55.帝国の視察団
王都の様相はいつもと変わらない。けれど、僕とイリスは数名の騎士と共に、帝国からの視察団を迎える日となった。
《オレンソ》区画――帝国側に位置する区画であり、ここは《聖鎧騎士団》による強固な防衛線が敷かれている。
表向きには友好国と言っても、結局のところ警戒は常に行われているという事が目に見えて分かる。
「緊張はしてないですか?」
「……少しだけ。でも、大丈夫です」
僕の問いかけに、イリスが答える。
少し着飾った騎士風の装いに身を包んだイリス。青と黒を基調として、貴族らしく飾りもしている。
後ろに控えているのは《黒狼騎士団》も含めて数名――僕とイリスが、帝国元帥の娘であるエーナ・ボードルの傍に付くことになる。
帝国側からは他に数名、貴族がやってくることになっている。
各所の騎士達が護衛に就くことになるが、やはり一番の大物はエーナということになるだろう。
何せ、軍部のトップの娘だ――彼女に何かあれば、それこそ外交問題になりえる。
(僕も少しは気合い入れないと、かな――っ!)
そんなことを考えていると、不意にこちらに近づいてくる気配を感じた。
騎士達も控える中で、ここに向かってくる者がいるとは。
(まさか、早速刺客が……? そんな情報もなかったはずだけど)
少なくとも、怪しげな動きがあったという報告はない。
もちろん、帝国側の視察団が来るからと王国内での調査はより一層慎重に行われた。
まだ視察団もやってきていない状態で、ここにやってくる者がいるとは。
イリスもそれに気付いたらしく、いち早く警戒態勢を取る。
「先生……!」
「伝令ではないようですが」
僕とイリスの前に降り立つように現れたのは、黒い制服に身を包んだ少女――ふわりとコートが舞う。帽子を目深に被って、その顔は窺うことはできない。
背後に控えていた騎士達も一斉に構えを取るが、
「ふはっ、ここに来る前に反応できたのは前の二人だけか。人材不足か――王国の騎士は」
「! あなたは……」
イリスが何かに気付いたような素振りを見せる。
僕もまさかとは思ったが、護衛の優先対象が単独でやってくるとは想像もしていなかった。
スッと立ち上がった少女は僕達を見て、はっきりと宣言をする。
「その通り。私は《ファルメア帝国軍》所属、エーナ・ボードル少尉――っ!」
「……?」
……宣言をしたと思えば、僕の方を見てピタリと言葉を止めた。
突然のことで、さすがに僕も驚きを隠せない。
イリスも、困惑した様子でエーナの方を見る。
エーナはというと、何故か硬直したまま、言葉を詰まらせている様子だった。
「な、え、どうし……」
「えっと……?」
「どうかしましたか?」
「いや、その……」
(……まさか、格好良く登場しようとして台詞を忘れた、とか?)
エーナのあまりに芝居がかった登場に、そんなことさえ考えてしまう。
困惑する僕達の下にもう一つ、気配が近づいてくる。
遅れてやってきたのは同じく帝国軍の制服を着た少女――深く頭を下げてから、少女は口を開いた。
「――失礼しました。この方がエーナ・ボードル少尉です。私はエーナ様の護衛であり、直属の部下でもあるメルシェ・アルティナ。階級は准尉となります。お見知りおきを」
こちらは丁寧で、普通の挨拶だ。
先ほどとのギャップに驚かされながらも、イリスはハッとした表情で続く。
「あ、えっと……イリス・ラインフェルです。私が今回案内役を務めさせていただきます」
「イリス様ですね。ラインフェル家のご令嬢――お話は聞いております。そちらは?」
「アルタ・シュヴァイツです。シュヴァイツ家は地方の貴族ではありますが、この度付き人を務めさせていただきます。ご同行をお許しいただければ、と」
イリスに次いで、僕も挨拶をする。
固まってしまったエーナの代わりに現れた少女――メルシェが頷く。
「承知しました、アルタ様。それと、少々お待ちを」
そう言って、メルシェはエーナの下へと近付く。
エーナの耳元で何かを囁くと、エーナが再び意識を取り戻したように、
「こほんっ、失礼した。少し驚いたことがあってな」
「驚いたこと、ですか?」
「気にするな、イリスよ」
「エーナ様、お相手は王国でも屈指の家柄のお方です。そのような態度は……」
「むっ、これから案内を頼むのだ。多少は崩した方が話しやすいとは思わないか?」
問いかけるように、エーナがイリスの方を見る。
イリスもそれに呼応するように頷いて、
「……そうね。それでいいのなら、エーナと呼ばせてもらうわ」
「ふはっ、順応が高くて助かる。さて、まずは早々に落ち着ける場所で話でもしようではないか」
「まだ他の視察団の方が到着していないようですが。……というか、相当先行されてきましたね」
僕も思わず本音が漏れてしまう。
何せ、ここからなら多少離れていても馬車くらいは確認することができる。
それすらも見えないということは――おそらく彼女達は予定日よりも早く王国入りしていたのだろう。
何が目的なのか分からないが、派手な登場をするためだけにそんなことをしたとも思えない。
(……他の騎士達にも気付かれずにやってくるくらいだ。腕も立つみたいだね)
帝国側の情報は、僕の耳にも届いている。
エーナ・ボードル――帝国元帥の娘であるが、娘であるがゆえに軍部に所属しているわけではない。
彼女自身が、実力のある軍人であるということが大きいとのことだ。
若くして頭角を現し、女性ながらも将来は帝国軍部の中枢に立つことは間違いないと言われている――そんな彼女と、王国でも重要な立場にあるイリスが上手く繋がれば、それは二国間の友好にも大きく関わってくるだろう。
そういう意味で、イリスとエーナがこうして出会うことには意味があった。……のだが、どうしてだろう。エーナは何故か、僕の方にはあまり視線を向けようとはしない。
「……他の奴らは気にしなくていい。どのみち、奴らとは別行動だからな」
「お察しの通り、私達だけが先行して来ているので……申し訳ございませんが、案内をお願いできればと」
やや横柄とも取れるエーナに対し、丁寧に頭を下げて言うメルシェ。
僕は後方の騎士に合図をする。
僕と同じ黒狼騎士団に所属する騎士が数名、エーナの護衛には就くことになっている。
一番近くでエーナを守るのは僕とイリスだ。
一先ず、エーナが望むのであれば、僕はそれに合わせて行動するまでだ。
「では、僕とイリスで案内致しますので。こちらに」
「……ああ、宜しく頼む」
予想とは違った形になったが、僕とイリスの仕事が始まった。
およそ三日間――エーナの視察に同行することになる。