの部下でありながら、《影の使徒》についてよく知る人物――僕は昨日、彼女から細かな事情を聞いた。それが全て真実であるとすれば、この件に何よりも関わりがあるのはメルシェの方なのかもしれない。
エーナも、それを承知の上で今回の作戦を決行しているという。
(僕の周りの子供は色々とすごいなぁ……まあ、僕の言うところではないのかもしれないけれどね)
イリスやアリア、それにエーナとメルシェ――実際のところ、僕から見ればまだ彼女達は子供だと言える。それでも一人一人が考えを持って行動していた。
僕にできることは、彼女達の手助けといったところだろうか。
(まあ、こればかりは団長に賃金を要求するわけにもいかないか。ただの趣味みたいなことになるのかな)
イリスの成長を見守る――特に、今の僕の大きな目的の一つでもある。
彼女がいずれ《最強の騎士》となってこの国を守る存在になれば、その時は僕の役目も終わることになるのかもしれない。……そのためには、きっとアリアの存在が必要になるだろう。
イリスの目指すところに、家族を見捨てるという選択肢はきっと存在しないのだから。
(誰かを守るための強さは、『孤独なこと』よりも難しいけれどね)
《剣聖》であった頃の僕は、孤独であるがゆえに強かった。それは、はっきりと断言できる。
ラウル・イザルフにとって、友と呼べる者は数えるほどもいなかった。
だからこそ、僕は何の憂いもなくアルタ・シュヴァイツとして、一人の騎士として行動できているのかもしれない。
「――イリスが心配か?」
不意に確認するように、エーナが僕に問いかけてきた。
「いえ、彼女は強いですから」
「ふっ、信頼というやつか。羨ましい――ではなく、良い関係だな」
「エーナ様も、メルシェさんとは良い関係を築けているように思いますよ」
「メルシェとは……そうだな。私は私の部下のことを大事に思っている」
「そう思うのなら、ご自身のことも案じていただきたいですね」
「むっ、余計なことを……」
エーナの言葉に、メルシェが澄まし顔で突っ込みを入れる。
その様子に、僕も小さく笑みをこぼす。
エーナの言葉に、僕ははっきりと否定した。……けれど、
(まあ、それでも一人にするのは少し心配だけれどね)
イリスの強さは分かっていても、アリアとの件がある以上、そういう気持ちは出てきてしまう。
そんな風に考えながら、僕達は流れ出る噴水を見つめて、時が来るのを待った。