50.何となく
イリスは一人、アリアを追いかけていた。
アルタが先回りして泥棒を捕まえるように動いてくれていたが、どうやら途中で人助けを優先したらしい。
アルタが横の方に抜けるのを見て、イリスはそのままアリアに続いた。
かなり離れたところにはいたが、イリスはイリスで人混みの中でもすり抜けるように駆けていく。
アルタやアリアと違って、さすがにスムーズにはいかないが。
ようやく路地裏の方までたどり着くと、そこは立ち尽くすようなアリアの後ろ姿があった。
「……アリア?」
「……」
呼びかけても、アリアが反応を見せない。
妙な感じがして、近づきながらイリスは再び声をかける。
「アリアっ!」
「っ、イリス」
ビクリ、と身体を震わせてアリアが振り返る。
その表情は、いつもと変わらず気だるげで、特におかしなところはない。
アリアが首をかしげて、
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃないわよ。呼びかけても反応しないから」
「ごめん。ちょっと考え事してた」
「考え事って、珍しいわね。それより、追いかけていた泥棒は? まさか、逃げられたの?」
「ううん。捕まえて、騎士の人に引き渡したよ」
「え、この短時間で? 荷物は?」
「返した」
「返したって……だって、さっきの人は向こうに――」
「わたしの魔法ならできるよ」
イリスの言葉を遮るように、アリアがそう答える。
アリアの魔法――《影》を通して武器などを投擲することができる魔法だ。
確かに、それを使えば離れた相手にも荷物を届けることはできる。
けれど、そこまで遠くの相手に渡すことができただろうか。
そもそも、発動にも条件があったはずだ。
「アリア……何かあった?」
「何もないよ。どうして?」
「いえ、その……いつもと違う気がして」
「そんなことない。わたしはいつも通り」
実際、アリアの雰囲気はいつもと変わらない。
勘違いだろうか、そうイリスが考えていると、後ろからアルタもやってきた。
「すみません、少し遅れました。あれ、泥棒は――」
「もう終わったよ。先生、さっきはありがと」
「いえ、アリアさんなら追いつけると思っていましたから。でも、随分と早いですね。この辺りに騎士はいなかったような気もしましたが……」
アルタの言葉に、イリスの違和感は強くなる。
「だから、さっさと連れて行っちゃった。仕事早いね」
「一応、後で確認しておきます――が、その前に、アリアさん。何かありましたか?」
「! どうして?」
「いえ、少しいつもと違うような気がしたので」
アルタもイリスと同じような疑問を感じているらしい。
それでも、アリアが態度を変えることはなく、
「別に……ちょっと疲れただけ。今日はもう帰るね」
「え……そんな急に」
「イリス、先生とのデート、楽しんでね」
「っ! こら――」
くすりと微笑んで、アリアはパッとその場から駆け出してしまう。
引き留めようとしたが、アリアの動きはいつも以上に素早くすぐに後ろ姿が見えなくなってしまった。
一見すると、いつものアリアのようにしか見えない。
「……」
「どうかしましたか?」
「あ、いえ……何て言えばいいんでしょうか。言葉では上手く言えないんですけど、アリアの様子がおかしい、というか……」
「確かに、僕も気になるところではあります」
「先生も、おかしいと思いますか?」
「まあ、僕の違和感は泥棒の件の方ですけどね。いくら仕事の早い騎士でも、捕まえた本人から事情を聞かずにその場からいなくなる――そんなことはしません。僕とイリスさんが追い付くまでそんなに時間もかかりませんでしたし」
「じゃあ、アリアが泥棒を逃した、とか?」
「だとすれば、ケースを盗まれた人にはそう説明しないといけなくなりますが……アリアさんでもあとでバレるような嘘はつかないでしょう」
「そう、ですよね。それに、アリアから逃げられるような感じでもなかったですし」
そう考えたからこそ、アルタもアリアに泥棒を追いかけることを任せたのだろう。
お互いに疑問を感じながらも、二人で話していては答えにはたどり着けなかった。
「……とにかく、アリアさんについては何かあれば話を聞いてみてください。僕もタイミングがあれば聞いてみます。騎士団には確認してみますので」
「ありがとうございます。ちなみに、さっき助けた人は?」
「ははっ、『助けなどいらなかった』って言われて少し怒られてしまいました」
苦笑いを浮かべながらアルタがそんなことを言う。
どこか武人のような雰囲気を漂わせる返答だった。
「助けてもらってそんな風に答えるなんて……」
「誰かに似てますよねー」
「……? 心当たりがあるんですか?」
「もう物凄く。イリスさんもよく知っている人物ですよ」
「え、誰ですか!?」
イリスは問いかけるが、「さあ、誰でしょうね」とアルタがはぐらかすようにしか答えてくれない。
「教えてくれたっていいじゃないですか!」
「これも修行の一つだと思ってください。気付くことも修行ですよ」
「気付くことも……先生、はぐらかしたいだけですよね」
「あはは、そんなことありませんよー」
笑顔で答えるアルタに、どこかもやもやした気持ちを抱えるイリス。
アルタの言葉の人物がイリス本人であると気付くのは、もっと先の話である。