29.作戦の方針
「イリスさん、君は何を言っているか分かってますか?」
「……はい、そのつもりです」
僕の問いかけにも、イリスは迷うことなく答える。
まあ、彼女が理解して言っているのは当然だろう。
元より、イリスを狙う《剣客衆》がここに来ることを前提に僕は動いていたのだから。
今のイリスの提案は早い話――ここで待つのではなくこちらから動いて剣客衆を誘き寄せるということ。
もちろん、言葉で言うだけなら簡単だ。
たとえばイリスが一人で夜道を歩いていれば、おそらく高確率で奴らはやってくるだろう。
少なくともそういう隙を見逃すような連中ではないし、その分イリスの囮になるという提案は僕の選択肢としても決してなかったわけではない。
むしろ、剣客衆を始末するのにもっとも近道と言える方法だ。
だが、
「ラインフェル嬢、貴女がそうして我々に協力してくださる姿勢を見せてくれるとはとてもありがたいことです。その上で答えますが、それは危険な提案と言わざるを得ませんね」
そう答えたのはレミィル。
言葉は丁寧だが、話し方には少し棘があった。
レミィルとしても、イリスを囮にする方法は考えなかったわけではないだろう。
狙われている人間を囮に敵を誘き出すのは常套手段の一つだ。
だが、それはあくまで護衛対象の安全が確実に保証できる時に限定される。
今回は全く別――むしろ、今の状態でもイリスの安全が保障できるわけではない。
それでも彼女が囮になることを提案したのは、自分を守るためにこれ以上、誰かが傷つくことが我慢できないのかもしれない。
彼女が護衛を必要としないと言ったのは、そういう面が大きいからだ。
「僕も団長と同じ意見です」
「! シュヴァイツ先生……」
「イリスさん、君は確かに強いし、伸びしろもあります。いずれは僕を超える可能性だってあると思っています。けれど、今回の相手は話が別です。僕が近くにいたとしても、守り切れるとは言い切れませんよ」
「……それは、分かっているつもりです」
「大丈夫、イリスはわたしが守るから」
アリアがイリスの前に出る。
この状況でもそう言い切れるのはアリアらしいと言える。
レミィルも、少し驚いた表情をしていた。
「君の教え子は勇敢な子が多いね」
「この二人が特別なだけですよ。確かに、二人の実力なら剣客衆にも引けは取らないでしょう。でも、学生の身分である君達を危険な目に合わせることはできませんよ」
「それを先生が言いますか……?」
「僕は確かに子供ですが、今は君達の講師です。そして、王国の騎士でもあります。この点に関して言えば、僕は騎士であり君は護衛対象で学生ですから」
「……っ。でも、待っているだけなんて――」
「はい、イリスさんの言うことも真実です。このまま待っているだけでは、敵の実力を見る限り不利になる可能性は高いです。すでに向こうは二人やられているわけですから、次は二人で来ることだってあり得ますからね」
本当にただの戦闘狂であるのなら、フォルトを連れて帰るのではなく――その場で僕と戦闘を開始しただろう。
それをしなかったのは、あそこで僕と戦うよりも確実にイリスを葬るために態勢を整えることを選んだ、そう捉えるべきだ。
イリスの表情が暗くなるのを見て、僕は言葉を続ける。
「それらの危険も全て踏まえた上で、それでも君は自らを囮にする選択ができますか?」
「……私は、将来騎士になるって決めているんです」
「はい、知っていますよ」
騎士も含めて全てを守りたい――そんな夢のような話を、彼女は僕に話した。
父の背中を追うような、どこか使命感を帯びた夢であると僕は感じている。
それでも、イリスの夢であることには変わりない。
「先生は、誰かを守るために強くなることは応援してくれるって言ってくれましたよね? 私が強くなりたいと思うのは、私を守るためなんかじゃないんです。もし、私を守るためにもっと犠牲が増えるというのなら――私はこの命を惜しいとは思いません」
「ラインフェル嬢……」
レミィルも驚きを隠せない様子だ。
およそ十五歳の少女が口にする言葉ではない。
