62.再会
イリスはメルシェと二人、まだ人通りの多い闘技場の付近を歩いていた。
まだこれだけの人がいるということは、中で何かしらやっているのかもしれない。
「中を見るだけならこちらから行きましょう。観客席の方が色々見渡せますし、ここも今は一般開放されていますから」
「承知致しました。それと、イリス様」
「はい、何でしょうか?」
「私にも敬語は不要ですので」
不意に、メルシェがそんな風に切り出した。
エーナが堅苦しいのを嫌ったために普通に話していたが、メルシェはまた別だ。
けれど、メルシェからすればエーナと対等に話しているのに部下である彼女に対して敬語……その方が違和感があるのかもしれない。
「そうね……。そうさせてもらうわ。メルシェさんは――」
「申し訳ありませんが、私はこのままで。貴族でもなく、私はあくまでエーナ様の部下の一人でしかありませんので。それに、私は普段からこれが普通ですので」
「分かったわ」
話ながら、二人は通用口の方から観客席へと向かう。こちらも少し人はいるが、闘技場内に比べれば空いている。
イリスはメルシェを連れて、観客席から前の方へと移動した。
ドーム状になっている席の前方――下の階層から数メートルほどの高さになっている。ここならある程度遠くまで見渡すことができた。
「市場の方は大体終わっているみたいだけど……」
「大道芸、というものですか」
メルシェが付け加えるように言った。
闘技場内が盛況だったのは、中でパフォーマンスが行われているからだったようだ。
ローブを羽織り、仮面を着けた二人組を中心に人が集まっているように見える。
身体付きはいずれも華奢で、投げナイフによる投擲から、二人で広い敷地内を巡るように駆ける動きは常人の域を超えている――イリスはそれを見て、ふと一人の少女のことを思い出す。
(昔はアリアも、よく色んな技を見せてくれたわね)
姿を消してしまった親友であり、家族の少女。
アリアが素性について詳しく話してくれたことは、確かにない。
ただ『逃げてきた』ということだけは、イリスも過去に聞いている。
……イリスにとっては、アリアがどういう風に生きてきたのか関係はない、そう思っていた。
一緒に過ごす日々の中で、お互いに信頼できるようになっていたのだから。
「……」
「イリス様、大丈夫ですか?」
「! あ、ごめんなさい。私としたことが、少し見入ってしまって……」
「イリス様のお気持ちも分かります。あの二人組、とても素晴らしい動きをしていますから。エーナ様にもお知らせすれば、ひょっとすれば興味を持ってくださるかもしれません」
メルシェが二人組の動きを見て、そう答えた。
エーナが興味を持つかどうか……この視察のおいてはその点も重要な要素となる。
二国間の友好のために必要なことなのだ。
「……そう? なら、ここにお呼びする? 私が呼んで来るわよ」
「いえ、一度戻りましょう。エーナ様は気まぐれなところもありますので」
そう言うメルシェの言葉には、何となく納得してしまう。
まだ短い期間しか一瞬にいないが、とにかくエーナが考えていることは中々推し量ることは難しい。
年齢が近しいとはいえ、国を守るための軍人の一人――そこが、イリスとは明確に立場の違うところだろう。……一つの憧れを、感じてしまうくらいだ。
(私も、いつかは騎士として……この国を守る。そのためにできることをするわ)
アリアのことは心配だけれど、だからこそイリスにできることは、今の役目を全うすること。
アリアならば、きっとそう言ってくれるだろう、と。
「そういうことなら、一度戻りましょうか」
「はい。市場の方は残念でしたが」
「そうね……一応、他に寄れる機会があれば――!」
刹那、イリスの言葉を遮ったのは闘技場の外から聞こえる轟音と、どよめきの声。
イリスとメルシェが顔を見合わせる。
「今の音は……!」
「イリス様、急ぎ戻りましょう――」
メルシェの判断は早く、すぐに駆け出そうとする。
その背後から、飛んでくる《ナイフ》を、イリスは見逃すことはなかった。
イリスはナイフの柄を掴み取り、メルシェを守るように前に立つ。
「っ!」
「……まさか、こっちも狙われるなんてね」
闘技場の外と音も、これでエーナを狙ったものであるということが分かった。
状況からしてもすぐに戻るべきところだが……。
(エーナには先生がいる……なら、私がするべきことは……)
メルシェを援護し、アルタのいるところまで戻ること――そう判断した。
だが、敵はそれを見越したかのように動く。
先ほどまで芸を披露していた二人が、一切の迷いもなくイリス達の下へとやってくる、
逃げ道を塞ぐかのように一人と、闘技場側へと一人。
イリスもすぐに構えを取る。すぐにでも、イリスの剣である《紫電》を呼び出すためだ。やってきた二人もまた、それぞれ武器を構える。……漆黒の刀身の短刀を、だ。
それを見て、イリスは目を見開いた。
何故ならその武器は、イリスがよく知っている物だったからだ。
「……アリア?」
突然のことで、理解が追い付かない。
そんなはずはないと否定はしても、すぐにその現実を突きつけられる。
仮面を外したその『少女』は、行方を眩ましたイリスの親友、アリアだったのだから。