38.《剣聖》
剣を構えて、僕はアディルの前に立つ。
アディルもまた大剣を構えた。お互い、すぐには動かない。
「痛みますか?」
「……いえ、大丈夫です」
怪我をしているにも拘わらず、僕の問いかけにそう答えるイリス。
アリアも意識はあるようで、もう少しすれば動けるようになるだろう。
二人でここまでよく戦った――そう褒めてやりたいところだが、イリスの表情は暗い。
「……ごめんなさい。任せてもらったのに」
勝てなかった、そう言いたいのだろう。
だが、イリスが怪我をした理由も、僕には分かっている。
それは《騎士》を目指すイリスにとって――何より人として、決して間違った行為ではない。
「イリスさん、君はそこにいる女の子を守るために全力を尽くした、それでいいんです。謝るようなことではないですよ」
「でも……! 先生がいなかったら、私は……!」
イリスの悲痛な声が耳に届く。
ずっと、その気持ちが心の中にあったのだろう。
僕がいなければ、最初に襲われた時に死んでいたかもしれない。
今の戦いも、僕がいなければ助からなかった――きっと、そんなことばかり考えてしまうのだ。
《剣聖姫》を名乗ったからこそ、彼女は誰にも頼るということをしない。
初めから、イリスにとって頼れる相手などいなかったのだ。
王国最強と呼ばれるようになり、人々から期待される存在となったイリスは、戦いにおいても誰も頼ることができなかったのだろう。
それなら、僕から言えることは決まっている。
「僕がいなければ、なんて考える必要はありませんよ。だって、僕はここにいるんですから」
「……っ!」
「元々、誰にも頼らずに強くなろうとしていたんでしょう。けれど、アリアさんとは剣の修行をしている――少なからず、君が頼れる相手はいるはずです」
「頼れる、相手……」
イリスがちらりと、アリアの方に視線を向ける。
最後までアリアが参加することは渋っていたが、それでも戦いとなればアリアのことを頼っている。
彼女にとって、本当の意味で頼ることができる相手が少ないだけだ。
「イリスさん、僕が一つ約束をしましょう」
「約束、ですか……?」
「はい。僕は必ず、あの男を倒します。何故なら、僕はあの男より強いからです。そして君よりも強い――僕が、この王国で最強であるとここに宣言しましょう」
「……!」
僕の言葉に、イリスが驚きの表情を浮かべる。
そう、言葉にする人間がイリスの傍にはいなかった。
それならば、僕にできることはそれを証明すること。
誰にも負けることはない、誰よりも強い《騎士》がこの国にいるということを。
「私、よりも?」
「はい」
「私の父よりも、ですか……?」
「はい」
確認するような問いかけに、僕は頷いて答える。
王国最強と名高い《剣聖姫》を否定する言葉だ。
けれど、今のイリスにとって必要なのは、その言葉なのだ。
僕は言葉を続ける。
「僕が騎士でいる限りは、僕がこの国で一番強いと思ってください。君が頼れる相手は、ここにいます。いつか君が……本当の意味で《最強》の剣聖姫となった時――その時は、僕を守ってくれたらいいんですよ。ですから、せめて今だけでも僕を頼ってもいいんです」
「シュヴァイツ、先生――」
イリスが拳を握りしめる。
今だけでも、イリスの頼れる居場所を作る。僕にできることはそれくらいだけど、せめてそれくらいはやってもいいだろう。
それが騎士として、講師として――何より剣の師となった僕のすることだ。
元来、こういう役回りは僕には向いてないと思っている。イリスと関わってから、考えるようになったことだ。
抑えていた感情が溢れ出すように、イリスが言葉を漏らす。
「私は、ずっと誰にも頼ったらいけないって、思っていたんです。これからだって、ずっと……ずっとっ! でも、今だけでもいいのなら――私達を、助けてください……っ!」
「はい、助けますよ。僕は君の護衛で――そして、師匠ですからね」
ようやく声を絞り出したイリスの頭に、そっと撫でるように手を置く。
その瞬間、アディルが動き出す。
「話は終わったか? アルタ・シュヴァイツ」
「待っていてくれたのかな?」
「抜かせ、今この瞬間にもまるで隙がない……恐ろしい奴だ」
アディルはずっと、僕の隙を窺っていた。今のイリスと話している間にも、時折隙を見せることで仕掛けてくるかとも思ったが、どうやらそういうわけにもいかないらしい。
「今仕掛けなかったのは不正解だね。隙がなくても、来るべきだった」
「いや、正直言ってしまえば――俺は今昂っている。イリス・ラインフェルは子供を庇ってしまったが……それでも十分に楽しめる戦いだった。今、それ以上の戦いが味わえるかもしれないんだからな」
「だから様子を見た、と? 本当に、呆れた戦闘狂集団だね」
「ああ――それが《剣客衆》だッ!」
アディルが地面を蹴る。
僕も同時に動き出した。
大剣を構えるアディルに対して、僕が振るうのは《インビジブル》。
