28.イリスの覚悟
「呼んでくだされば僕の方から――という状況でもないですかね」
「ああ、今はね」
稽古を終えた後、校舎の方に戻った僕を待ち構えていたのはレミィルだった。
左手にはしっかりと包帯が巻かれ、固定されている。
昨日、再度やってきた《剣客衆》のことについてだろう。
レミィルが再度編成した部隊が逃げ出したフォルトを追撃しようとしたのだ。
それくらいの算段はついていた――もちろん、他の剣客衆がやってくる可能性も考慮してある。
その上で、結果的にはレミィルは敗北したことになる。
「腕は大丈夫ですか?」
「あと一歩踏み込んでいたら落とされていたかもしれないな。デスクワークばかりにかまけていてはいけないね」
「団長、そんなにデスクワークしないですよね」
「あはは、そうとも言うね」
僕が突っ込みを入れると、レミィルが肩を竦める。
いつも通りの雰囲気に見えるが、《蒼剣》の敗死を伝えられてから顔を会わせていない。
レミィルが自ら出陣したのは、その件もあったからだろう。
レミィルが小さくため息をつくと、話を続ける。
「今の状況についてだが、残る相手は剣客衆の二人で間違いないだろう。一人と交戦したが、結果はこれだ」
「フォルト・マセンタはもう戦いには参加してこないと?戦った僕から言わせると、あの手の男は腕一本くらいなくなってもまた来そうですけど」
「いや、フォルトはもう来ない。――今朝方、廃屋で遺体を発見した。君の切り落とした腕と一致したよ」
「遺体……ですか」
つまり、フォルトは仲間の剣客衆に助けられたわけではない――騎士に捕まる前に殺された、ということだ。
剣客衆も殺し屋集団であることを考えれば、仕事に失敗した仲間を始末するだろう。
「一人は私を含めて数人の騎士で交戦した。《見えない刃》を使う者がいると報告は聞いていたが、まさにその女だったよ。刀身のない剣を持っていた」
「! 一人は女性ですか?」
「ああ。名前も分かっている。フィス・メーデン――とある地方では、かつて《聖女》と呼ばれていたらしい」
「聖女、ですか。また大仰な呼び名ですね」
聖女――地方によってその役割は異なると言われるが、一般的にマイナスのイメージで使われることはない。
治癒の魔法を使う者や、教会に所属し教えを広める者など、役目は様々だ。
そんな呼び名だったにも関わらず、今では剣客衆の一人になっているという。
見えない刃――僕の《インビジブル》と同じような類かとも思われるが、複数人を同時に切り刻み、それを離れた相手にも攻撃を加えられるとなると魔法にも近いように感じられる。
「団長には見えましたか? 剣の方は」
「一応は、ね。前情報があったから警戒はしていたし、ある程度予想はしていた。フィスの使う剣は《糸》だ」
「糸……なるほど。それが見えない刃ですか」
レミィルの交戦した剣客衆、フィスの扱う見えない剣とは、糸状の細い刃。
剣先からか、あるいはそれもフェイクなのか――剣客衆という言葉ばかりに気を取られては確認できないことかもしれない。
複数の騎士を同時に切り刻むことができる範囲と、それを操る程度の能力がある相手だ。
同じく遠距離からの攻撃を得意としたフォルトとは別の意味で厄介な相手になる。
「もう一人は?」
「交戦したわけではないが、集めた情報から名前は分かっている。アディル・グラッツ――元は傭兵として各地の戦線に参加していた男だ。大剣使いで、フォルトを殺したのはアディルで間違いないだろう」
「なるほど、そっちはシンプルですね」
「ああ。《蒼剣》ベル・トルソーが受けた傷から見て、この二人と交戦したのはまず間違いない」
残る敵の情報についてもまとまってきた。
アディル・グラッツとフィス・メーデン――二人の剣客衆がイリスの命を狙っている。
話を聞く限りではフィスの方が厄介な相手だ。
暗殺に適した戦い方ができ、実力だけでも騎士団長であるレミィルを上回る。
少なくとも、イリスを狙う相手はそれだけの強者が集まっているということだ。
おそらくは、イリスの呼び名でもある《剣聖姫》というところにも起因しているのだろう。
《剣聖》の名で呼ばれる者は、僕の知る限りではラウル・イザルフくらいしかいない。それに、近い名を持っているのだから。
「……問題はいつ仕掛けてくるか、だ。待っていればいずれは来るのだろうけれどね」
「騎士で守りを固めるにも限界がありますからね。そもそも、現行で勝てる見込みのある騎士がいないですし」
「ああ。私の騎士団では、情けない話だが君くらいのものだろう。他の騎士団にも応援要請は打診しているところだが、すぐにやって来られるとも限らない」
それぞれの地区を守護する騎士の役割というのもある。
剣客衆に対抗できるレベルの騎士の選定にも、時間が掛かるだろう。
「選択肢としては、とにかく仕掛けてくることを待つことが先決でしょう。ただし――」
僕はそこまで言ったところで、部屋の外に視線を送る。
気配の消し方については、正直言ってイリスを狙う暗殺者以上だろう。
「アリアさん、そこで何をしているんですか?」
「先生、すごい。ここまで消してバレたことないのに」
扉を開けて入ってきたのは、アリアだった。
僕も気付くのに遅れるほどだ。
殺気などを見せなければ、彼女の隠密能力は本当に目を見張るものがある。
「それで、何をしているんです?」
「先生が騎士団長の人と一緒にいるところ、イリスが見かけて。すごく気になってそうだったから確認してた」
「こ、こら! 全部言ってどうするのよ!?」
アリアの後からやってきたのは、イリス本人だ。
どうやら二人で連携して、僕とレミィルの話を盗み聞くつもりだったらしい。
ちらりとイリスが、レミィルに視線を送る。
「お久しぶりです、ラインフェル嬢」
「……ですね、エインさん。その怪我は……私を狙う剣客衆にやられた、ってことですよね」
「いやはや、面目も立たないところで……」
「イリスさん。ここは大人の話し合いですから」
「先生がそれを言います……!?」
的確な突っ込みだった。
「……失礼しました。関係者だけでの話でして」
「それを言うなら、私が一番の関係者だと思いますけど」
「それもそうですね……」
「学生に論破されるなよ」
「いや、僕も子供ですからね。それで、イリスさんはどうしてここに?」
再度そう問い掛けると、イリスが真剣な面持ちで答える。
「私を狙う相手をこのまま待っていたら、被害が大きくなるかもしれない、ですよね?」
僕が先ほど言おうとしていたことだ。
イリスのみを守るのならば、このまま僕が近くにいれば済む。
その分、今は騎士団だけにおさまっている被害も、それこそ学園にいる限り生徒が巻き込まれる可能性は考えられた。
「確かに、その点については否定できませんね」
「それなら、私の役割は……前にも聞いた通り『囮』であるべきだと思います」
「囮……?」
レミィルがその言葉を聞いて僕の方を見る。あくまでイリスに対して物のたとえとして使った言葉だ。
この学園にいるイリスを狙うと分かっているのだから、イリスがここにいる限りは守ることはできる、と。
だが、イリスの考えはそうではないらしい。
「いつまでも守られているばかりではいられません――私が囮になって、剣客衆を誘き出します」
覚悟に満ちた表情で、イリスがそう宣言するのだった。