33.断ち切る迷い
《フェンコール》区画の外れの方、丁度《蒼剣》が《剣客衆》によって倒された場所の近く。
教会の他にも、古い建造物の多いここは一つの観光地としても知られる。
作戦区域の人払いは朝方から騎士達が行っているが、それでも戦いとなればどうなるか分からない。
朝食を終えた僕達はここを目的地として、目指していた。少なくとも、僕の近くにいるのはイリスとアリアの二人だけだ。
高台のあるところで、ある程度周辺を見渡すことができる。
アリアが少し離れたところで待機している。
イリスが僕に話があるというのを聞いたのか、どうやら二人だけにしてくれているらしい。
「こっちの方ってあまり来たことないんですよね。先生はどうですか?」
「僕はたまに来ますよ。色々と回るのも仕事なので」
「やっぱり先生が仕事って言うのは、何となく違和感がありますね」
「見た目は子供ですからねー」
「見た目というか、子供ですよね?」
「おっとそうでした」
僕がそう答えると、イリスがくすりと笑う。
だが、イリスの表情はすぐに暗いものとなった。
「……ごめんなさい、話があるって言ったのに」
「構いませんよ。緊張は解しておいた方がいいですし」
イリスのペースで話せばいい――そう思っていたが、イリスが少しずつ話を始める。
「緊張、しているように見えますか?」
「僕から見れば、そうですね」
イリスの振る舞いはいつもと違うように僕は感じていた。
それは私服の新鮮さと、普通に買い物などを楽しむ姿を初めて見たからだと思っていたが、どこか違う。
落ち着かない感じがあったのは、朝からずっとだった。
「……私から提案したことなのに、たぶん私が一番怖がっているんです。だって、これから死ぬかもしれないんですよ」
イリスが口にしたのは、そんな言葉。
彼女は以前、囮を買って出たときに『命は惜しくない』と言っていた。
もちろん、死にたくないと思うのは当たり前のことだ。
言葉と心でそう思っていても、殺されそうになって喜んで死ぬ人間などそうそういないだろう。
イリスが拳を握り締めて、話を続ける。
「アリアも巻き込んで、今日は私が一番しっかりしないといけないのに、ずっと不安なままなんです。私は《剣聖姫》なのに、敵に出会う前からこんなんじゃ……ダメなんです!」
朝から――いや、イリスがずっと抱えていたことだろう。
命を狙われるなんて、普通に生活していたらあり得ない。
いつ敵がきてもおかしくない、そんな状況で平然としていられる人間の方が珍しい。
イリスとて、例外ではなかった。
「私は、私を疑っています。本当に、強くなれるかって。《剣客衆》なんて私の敵じゃないって、はっきり言いたいけどできないんです……! どうしたら、先生みたいに強くなれるんですか……?」
「僕みたいに、ですか」
「はい。どうしても聞いておきたくて……」
イリスが憧れるのは騎士であり、そして父を超えることを目標としている。
けれど、イリスにとってその目標がいない状態なのだ。
イリスがどんなことで迷っているかも、言葉にしてもらわなければ僕には分からなかった。
相変わらず、人としては色々と足りない部分があると反省する。
けれど、言葉にしてくれたら僕にだって伝えられることくらいある。
「僕みたいに強くなる必要なんてありませんよ」
「……え?」
「君が求める強さは、誰かを助けるための強さです。言葉にするのは簡単ですが、誰かを助けるための力というのは、ただ強ければいいというわけではありません」
「けど、強くならないと……」
「もちろん、僕の言うことは綺麗事に過ぎないかもしれませんね。人を守るためには相応に力が必要になる――けれど、今の君にそれがないとは思いません」
イリスの前に立ち、僕は続ける。
「別に不安がっていたって構いません。君が勇気を出してここにいるんですから。何もせずに待っていることだってできた――けれど、君は戦うことを選んだ。それだって一つの強さです。無謀と勇気は違うものですが、少なくとも君が選んだ道は勇気のある道だと、僕は思いますよ」
「先生……」
イリスの表情が明るくなる。
今の状況で、少しでも彼女の心に余裕ができるのならいい。
こんなこと、以前の僕なら言えなかったかもしれない。
何せ、イリスのことを《剣聖姫》としてしか見ていなかったからだ。
今は彼女の護衛であり、彼女の担任であり、そして剣の師でもある。
こうしてみると、中々関わりは深くなりつつあった。
「必要があれば僕を頼ってくださいね。そのためにいるんですから」
「……ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。弱気なこと言ってすみませんでした!」
まだ僕を頼る、という選択肢は彼女にはないらしい。
けれど、不安を口にしてくれただけでも前進した、というところだろう。
「さて、アリアさんも待たせていることですし――ん?」
イリスとの話を終えて振り返ると、そこにアリアの姿はなかった。
多少距離を置いても居場所くらいなら掴めるが、アリアの隠密能力は僕に対しても出し抜くことができるレベル。
「アリア……? 話ならもう終わったわ!」
「この状況でかくれんぼ、というわけではないでしょうし……」
考えられることは一つ――僕の予想よりもさらに、アリアの索敵能力が高かったということ。
「まさか……!」
イリスも気付いたようで、すぐに周囲を確認する。
おそらく僕達のいる方向とは逆側に、アリアは向かったのだろう。
イリスと共に、僕はアリアの後を追って駆け出した。
***
二人の男女が、建物の陰に身を潜めていた。
一人はアディル・グラッツ、もう一人はフィス・メーデン。
残る《剣客衆》の二人組だ。
「まるで本当に遊んでいるようだな」
「ええ、間違いなく誘っていますね」
アルタとイリスの姿を離れたところから見ていた。
当然、二人にはそれが自分達を待っているのだと分かっている。
「誘っているのならば、そろそろ乗ってやるとするか。様子見するのも性に合わん」
「結局そうなるのですね。どのみち作戦などなかったのでしょう?」
「我々二人で《剣聖姫》を仕留める。それが目的であり作戦だ」
「ふふっ、とても分かりやすいです」
アディルの言葉に笑みを浮かべるフィス。
二人が動き出そうとした瞬間だった。
「待て、もう一人はどこに行った?」
アディルは足を止める。
アルタとイリスから少し離れたところに、一人の少女がいた。そのはずだったのだが、すでにそこに姿はない。
決して目を離したつもりはない――にも関わらず、まるでその場から消えたかのように少女はいなくなったのだ。
「――」
フィスが動く。
『刀身のない剣』を抜き去ると、アディルとフィス目掛けて投げられた二本の短刀が切り刻まれる。
アディルの視線が、後方の建物の屋上へと向いた。
「剣聖姫に最年少騎士――なかなか面白い組み合わせに混ざっていると思っていたが……まさか我らを出し抜こうとするとはな。これは予想外だった」
「……おじさんとお姉さんがイリスを狙う《殺し屋》?」
日の光に照らされて、輝いて見える髪と肌。
まるで物怖じすることなく、二人を少女――アリアが見つめていた。
まだ幼さの残る顔立ちをした少女が、これほど完璧に気配を消して近づいてきたという事実が、アディルとフィルを驚かせる。
アルタとイリスだけではない――敵となりえる者が、ここにもう一人いる。
「何者です?」
フィスが問いかける。
二人を見下ろすようにして、アリアが懐から二本の『黒い短刀』を取り出し、
「《暗殺者》」
アリアが構えて、そう言い放った。