51.軍人娘は恋をする
少女の名はメルシェ・アルティナ。
ボードル家のメイドとして、そして護衛として勤めている。
軍人としての側面も持つ彼女は立場上、エーナ・ボードルの部下という立ち位置にあるが……。
「もう、また勝手にいなくなってしまわれて……」
嘆息しながら、メルシェは周囲を見渡す。人通りの多い市場の方にも、エーナの姿はなかった。
お忍びで王都に先行し観光したい――そんなエーナの無茶な要望に応えてやってきたのだが、メルシェから離れないという約束は早くも放免されていた。
それどころか、幾度となくメルシェを撒こうとすらする。
メルシェにとっては、困った主であった。
(まあ、実力は本物ですから心配はないかもしれませんが……)
エーナは決して、親の七光りだけで軍人という立場にあるわけではない。
彼女の同期や上司に至るまで、彼女に勝てるものはいなかったのだ――《武神の再来》などと軍内部では呼ばれている。
このままいけば、父の跡を継ぐことも夢ではないだろう、と。
(その武神がこのように奔放では困りますね……)
深くため息を漏らす。
優秀ではあるのだが、どうにも行動力が別の意味でありすぎる。
人混みの中を歩きながら、いよいよメルシェは本気でエーナを見つけようとしたときだ。
「! エーナ様!」
エーナが、人混みから少し外れたところで立っているのが見えた。
彼女にしては珍しく、何かを見て興奮している様子はない。
むしろ、真剣な表情で考え事をしているようだった。
「……」
「まったく、探しましたよ。お一人では行動しないようにと注意しましたよね? 少しはご自身の立場というものを――エーナ様?」
「……」
メルシェの言葉に、エーナが反応する様子はない。
怪訝そうな表情を浮かべて、メルシェは再び呼び掛ける。
「エーナ様?」
「む、お前か……」
メルシェに気付くのも遅れるくらい、深く考え込んでいたらしい。
エーナにしては珍しい――そうメルシェは感じ取った。
(まさか、私のいない間に何か……?)
エーナとて軍人――国に有利に働くことがあれば、率先してその情報を得ることくらいはするだろう。
お忍びとはいえ、視察という意味も含まれているのだから。
エーナが、ぽつりと呟くように口を開く。
「メルシェ、私を抱いたことがある男は、この世に父上しかいない――その話は知っているな?」
「赤子だった頃だけっていうお話ですか?」
「そうだ。そして、私を抱ける者はもういない……そう思っていた」
エーナの言いたいことが、メルシェにはよく理解できなかった。
軍人として生きることを選んだ彼女はよく、縁談の話があれば決闘で勝てれば、という条件を付ける。そして、大体は決闘という言葉を出した時点でエーナには勝てないと諦めるのだが……。
疑問に感じていると、エーナが言葉を続ける。
「決して油断していたわけではない……だが、私はあの少年に隙を突かれてしまったのだ」
「あの少年……? どういうことです?」
『あの少年』――先ほどエーナの傍にいた少年の姿が頭を過る。
メルシェの問いかけに、エーナが頷いて答える。
「初めて父上以外に抱かれて、その、胸が高鳴ってしまって……どうしたらいい?」
「……は?」
頬を紅潮させて、まるで乙女のようなことを口にするエーナに、メルシェは驚きの目を見開く。
果たしてメルシェのいない間に何があったのか――それ以上に、エーナのそんな姿を見ることになるとは、メルシェもまるで予想していなかった。






