47.軍人の娘
その日の夜、イリスは一人部屋にいた。
すでに寝間着姿で天井を見上げている。
(デート……)
考えているのは昼間のこと――アリアの提案で再びアルタと共に出かけることになった。
(いえ、そもそも出かけるだけならデートではないわよね。うん、そうよ。それなのに、アリアが急に変なことを言うから……)
自分に言い聞かせるように、イリスは納得しようとする。
けれど、どうしてもその言葉が頭から離れない。
――イリスは誰かを好きになったことはない。
もちろん、家族や友人として好きな人間はいる。特別な誰か、ということを意識したことは一度もない。
イリスにとってその心も、最強の騎士になる上では必要なものでなかったからだ。
(その、はずなのに……)
イリスは胸に手を当てて、深呼吸をする。
弱冠十二歳にして、《黒狼騎士団》の一等士官――《剣聖姫》と呼ばれるイリスに対して、自ら『最強』を名乗った少年。それは言葉通りに、イリスの父であるガルロ・ラインフェルを殺した《剣客衆》のアディルを打ち倒した。
……思えば、アルタとの模擬試合の時からかもしれない。少し特別な感情を抱いていたのは。
剣術で圧倒されたのは、初めての経験だった。父に勝てなかった頃のことを思い出した……そういう風に感じていたが、イリスはその後もアルタに助けられている。
アルタがいなければ、イリスは今ここにはいられなかった――それは間違いのないことだ。
(感謝するのは当然としても……)
だからと言って、それくらいのことでアルタのことを意識するだろうか。意識してしまう自分に、疑問を感じていた。
イリスはアルタに剣を教えてもらいたい。その気持ちが一番であり、それ以外の感情などあってはならないと、考えている。
雑念は剣を鈍らせる。アルタに教えてもらったように、一つの目的を持って剣を振るうことが、イリスには必要なのだ。
『誰かを守るために強くなりたい』、それ以外の気持ちは、今のイリスにはいらないはず――
(そうよ……私には、必要ないこと、だもの)
深く息を吐いて、そう認識する。
デートでもなんでもない――ただ、アリアのために出かける。
イリスが考えるべきはその先、《帝国》とのことだ。
「でも、そうね。違うってことを、確かめるのは必要かも」
ポツリと呟くように、イリスは言う。
自身の抱いている感情を否定するために、イリスは週末のデートに臨もうとしていた。
***
同刻――《ファルメア帝国》の帝都。
中心部に宮殿があり、そこには皇帝やそれに連なる皇族達が暮らしている。
さらに、帝国は軍事国家でもある。皇帝に次いで権力を持つ、軍を統治する元帥が存在する。
ルガール・ボードル、現帝国軍の最高司令官という立場にあった。
そして、その娘であるエーナ・ボードルは一人、庭園に立っていた。
端正な顔立ち。長い黒髪を後ろに束ね、シャツに黒のズボンとシンプルな服装をしている。
腰に下げた剣に触れて、
「――」
一閃。風を切る音と共に、周囲の草木が揺れた。
庭園に広がる花々が、時間を置いて舞い散る。
「……ふう」
「――こんな夜更けに訓練ですか」
「むっ、お前か」
エーナの背後から現れたのは一人の少女。メイド服に身を包み、呆れた表情でエーナを見る。
「お前か、ではありませんよ。もうすぐ王都に向かうことになるのです。夜な夜な訓練ばかりではなく、向こうに行かれた時のことも考えては」
「ふはっ、異なことを言う。その時のための訓練ではないか。常日頃から驕らず怠らず――それが軍人の基本だぞ」
「あなたは軍人という立場になる必要はないのですが……無理やり将校に士官されたのでしょう」
「父上も賛成してくださったことだ。私は生まれながらの武人でもあるのでな。毎日の訓練を怠ると寝覚めが悪い」
にやりと笑みを浮かべながら、エーナは答える。
その答えに対してもまた、少女は大きく息を吐く。
「貴女が構わなくとも私が構うのです。無理をされて倒れられてしまっては、世話係である私の責任になってしまいます」
「心配するな。その責任はお前を管理する上司の私の責任でもあるのだからな」
「……何でしょうね。間違ってはいないのですが何もかも間違っている気がします。いえ、ただの屁理屈ですね、それは」
「ふはっ、その通り。だが、屁理屈もまた理屈の一つ――全ては私の責任ということだ。納得しろ」
そうして、エーナは再び剣を振るう。
「……はあ。何を言ってもダメみたいですね」
少女が再び、大きくため息をつく。
エーナは高揚していた。耳にした情報によれば、王国には《剣客衆》を四人も打ち倒した騎士がいるという。
剣技を極めた殺人集団――その頭目も含めて、一人の騎士が倒したのだ。
そこには、《剣聖姫》も加わっていたという情報もある。
(これが落ち着いていられるか……機会があれば、是非手合わせしてみたいものだな)
まるで遠足を心待ちにしている子供のように、エーナは心躍らせる。
来るべき時に向けて、エーナは剣を振り続けた。
少し投稿遅れてしまいましたが更新です。
新キャラ登場ですね!