目に見えない《風の刃》を牽制に使う。
「先の技か。見ているぞ――!」
ヒュンッと風を切る音がいくつも重なり合い、アディルを襲う。
アディルに届いたのは数十の風の刃。
大剣を盾にして防ぐが、アディルの身体が後方へと下がっていく。
純粋なパワー型のアディルには、僕の方が攻撃面では有利に働く。
「う、おお……!?」
「前だけ防いでいる場合かな」
「ッ!」
アディルが風の刃を受けている間に、右方から剣を構えて動く。
横一閃――アディルが全てをかき消すように剣を振るう。
一歩、後ろに下がってそれを回避する。
アディルの剣は魔力による爆発を発生させていた。鍔迫り合いをするのは危険だ。
それならば、僕も徹しきった戦い方をする。
腰を据えて、構えを取る。剣速に全てを置いて、僕は腕を振るった。
いくつもの風の刃を、常人では目に追えないほどの速度で作り出す。
轟音となって、アディルを風の刃が襲う。
「ぬぅ……舐める、なッ!」
風の刃をかき消すように、アディルが大剣を再び振るう。
大地を割り、大きな爆風が周囲を包み込む。
巻き起こった砂煙に紛れて、アディルとの距離を詰める。
距離にして数メートル。僕とアディルの視線が合った。
守りの構えをすでに取っているアディルに、僕は連撃を叩き込む。
《碧甲剣》の効果が通れば、アディルの持つ剣には魔力が流れなくなる――だが、にやりとアディルが笑みを浮かべた。
「この距離ならば――避けられる心配もないだろう」
「!」
アディルが大剣を地面へと突き刺す。
周囲が強く輝きを増して、大きな爆発を引き起こした。
「シュヴァイツ先生――」
イリスの声が聞こえて、途切れる。
地面が割れて、僕の身体がふわりと宙を舞う。
(……ここは)
《地下水道施設》――王都の水脈は、この地下水道を流れることで供給される。
ここは丁度、大きく空洞のある空間だった。
暗闇の中に、僕は着地する。
聞こえるのは瓦礫の崩れる音と、水の流れる音。そして、アディルの振るう大剣の音だ。
ギィン――金属の擦れ合う音が響く。
暗闇を物ともせず、アディルが剣を振るう。
その勢いに押されて、一度後方へと跳んだ。
「……ここならば、誰にも邪魔をされることはない」
「意外だね。そんな心配をしていたなんて」
「俺の本気は周囲も吹き飛ばすからな……。周りを気にして本気で戦えない、なんてことは勘弁してもらいたい」
「僕と本気で戦いたい、と?」
「当然だ。アズマを倒し、フォルトも倒し――そして、フィスも倒した。お前は紛れもなく、俺の敵となる男だ。仕事など関係あるか……俺はお前と、本気で戦うつもりだッ!」
言葉と同時に、アディルが魔力を放出する。
それは先ほどまでとは比にならないほどの、火山の噴火でも目の当たりにしているかのような膨大な魔力。
僕とのこの戦いに、全力を注いでいるということが分かった。
「そんなに強い相手と戦いたいのか」
「ああ、俺はずっとそれを求めてきたんだ。戦って戦って……それでも俺より強い者はいなかった。《剣聖》ラウル・イザルフが生きていたのなら、きっと俺の望む戦いができたのだろうと、ずっと思っている」
「――」
アディルの言葉は、まるでかつての自分を見ているかのようだった。
戦いの日々の中、やがて自分よりも強い相手がいなくなるという恐怖。強さのみを求めて、たどり着いた先には何もないということ。
――強くなって戦い続けるには、僕には理由が足らなかったのだ。
(だから、今回は早めにお金を稼いでやりたいことをする……そう思っていたんだけどね)
もう一つ、僕のやりたいことは見つけた。
イリスがどう成長していくのか、僕はそれを見てみたいと思ったのだ。
今の僕にも、そういう意味では戦う理由がある。
「どうした? アルタ・シュヴァイツ。剣を構えろ。俺の全霊を持って、俺はお前を殺すぞ」
「ああ、僕もそれに応えるよ。ここなら、誰も見ていないからね」
「……なに?」
碧甲剣を地面に突き刺して、僕は懐から一枚の紙を取り出す。
《簡易召喚術》――魔力を流すことで、紙に記された物を呼び出す魔法だ。
一筋の光と共に、一本の剣が僕の手元に現れる。
アディルがそれを見て、目を見開く。
「……その、剣は……!」
暗闇の中でも、銀色に輝く美しい刀身。
両刃の剣は、先端に向かうほど細く鋭くなっている。
一切の刃こぼれもなく美しい姿を保ったまま、強い魔力を帯びてその剣は姿を現した。
「《銀霊剣》――剣聖、ラウル・イザルフの持っていた剣だ」
「何故、お前がそれを……!?」
「答えは簡単だよ。これが僕の剣だからだ」
「何、を……」
アディルはハッとした表情を浮かべる。
何かに気付いたように、言葉を続けた。
「まさか……」
「必ず勝つと約束してしまったからね。僕も《剣聖》の名を以て、全力であなたと戦おう」
言葉に乗せるのは、僕の覚悟。
剣聖を名乗ったからには必ずアディルをここで倒すという、覚悟の証だ。