66.《影の使徒》
夜――宿泊する予定だった宿に、僕達はいた。
警備の騎士は増員して対応することになっている。
すでにレミィルには状況を伝えてある。彼女も、エーナが狙われたという事実があるために早急な対応に動き出していた。
宿の一室にはエーナと護衛のメルシェ、イリスに僕と四人で集まっている。話はエーナが先ほど口にした《影の使徒》についてだった。
「まず今回……私が極力人数を減らしてきたのは奴らを誘き寄せるためだった――その事実は認めよう。私は、お前達を利用した」
「利用したって……」
はっきりとそう告げるエーナに、驚きを隠せない様子のイリス。
エーナ自身、護衛の数を減らすことは僕達の負担になっていることは分かっていたのだろう。
それでもそうしたのは、何か考えがあってのことだろう。……国同士の問題にもなりかねないことだが。
「狙われると分かっていて護衛の数を減らした……それはさすがに危険では?」
「ああ、分かっている。その上で私に何かあれば《王国》側の責任になるだろう。奴らの狙いはそこにある」
「! 《影の使徒》、ですか。暗殺組織か何かです?」
「そんなところだ。帝国としては相当大きな組織になるがな……。私がそれを帝国の敵と呼ぶのにはもちろん理由がある。帝国も一枚岩ではないのでな」
具体的な明言までは避けたが、エーナの言葉から言いたいことは伝わって来る。
エーナを狙うことで国同士の争いを起こしたい者がいるのだろう。
そして、エーナの父が帝国軍の元帥であることを考えると――少なくとも、彼女は父の立場を守りたいと考えているに違いない。
(保守派と過激派……そんなところか)
エーナは王国と帝国の友好関係を結ぶための存在で、そのエーナを狙うことが《影の使徒》の目的なのだ。
「心配をするな――というのは無理な話だろうが、私も準備はしてある。万一私に何かあったとしても、帝国と王国では戦争は起こらないだろう」
「! それはどういうことですか?」
「簡単なことだ。父上には私の作戦は全て伝えてある――まあ、納得してくれたとは言い難いがな」
エーナが僕の問いかけにそう答える。
彼女は自らを囮に、父の敵と戦おうとしていた。……その舞台となるのが、この国での視察ということだったのだろう。
「視察を提案したのはこれが狙いだったってこと……?」
「視察自体は友好関係を結ぶ上で必要なことだった。これは私の独断と言ってもいい。もちろん、王国側はその責任を私に追及することもできる。全て理解した上で私は行動している――だが、迷惑をかけたことは謝ろう」
「いえ、別に迷惑ということは。狙われているのは事実ですし、それを守るのは騎士である僕達の役目です」
「騎士の役目……か。本当の意味で、お前は王国の騎士なのだな」
エーナの言う『本当の意味』というのは、僕に当てはまるのは甚だ疑問ではあるが、少なくともエーナが狙われることが分かっていたとしても、僕のやることは変わらない。
王国の騎士として彼女を守る――それが僕の仕事だからだ。
……今回の場合、そこにアリアが関わってきているということもあるが。
「その、《影の使徒》は帝国の組織、なのよね?」
「ああ、何年も前から存在している。……そう言えば、敵の一人はイリス――お前の知り合いだったらしいな」
「親友よ。私の、家族でもあるんだから……」
エーナの言葉に、イリスがそう答える。
アリアがどうしてその組織に関わっているのか……話を聞く限りでは、アリアの身を保護したのはイリスとイリスの母の二人だという。――アリアは帝国側の人間だった、そういうことだろう。
何らかの理由で組織から離れていたのか、あるいは初めからその組織に従ったままだったのか……そこまでは分からない。
「この件に関しては帝国で何とかする――そう言いたいところだが、そちらにも何やら因縁があるらしいな」
「そうですね。この際、帝国側の問題か王国側の問題かということは考えないようにしましょう。エーナ様はその組織自体を潰したい……そういうことですね?」
「そうなるな」
「僕達はその組織にいるアリアさんを連れ戻したい――そういうことです。必要であれば……というより、そのどういう理由があるかも含めて、僕もその組織とは戦う必要があるでしょうね」
「改めて協力関係を結ぶ、と? 私はお前達に事実を隠していたわけだが」
「ですから、ここからは隠し事はなしにしましょう。もちろん言えないことはあるかもしれませんが、少なくとも《影の使徒》に関わる情報については提供していただければと。そうすれば、こちらも調査できますから」
「……分かった。その点については後でまとめて渡す。メルシェ、準備を」
「承知しました」
後ろに控えていたメルシェが答える。
僕とエーナ達の動きは変わらない。引き続き視察も続けるが、改めてエーナ達を狙う《影の使徒》とも戦う必要がでてきたということだ。……そこに、アリアがいるのだから。
「……」
イリスの表情は浮かないまま、一人部屋を出ていく。
この話では、アリアについても詳しいことは分からなかった。
あくまで組織は、古くから帝国に存在するということしか分からなかったのだから。
そう思っていたのだが、僕のところへとメルシェがやってきて、
「アルタ様、少々お話があります。お時間よろしいでしょうか?」
「構いませんが、どうかしましたか?」
「……『ノートリア』について、です。この件については、私の方からエーナ様に任されているところもありますので」
そんなことを口にする。
……ノートリアは――アリアの姓のことだ。
メルシェの言葉からは、少し違う意味に聞き取れる、そんな気がした。