21.月光の下
学園の地盤は盛り上がっていて、やや高めにできている。
周辺を囲う塀も合わせると、飛び越えるのは普通の人間には無理だ。
――けれど、それを平気で飛び越えるような人間がいる。
学生がお遊びで塀を登るようなことはあっても、飛び越えるようなことは決して簡単ではない。
そうなれば、自ずとやってくる人間は絞られてくる。
一人は学園で話すためにわざわざ正門ではない方からやってきた団長の可能性。
もちろん、その場合は結界を壊したりなんてしないだろうし、今の状況ならそんなふざけたことはしないだろう。――となれば、もう一つの可能性だ。
「……もう夜中だっていうのに困ったもんだよ」
月明かりの下――頬をかきながら僕は学園の校舎の方へとやってきていた。
夜中ともなれば校舎の方へやってくる講師も生徒もいない。
今日は稽古を休みにして夕方から休んで正解だったと言える。そこには人陰があった。
「――ハッ、てめーがアズマの野郎をやったっていうガキか」
僕を見るなり、楽しそうに笑って青年はそう言った。
やや長めの金髪に、赤い瞳。二十代前半くらいだろうか――整った顔立ちと、口調は悪いがどこか品の漂う雰囲気がある。育ちが良かったのかもしれない。
腰に下げた剣の柄に手を当てながら、僕の方に視線を送る。
「どうなんだよ、ガキ」
「アズマというのがアズマ・クライということで間違いないのなら、そうだよ」
「ハッ、正解かよ。面白れーな。マジでガキが先公やってんのかよ。そんだけ実力はあるってことだろーな」
「一応確認しておくけど、あなたは《剣客衆》の一人ってことでいいのかな?」
「……ま、騎士の野郎共が探しに来た時点でバレてるか。そうだぜ、フォルト・マセンタ――剣客衆の一人だ」
にやりと笑いながら、そう答える。
僕はそれを聞いて、小さくため息をつく。
「正直そろそろ来るだろうなって思ってたけど、まさかこんな夜中に結界突き破って来るとは思わなかったよ」
「色々考えたんだよ。昼間に校門から入って、生徒の奴らと軽く遊んで待つとかよー。けど、それじゃあ騎士の野郎共も来ちまうだろ? 別にいいんだけどよ……せっかく楽しそうな相手がいるってのに横槍入れられたらたまったもんじゃねえからな。そこで夜中よ。学園の周辺にやけに厳重な結界があったもんで、こいつぶっ壊したら来るんじゃねえかと思ったら――ハッ、ビンゴってわけだ」
青年――フォルトは初めから僕と戦うためにここに来たようだ。
アズマのことから、剣客衆はそういう相手だというのはある程度予測はできていた。
戦うことが大好きな戦闘狂集団。このフォルトという青年も例外ではないようだ。
何せ、わざわざ結界に引っかかって僕を呼んだのだから。
暗殺者ならば、絶対にそんなことはしない。フォルトは、アズマを殺した相手と戦いたいという意思があるのだろう。
今すぐに斬りかかってきてもおかしくはない。――念のため、僕も帯剣してきた。
《蒼剣》のこともある。これからやってくる剣客衆が相当な実力者である可能性が高いからだ。
「壊された結界は後で直すけど、面倒事を増やしてくれたね」
「いいだろ、別に。元々オレらを待ってたんだろうからよ。んで、《剣聖姫》ってのはここにいるんだろ? お前を殺したら次はそいつのところに行くからよ。場所だけ教えておいてもらってもいいか?」
「悪いけど、女子寮は男子禁制だよ。許可されるのは僕みたいな講師だけだ」
そう冗談めかして答えると、フォルトは額に手を当てて笑う。
「ハッ、自慢かよ? お前は入ってもいいがオレはダメってか?」
「あなたはそもそも部外者だからね。学園への不法侵入者だ――それに、騎士の殺害容疑もある。できれば生かして連れて帰りたいところだけどね」
「ハッ、ハハハッ! 前来た野郎もそんなこと言ってたな。てめー、まさかあれか? 王国最年少の騎士がいるとか何とか聞いたことがあるがよ」
