182.最強の存在
漆黒の鎧に身を包んだ男は、《黒狼騎士団》本部の正門の前に姿と現した。すでに腰に下げた剣を抜き去り、抜刀状態にある男は、迷うことなく真っ直ぐ歩を進める。
「おい、そこのお前! 止ま――れ?」
「……は?」
正門の前に立つ二人の騎士のうち、一人は制止の言葉を言い終える前に、首と胴体が切断される。もう一人の騎士は、何が起こったのかも理解できなかっただろう。
すでに自らの首も刎ねられているという事実に気付かないままに、二人の騎士は呆気なくこの世を去った。
《インビジブル》――《剣聖》がもっとも得意とした剣術であるとされ、目に見えぬ風の刃が、目にも止まらぬ速さで繰り出されるために、その名で呼ばれるのだ。
剣聖にとっては、この技を防げない相手など、『取るに足らない相手』でしかない。
たった今葬り去った相手など、男にとっては敵ですらなかったのだ。
一瞥することすらなく、男は騎士団の敷地内へと足を踏み入れる――と同時に、遠方から放たれた矢を、男は左で掴んでへし折った。
「矢の一本でやれるなら、まあ苦労はしないわな」
「そうですね。故に、我々がここにいるわけですが」
「……一等士官がこの場に六人。一人の賊に、とんでもない戦力が集まったものだ」
男の前に姿を現したのは、『五人の騎士』達であった。一人はこの場にいない、遠方から矢を放った騎士、ということだろう。
剣を持っているのが三人。それぞれが直剣、細剣、大剣と特徴の違う得物を扱っている。残りの二人は槍と斧――弓の使い手も含めれば、いずれも近接戦闘に特化した騎士であるということが分かる。
「どこの誰だか知らねえが……まさか騎士団本部を襲撃してくるとはな。ここにも念のため戦力を集めておいたのは正解だったってわけか」
「団長の判断ですからね。まあ、本来はここからいつでも駆け付けられるように、と待機していたわけですが」
「お主ら、敵は一人と油断をするな。すでに仲間を二人殺っておる――初めから、全力で潰すぞ」
斧を握った老齢の騎士が、全身に力を込める。溢れ出る魔力が地面を抉り、地響きを起こすほどであった。
一歩前に踏み出すと、それだけで大地が割れる。
斧を振り上げて、老齢の騎士は侵入者である男へと真っ直ぐ斧を振り下ろした。
「ヌオオオオオオオオオオオッ!」
掛け声と共に、魔力によって作り出された衝撃波が地面を破壊しながら進む。
男はその一撃を回避することはなく、真正面から剣で受けた。
「馬鹿めがッ! わしの大地を砕く一撃を正面から受けて防げるはず――なっ!?」
老兵の騎士は、その光景に目を見開いた。
男はその場から動くことなく、老齢の騎士の放った渾身の一撃を、軽々と切り払ったのだ。
練り上げられたとんでもない量の魔力に対し、男が使った魔力はほんのわずかに刃に纏わせただけのもの。それを滑らせるようにして、軌道を変えたのだ。
だが、すでに騎士達は動き始めていた。
「爺さんの一撃を簡単に受け流すたぁな! ま、それくらいは『やる』だろうとは思ってたぜ!」
「故に、この瞬間を狙って我々で確実に仕留めさせていただきます」
男の四方を囲う様に、それぞれ騎士達が武器を振り上げる。遠方から男に向かって一本の矢が放たれているのも見えていた。
男はわずかに身を屈めると、すぐに行動に出た。
最初に狙ったのは、右方からやってくる細剣を握った騎士。一歩を踏み出すと共に、男の放ったのは横一閃――誰の目に見ても、とてもシンプルな一撃であった。
細剣の騎士は冷静にその一撃を受けようとした。途中までは、その剣を追えていたのだろう。
だが、気付いた時には男の放った剣撃は、細剣の騎士の身体を切り裂いていた。
「……!?」
腹部に入った一撃は内臓にまで届く。他の騎士達も、すでにその事実には気付いている。それでも止まることはしない――この場で確実に仕留めるためだ。
左方に立った大剣を握るに騎士は、振りかぶった大剣を強く振り下ろそうとした。
しかし、両腕の感覚がすでに消失している。男は大剣を握る騎士に視線を向けることすらなく、左手で放ったインビジブルによって、その両腕を切断したのだ。
それと同時に、槍の騎士と直剣を持つ騎士の二人の一撃が、男に届く――はずであった。
男はわずかに身体を逸らして、槍による突きをギリギリのところで回避する。
振り下ろされた直剣は、男が自ら振り切った剣をあえて手放すことで、その一撃は剣を挟んで鎧にぶつかり、防がれる。
最後に男の下へと飛んだ矢は、宙を舞った大剣が射線上に突き刺さり、それを阻む。
「……冗談だろう」
ポツリと、直剣使いの騎士が呟くように言った。
目の前で二人の騎士が再起不能にされ、それでもなお男を倒すために動いたはずなのに――その全てを防がれてしまったのだ。
男が再び剣を握り直すと、直剣使いの騎士は咄嗟に反応して後方へと下がる。
槍使いもまた、それに気付いて下がろうとした――だが、槍の柄をすでに男が握り締めて離さない。
すぐに得物を離す、という判断ができれば間に合ったのかもしれない。
だが、その事実に気付く前に、男の放った剣撃が槍使いの身体を切り裂く。
槍を奪い取ると、男は勢いのままに身体を捻り、『風』を纏わせて投擲した。
グンッと勢いを増していく槍は周囲の物を破壊しながら、暗闇に潜む弓使いの身体を貫く。
ピタリ、と男は動きを止めて、再び騎士と向き合った。
残されたのは、老齢の騎士と直剣使いの騎士の二名――ほぼ、男はその場から動くことなく、ほんの数秒の間に四人の騎士を打ち倒したのだ。
「まさか、こんなことが……お主は――《剣聖》、か?」
「……全く、笑えない冗談しかない」
老齢の騎士の言葉に、直剣使いの騎士は苦笑いを浮かべて言う。
かつて、その名を大陸中に轟かせた最強の存在。
それでも、心の中でその言葉を認めざるを得なかった――男が、剣聖であるという事実を、だ。