自分のために誰かが犠牲になるのなら、犠牲になるのは自分だけでいい。はっきりとイリスはそう言ってのけたのだ。
僕と戦いたい――そう願って追いかけてきた時もそうだが、彼女にはどこまでも驚かされる。
「君を守るために散った者もいます。それも理解していますね?」
「……はい」
「君が死んでしまうと、彼らの死も無駄になってしまいますから、軽々しく命は惜しくない――なんて言わないでください。人は生きていてこそ、ですよ」
「私だって、死にたいとは思わないですよ。だから戦うんです」
「イリスさんの覚悟は伝わりました。団長、ここはイリスさんの提案を受け入れることにしましょう」
「! あ、ありがとうございます!」
イリスが頭を下げる。
もっとも、これはあくまで僕が受け入れたというだけだ。
作戦の方針はレミィルが決めることになる。
「……騎士団長という立場では承服しかねる――が、私もここまで言い切られてしまってはね。人の覚悟を踏みにじれるほど、人間を捨ててはいないからね」
「団長はたぶん誰よりも人間臭いので大丈夫です」
「君は時々辛辣だな……」
《蒼剣》を含めて、騎士が殺されたり傷ついたりして何より心を痛めているのはレミィルだろう。
それも含めて、彼女は多くの騎士から信頼される騎士団長という立場になるのだから。
「ラインフェル嬢の覚悟と、君に懸けることになるが――アルタ・シュヴァイツ一等士官。君は剣客衆からラインフェル嬢を守り抜けるか?」
「はっきり言えば、断定はできないですよ。でも、そうですね……給料三割増しで――」
「ここは真面目な話だぞ」
「はい、冗談です。それと訂正を。イリスさんを守り抜くのではなく、僕とイリスさんで協力して剣客衆を倒す――そういうことでいいんですよね?」
「……! はいっ!」
イリスに視線を送ると、嬉しそうな表情でそう頷いた。
こんな状況でも、守られるという立場ではなく共に戦う仲間として扱われることに喜んでいるのかもしれない。
「わたしも、わたしも」
ぴょん、ぴょんとアリアが手を挙げてアピールする。
「アリア……気持ちは嬉しいけど、これは私の――」
「わたしとイリスは家族だから。守るのは当たり前」
「……家族、ですか? お二人は随分仲が良いと思ってましたが、双子の姉妹……というわけでもないですよね」
アリア・ラインフェルという名前ではない。
アリアの名前は確か――
「アリア・ノートリア。イリスの腹違いの妹」
「……!?」
「ぜ、全然違うわよ!? 変なこと言って混乱させないで」
「言い間違えた」
……どんな言い間違いだ。
普段は澄まし顔のレミィルですら目を見開くくらい驚いていた。
ある意味、アリアが一番驚かせてくれる存在かもしれない。
「わたしはイリスの家でお世話になってる。だから、イリスを守るのは当然。一緒にいるのも当然。イリスが囮になるなら、わたしが囮になるのも当然」
「なるほど、そういうことですか」
イリスと一緒にいることが当たり前――そう言っているのは分かる。
アリアの性格からして、来るなと言っても来るタイプだろう。
何より、アリアはイリスのことを大事に思っているということもよく伝わる。
「アリアさんにもその覚悟があると言うのなら、分かりました。ただ、危険があるということは理解してくださいね?」
「もちのろん」
「せ、先生……!? アリアを巻き込むのは、その……」
「わたしはイリスには死んでほしくない。そのために命を懸けることを、わたしも惜しいとは思わないよ」
イリスの言葉に合わせるように、はっきりとそう宣言するアリア。
二人の間には、よほどの信頼関係があることが分かる。
ラインフェル家で世話になっている――少なくとも、二人はこの学園に入る前から顔見知りということか。
イリスも、アリアの言葉を聞いて渋々ながらも頷く。
これで、次の作戦の方針は決まった。
「では、タイミングは週末の安息日に。イリスさん、デートでもしましょうか」
「分かりました――へ?」
僕の言葉に喜々として答えていたイリスが、間の抜けた声を出した瞬間だった。