「どうだろうね。……それと、これも一応確認するけど、前に来た人っていうのはあなたが殺したのかな?」
「どうだろうな? そんなことはどうだっていいだろ。――それよりそろそろ、始めようぜ」
フォルトが構える。
どうやら話を聞くには、ここでフォルトを倒すしかないようだ。
僕は腰に下げた剣に手を触れる。
左手でそっと撫でるようにしながら――右手を振った。
《インビジブル》。目に見えない風の刃が、フォルトの肩へと伸びる。
だが、聞こえたのは何かとぶつかった音。
(防がれたか……やっぱり簡単にはいかないね)
フォルトが剣を抜いている。
否――初めから鞘に納まるようなものではなかった。
銀色の刃は幾重にも重なり合うような、ギザギザの刀身。
刀身という表現も、正しいのかどうか分からない。
ただ、フォルトが剣で僕の攻撃を防いだのは分かった。
「見えてんだよ、ガキ」
そう言って、フォルトが剣を振るう。
距離にして数メートル以上あるにも拘わらず、フォルトがその場で剣を振ったのだ。
「ッ!」
すぐに、後方へと下がる。
眼前に迫ったのは銀色の刃。刀身が伸びて、僕の下へと迫る。
刀身は重なったような刃ではなく、紛れもなく重なった刃。一本の線によって繋がれ、伸縮するように構成されている。
その線に数十もの刃が折り重なり、刀身が伸びるといくつもの小さな刃と変化する。言葉で例えるならばムカデとでも言うべきか。足が刃となり、伸びた刀身を自在に動かしている。
後方へと跳んだが、追いかけるように刃が僕に続く。
さらに地面を蹴って、右方から回る。
右手で剣を振ったのならば、今の勢いのまま右に振ることはできないだろう。
そのまま距離を詰める。離れた状態での《インビジブル》は防がれるのならば、近づいて斬る他ない。
純粋な剣速だけならば、距離を詰めれば確実に当てられる。
フォルトと視線が合った。
僕は右手を振るために構え、フォルトがそれを見て笑う。
――僕の放った一撃は、再びフォルトの持つ剣の刀身によって防がれた。
「! これは……」
驚きながらも、再び距離を取るために右方へと跳ぶ。
フォルトの刀身はまるで生きているかのようにフォルトの身体の周辺を覆っていた。
その伸び方も尋常ではないが、刃のついたその伸びる刀身を、まるで生物のように操っているフォルトの技術も相当なものだ。
「ハッ、ただ刃のついた伸びる剣を操ってると思ったのかよ? そんな簡単なもんじゃねえさ。《百足》はよ」
「ああ、やっぱりムカデなんだね」
「見た目通りだぜ。てめーも小手先だけの技じゃなくてよ。見せてくれ、その剣を抜いてよッ!」
フォルトが勢いよく剣を振るった。再び剣が、意思を持った生物のように動き始める。
フォルトの周囲を守る刀身と、僕を追いかける刃。一見すると使い勝手の悪そうな剣であるが、攻守に優れた使い方をしていた。
フォルトがその剣の使い手として、非常に優れているというのが分かる。刀身に魔力を流し込んでいるのか――動きは本当に自在。
《インビジブル》を小手先だけの技という実力はあるのだろう。
それならば、やることは一つだ。
「――」
キィン、という金属のぶつかり合う音が響く。
フォルトの剣先を弾き返したのは、僕の剣。
その剣を見て、フォルトがまた楽しそうに笑みを浮かべる。
「……へえ、そいつがてめーの剣か」
「《碧甲剣》――シュヴァイツ家に伝わる剣だよ」
碧色の美しく、やや短めで太めの刀身。
《ヘレンダイト》と呼ばれる鉱山でごく稀にとれる鉱石によって作られた直剣。僕の愛用する剣であり、非常に硬い材質でできているため刃こぼれがしにくいのが特徴だ。
剣に魔力を流し込むことで、《魔法》効果が発動するように組み込んである。
「あなたを倒せば、剣客衆は残り二人だね」
「ハッ、面白え。やってみろやッ!」
フォルトの剣が宙を舞う。
剣を構えて、僕はそれを迎え撃った。






