184.愚か者
ここに来てから、どれくらい経過しただろうか――堅いベッドの上で横になりながら、カシェル・ラーンベルクは小さくため息を吐く。
隠したところで全て無駄であるために、カシェルは問われたことには答えた。
ラーンベルク家の次期当主として《魔導協会》を率いながら、裏では《魔導教団》を作り、国内では認められていない魔法の実験を行っていた。
これは王国において、ラーンベルク家の地位を確立させるためのものでもあった。
だが、結果的にカシェルはただ、裏切られただけで何もできなかった形に終わる。
「全く、笑える話だ……。ボクは結局、何も変わっていないじゃないか……」
幼い頃から『男』として育てられ、ラーンベルク家の次期当主になり――やがてはこの国の王になる。それが、カシェルに課された使命であり、カシェルもそのために動いていた。
けれど、カシェル自身は納得している部分もあった。
――自分には、この国の『王』になるなど荷が重い話であった。
ルーサ・プロミネートだけならまだしも、懐刀であったファーレン・トーベルトの裏切り。これは、カシェルに明確な精神的ダメージを与えた。
自分が信頼している者に裏切られて、カシェルにはもう何も残されていない。
元々、イリスに比べればカシェルを『王』になどと望む者も少なく、勝つためにはイリスの弱みを握る他なかった。
それを手に入れたと思った矢先に、カシェルは一気に追い詰められてしまったことになる。
「ボクはもう、王にはなれない。いや、そもそも、ボクは王になんて……」
――なりたいとも思っていなかった。
そう、はっきりと言葉にしようとした時のことであった。
「……? なんだ……?」
何やら、外から騒がしい声が響いてくる。
カシェルがいるのは《黒狼騎士団》本部の地下室――軟禁された状態の彼女には、外の情報など入ってこない。
ましてや、本部の地下という場所で騎士達の慌ただしい声が聞こえてくるなど、異常な事態であった。
「一体、何が――」
「カシェル様っ!」
バンッと扉を開き、やってきたのは騎士であった。見れば、外からかけているはずの錠を破壊している。
カシェルはそれを見て、思わず息を飲んだ。
騎士はカシェルの下へと近づくと、すぐにその手を取る。
「な、ど、どうしたと言うんだ!?」
「お、落ち着いてください。カシェル様はラーンベルク家のご子息――いえ、ご令嬢であらせられるので、万が一のことを考慮し、一度ここから退避していただくことになりました」
「退避……? 騎士団の本部で退避が必要なんて、どういうことなんだ……?」
「詳細については後程。とにかく、私と共に来てください!」
騎士に連れられ部屋を出ようとすると、視界に入ってきたのは数名の騎士が吹き飛ばされる姿であった。
騎士達を吹き飛ばした者の姿も、すぐにカシェルの目に移った。
漆黒の鎧に身を纏った騎士風の男――手に握る剣から滴り落ちるのは鮮血。黒色だと言うのに、男の鎧がすでに返り血で染まっていることが分かってしまう。
その姿を見て、カシェルは思わず一歩、後退り、
「カシェル様、お逃げを!」
「ひ、あ……っ!」
騎士の言葉を聞いて、カシェルはその場から駆け出した。
(なんだ……あいつは、なんなんだよ……!)
ほんの一瞬で、恐怖の感情に支配されたカシェルは、振り返ることすらなく逃げる。
カシェルを連れ出そうとした騎士一人では、男を止めることは叶わないだろう。
「ぐ、あっ!?」
「!」
声が聞こえ、カシェルは思わず足を止めて振り返る。先ほどの騎士が斬られて地面に倒れ伏していた。
男は真っ直ぐカシェルの方へと向かってくる。――すぐに理解できた。男の狙いは、カシェルであるということに。
「な、なんで……」
カシェルはその場に尻餅をついて、震える声で問いかける。
だが、漆黒の騎士は答えない。ガシャン、ガシャン、と鎧の擦れる音を鳴り響かせて、近づいてくる。
「ひ――」
「ま、待て……!」
「っ!」
男の足を止めたのは、先ほど斬られ倒れた騎士であった。傷口を押さえながら、騎士は漆黒の騎士の足を掴み、
「カシェル様、お逃げを……!」
「――な、なんで……?」
カシェルは純粋に、そんな疑問を口にした。
カシェルはこの国では違法とされる魔法の実験を行っていた、犯罪組織の頭目と言う立場にある。そんな彼女を、命を賭してまで守る価値がどこにあるというのか――守られている立場だからこそ、それが理解できなかった。
「あなたの、魔法で……私の娘は救われたのです。だから、あなたはここで死んでは、ならない……!」
「――」
騎士の言葉を聞いて、カシェルは驚きに目を丸くする。
確かに、カシェルの魔法実験は多く違法なものも含まれていた。その副産物的に、病気に対して有効な医療魔法と呼ばれるものを『偶発的』に作ったことはある。
だが、カシェルにとっては、それは成り上がるための方法の一つでしかなかった。
そのはずなのに――その一つのことを覚えて、カシェルを助けようとしてくれる人が目の前にいたのだから。
(ボクは……)
何をしていたんだろう。初めて、己の愚かさに気付いた。
男は、再びカシェルの下へと近づいて、目の前に立つ。
「ははっ、こんな愚か者は死ぬのが正解かもしれない、ね」
諦めたように言い、男を見上げる。
男は剣を振り上げて、カシェル目掛けてそれを振り下ろす――だが、その剣がカシェルに届く前に、『水の矢』が飛んでくるのが見えた。
男はそれを斬り払うが、水はその場で拡散し、男の腕を濡らす。
すると、その水が一瞬で凍り始めた。
「この、魔法は……」
「カシェル様ッ!」
カシェルを呼ぶ声に振り替えると、そこにいたのはカシェルの部下であった男――ファーレン。そしてもう一人、軍服に身を包んだ少女の姿があった。
「ファーレン……それに、エーナ・ボードル……!? 何故、君達がここに――」
「話は後だ。ファーレン、主君を守るために命を懸けると誓ったのだろう? ならば、全力でカシェルを守れ」
「言われなくてもそのつもりだ……! カシェル様、こちらに!」
カシェルはわずかに戸惑いの様子を見せる。ファーレンは自分を裏切ったはずだった――けれど、彼の目を見れば分かる。
ファーレンは、カシェルを裏切ってなどいないということに。
カシェルがファーレンの下へと辿り着くと、バキリッ、と氷を砕く音が通路に響く。
「行け、ここは私がやる」
「わ、私がやるって……あれを一人で止めるのか……!?」
「ふはっ、少なくとも、奴に怯えて腰を抜かしていたお前と違って、私は『リベンジ』するつもりでここに来ているのだからな。いいからさっさと行け。お前達は足手まといだ」
エーナがそう言うと、細剣を構えて男と向き合う。
「さて、《剣聖》ラウル・イザルフ――手合わせ願おうか」
にやりと笑みを浮かべて、そう言い放った。






