19.イリスという少女
イリスが模擬剣を構える。
よく集中しているのが分かる――初めは目を瞑っていた方がいいという僕のアドバイスを受けて、彼女は静かに呼吸をしながら周囲の様子を窺っていた。
目で見える物を斬るのとはまるで違う。感じ取るのは音や匂いとも違う別のもの。
言葉にするなら《第六感》というものだ。
お互いに剣術を極めた者同士でなら、次に相手がどう狙ってくるのか分かる。
直感や経験――それが重なって目に見えぬ物でも動きを捉えることができるようになるのだ。
一朝一夕で得られるような能力ではないが、イリスには才能がある。
(十歳の時に王都で開催される《剣術大会》で優勝。大人の騎士にも混じって、子供のイリスさんがそれだけのことをすれば話題にもなるか)
イリスのことについては、護衛に付く以上ある程度のことは団長から聞いている。
もちろん、聞かずとも耳に入ってくる情報もあるが。
彼女が剣術大会で優勝したことを機に、《剣聖姫》と呼ばれるようになった。
当時有名だった騎士達も、彼女の剣術に圧倒されたという。
その頃の僕は丁度、王都にやってきたばかりの頃だろうか。
イリスは幼い頃から騎士であった父――ガルロ・ラインフェルに教えを請い、その才能を開花させたという。
元騎士団長のガルロ・ラインフェル、名前だけでは聞いたことがある。
王都にある五つの区画には、それぞれを統括する騎士団が存在している。――現《黒狼騎士団》の団長であるレミィルは、彼の部下だったらしい。
すでに、ガルロは故人となってしまっているが。
今のラインフェル家はイリスの母が当主の代わりを務めている。
本来ならばイリスがその跡を継ぐことになるのかもしれないが、彼女はそれ以上に次期《王》候補と言われている。
僕が騎士になってから彼女を見たのは、丁度貴族の社交場だっただろうか。
子供ながらも凛とした佇まいで話すその姿は大人顔負け――いや、それ以上だったろう。
そういう場での彼女と、学園での彼女の姿は僕から見ると相当に違う。
剣を教えてもらうために僕を追いかけたり、教えてもらうことになればそわそわとしたり、今のように強くなるために集中したり――それがイリス・ラインフェルという少女なのだろう。
「すぅ……」
イリスが小さく息を吸う。
集中を始めてから三分――ようやく、イリスが剣を振るった。
だが、それは虚空を斬るだけに終わる。
まだ一太刀目だが、イリスが悔しそうな表情を浮かべる。
「っ、後ろに落ちたと思ったのに……」
「! そういう感覚があったんですか?」
「何となく、ですけど。だってそういう風に剣を振るのも初めてなんです。感覚というか、もう勘みたいなものしかないですから」
「いえ、それでいいんですよ。最初は気がするでいいんです。それを繰り返すうちに、感じ取れるようになります。ただ闇雲に振るうのではなく集中して振るというのは、とてもいいと思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
そんなに褒められるとは思っていなかったのか、イリスは頬を少し赤く染めて俯く。
そもそも、今の彼女に剣を教えられる人間がどれだけいるだろうか。
僕を除けばレミィルもひょっとしたら――そう考えるが、彼女はそもそも人に教えることは向いてなさそうな性格だ。
「その調子で頑張ってみましょう。何かあれば僕から指示しますので」
「はいっ」
イリスが返事をして、再び意識を周囲に集中させる。
たった一振りだが、彼女の頬から汗が垂れるのが見えた。
それだけ一刀に、意識を集中させているのだ。
イリスには才能がある――そんな一言で片付けてしまうのは、失礼なのかもしれない。
彼女はその性格も含めて、どこまでも剣士なのだろう。
(……さて、教えると言いつつも最初の段階はそんなに言うこともないしね。――今後のことでも考えようかな)
木に寄り掛かり、空を見上げる。
その報告は、すでに僕の耳に届いている。
《蒼剣》ベル・トルソーの敗北。彼が騎士として名を馳せたのは、南方に陣取った盗賊団の幹部と首領を打ち取った時からだという。
その剣技はどこまでも速く、そして美しいと言われた。
僕は同じ騎士団に所属しているが、直接の面識はあまりない。
だが、騎士としてはかなり若い部類でも、実力は確かだったという。確かに、話を聞く限りでは十分に今回の作戦はこなせると僕も考えていた。――そのベルが、遺体で発見された。
全身に切傷はあり、死因は失血死。致命傷となりうる傷は、三か所以上確認されたという。
それだけの傷を受けながらもベルが戦い続けたということ。騎士としての役目を、果たそうとしたのだ。
彼の剣に残っていた血液の《魔力痕》。それを見ればそれが誰の物か判別できるが、少なくともその血液はベルのものしかなかったという。
つまり――無情にもベルは一太刀も浴びせることができずに、敗死したということになる。
(アズマの実力から考えれば、確かに実力のある騎士なら相手にできるレベルだった――他の《剣客衆》は、それ以上に強いって考えるのが妥当か)
僕のところに報告に来たのがレミィルではなく、代理の騎士だったことも考えると、レミィルも次の作戦を考えているところだろうか。
……いつも冗談めかして話す彼女だが、自分の部下のことは確かによく考えている。
本当なら亡くなった騎士達の弔いをしたいところなのだろうが、今はそれどころではなくなってしまっている。
かろうじて生き残った騎士が二人。彼らの情報によると、剣客衆は少なくとも残り三人いる。
騎士を一度に十人以上斬り捨てた女性と、ベルを討ち取った大男。そして、若い青年が一人。
(イリスに剣を教えるのはもちろん護身の意味も大きいけれど、敵の実力から考えていつ仕掛けてきてもおかしくはないし。こっちからは動いて失敗した以上、『剣客衆を探し出して倒す』より、『イリスを護衛する』ことに尽くした方が正解かもしれないね)
これはあくまで僕の考えだ。
レミィルとも相談はするつもりだけれど、敵の強さが想定を超えるのであればどのみち僕がやるのが正解だ。
イリスを護衛しながら剣客衆を探すことはできない。なら、剣客衆が狙っているイリスの傍にいることが一番手っ取り早い。
集中するイリスの方に視線を送る。
剣聖姫と呼ばれ、実力もそれ相応にある――けれど、僕から見れば普通の女の子だ。
まあ、血の気は多いところはあるけれど、素直に僕の言葉を聞いている。
(労力に見合ってない……って、いつもなら考えるんだろうけどね。今回ばかりは、そうも言っていられないかな)
僕はそんなことを考えながら、イリスの修行を見守った。