44.団長の呼び出し
僕がこの《フィオルム学園》に赴任してから一月以上経過していた。
この生活にもすっかり慣れたもので、朝は講師寮から出て軽く運動をする。
それから校舎の方へと向かい、ホームルームの伝達事項を会議で確認。
いつものようにホームルームで報告する――
(……イリスさんアリアさんがいないね)
アリアはともかくとして、イリスは優等生タイプだ。けれど、遅刻しかけることが度々多い。
理由は僕も分かっている――朝から剣術の稽古に励んでいるのだろう。
ホームルームを始める鐘が鳴り終わる頃に、廊下を駆けてくる足音が聞こえる。
「セーフっ」
「ギリギリアウトですよ」
アリアの両手でのサインに対し、僕は現実を告げる。
背後には乱れた制服を直しながら、呼吸を整えるイリスの姿があった。
「はあ、すみません……遅れました」
「朝の稽古も大事ですが、ホームルームには遅れないようにお願いしますね」
「うっ、本当にすみません……」
申し訳なさそうな表情で頭を下げるイリス。そのまま席の方へと向かう。
他方、アリアはいつも通り気だるげな表情で席に戻る。
授業に関しては基本的にやる気のないのがアリアだ。
本当に一見すると真逆の二人が、普段から一緒に行動しているのは面白い組み合わせでもある。
――クラスの雰囲気は、以前のように戻りつつあった。
イリスが暗殺者に狙われたという事実は当然驚きもあり、衝撃もあっただろう。
逆に言えば、《四大貴族》であるイリスは常にその危険にあるということ。
クラスメート達がそれを理解した上でどう接していくか、それは彼ら次第だ。
「今日の伝達事項はテストの件です。魔法も剣術も実技が行われますので、皆さん前もって準備はしておくように……というのと、当然座学の方も疎かにしてはいけませんよ」
「アルタ君に聞いたら教えてくれるー?」
「アルタ君ではなく、先生ですよ」
クラスの――いや、学園でも一部の生徒は僕のことを『アルタ君』と呼ぶ。
別に親しく呼ばれることは悪い気分はしないのだが、僕も講師として生徒に舐められるわけにもいかない……というのが、時折会議で議題に上がってしまうことだ。
早い話、僕は気にしないが学園側は少し気にする、ということである。
そのくらいのことはいいじゃないか……とも思うけれど、そこは大人の事情というものだろう。
「まあ、放課後にでも来てくれれば――」
そこまで言いかけたところで、イリスの視線が強めに向けられていることを感じた。
放課後の稽古は、今も定期的に行われている。
イリスとしてはその時間は減らしたくないのだろう。だからといって、他の生徒の邪魔をしたいというわけではない。
だから、イリスの表情にそれが顕著に表れていた。
何か言いたげだが我慢している――そんな表情豊かなイリスを見て、くすりと笑ってしまいそうになる。
(相変わらずですね……)
「一先ず、授業中でもホームルーム終わりでも話に来てくれれば聞きますよ」
「はーい、お話に行くね!」
「私もー!」
「あたしも行こ!」
「はい、待っていますよ」
女子生徒からこうしてある程度打ち解けてはいるが、男子生徒からは中々剣術のことが聞きたいと言われることはない。
主に女子生徒と仲良くしている僕に対して嫉妬のようなものを感じなくもないが、それは前にも言った通りだ。
(子供に嫉妬をするなと――ん?)
ふと、窓の外に視線を送る。
教室の窓から見られる大木。春に桃色の花を咲かせる木は、もうすぐ花を散らしてまた来年の新入生を迎える準備をする――そんな木の枝に、一羽の鳥が止まっているのが見えた。
青色の羽毛に、首元にスカーフを巻いている。
……明らかに誰かに飼われているのが分かる鳥、《オジロ》と呼ばれる小型の魔物だ。
人にも良く懐くため、ペットとして飼われることもあるのだが――そのオジロは僕もよく知っている。
《黒狼騎士団》からの伝達の際に使われる鳥だ。
ホームルームで生徒達に色々と伝達をしていた僕に、今度は騎士団からの伝達事項がやってくる。
(何か嫌な予感がするなぁ……)
こうやって不意に連絡が来ると、大抵自分にとって良いことではない記憶しかない。
そうは思いつつも、仕事で呼ばれるからには行くしかない。
これを飛ばしてきたということは、結局今日の放課後は騎士団の本部へと向かうことになるだろう。
「……ですが、今日の放課後は僕も用事がありますので、また後日にお願いしますね」
「なーんだ。早速今日聞こうと思ってたのに……」
先ほど質問してきた生徒が、そんなことを言う。
イリスも微妙にショックを受けた表情をしていたが、これくらいのことで一喜一憂しないでほしい。
そんなイリスの隣――アリアが、窓の外に視線を向けているのが分かった。
見ているのは間違いなくオジロ。何事にも興味を示さないタイプのアリアだが、オジロが野生のものではないというのが分かっているのか。今度は僕の方にちらりと視線を向けて、こくりと頷いた。
(……いやいや、分かってる。みたいな顔されても)
そんな誰にも気づかれないようにやり取りを終えて、僕のホームルームは終わる。
今日は放課後、レミィルのところへと向かうことにした。