180.痛み分けと言うには
紫色の雷を纏い、イリスは《漆黒の騎士》と対峙した。ここに来る前に、イリスは寮へと戻ってきたクラスメートから『アリアが学園に侵入した不審者と戦っている』ということを聞いたのだ。
「イリ、ス……?」
「アリア、少し待っていて」
アリアの状態はまだきちんと確認できていないが、怪我をしていたのは分かる――すぐにでも介抱してあげたいところだが、目の前に立つ漆黒の騎士がそれを許してくれそうにはなかった。
(近付く私に気付いて、すぐに後ろに下がる動きを見せた。かなりの実力者ね……)
イリスもすぐに理解する。アリアを追い詰めるだけの実力者――一瞬でも気を抜くことはできない。《紫電》を構えて、イリスは小さく息を吐き出し、一歩を踏み出す。
「参ります――っ!」
だが、先に距離を詰めてきたのは、漆黒の騎士の方であった。瞬間的にイリスの間合いへと入ると、横一閃――イリスはそれを防ぐ。
「く……っ!?」
ギリギリと力で押され、イリスはわずかに後方へと下がる。
だが、思い切り後方には下がらなかった。後ろにはアリアがいる――イリスにとって、これ以上は引くことはできない。
「ふっ――」
呼吸と共に、イリスは剣の柄を握り締めて、連撃を繰り出す。それに応えたのは、漆黒の騎士の剣撃。互いに一歩も動かずに、高速の剣撃をその場で繰り出した。
刀身がぶつかり合うたびに金属音が周囲に響き、雷鳴が走る。イリスの紫電から発せられるものだ。
漆黒の騎士はまだ魔法を発動していない――だが、剣術においては、イリスに引けを取るどころか、わずかながらに上回っている。
その証拠にイリスの頬や肩、太腿など、徐々に掠り傷が増えていく。
だが、イリスとて負けてはいない。致命傷になる攻撃は全て受け切り、確実に漆黒の騎士との真正面からの斬り合いを可能としている。
一度でも防ぐことに失敗すれば、それが死に直結する。肌でそれを感じながらも、イリスは冷静に漆黒の騎士の動きを見た。
得物はイリスと同じ直剣であり、動きはシンプルに剣士らしく、真っ向からイリスとぶつかり合う姿勢を見せている。動きに関しては、イリスとの斬り合いの中でも――可能な限り最小に留めていることが分かった。
(全く無駄のない剣術――これほどのレベルは私もほとんど見たことがない……!)
アルタとはまた別の方向に、漆黒の騎士が優れた剣士であることは明白だ。
だが、イリスにはアルタと積み重ねてきた稽古の日々がある――速い剣術を受ける訓練であれば、幾度となく繰り返してきた。
だからこそ、漆黒の騎士との斬り合いにも、イリスは臆することなく向かうことができた。
一対一の純粋な剣術勝負。イリスが最も力を発揮できるこの状況において――イリスが負けるわけにはいかないのだ。剣と剣がぶつかり合うごとに、イリスの剣撃は徐々に速さを増していく。
それに対して、全く後れを取ることのない漆黒の騎士の剣技。おそらくは、ここでステップを交えて不意を突こうとしても無意味だろう。
故に、イリスは全力で剣を振る。漆黒の騎士と剣を交えて、すでに『隙を作る』方法は見つけていた。
「はあっ!」
イリスが力を込めて、大きく剣を振るう。漆黒の騎士の動きに合わせて、剣撃を弾くために繰り出したものだ。
刀身がぶつかり合い、イリスの剣撃が漆黒の騎士の剣を弾く。バランスをわずかに崩した漆黒の騎士を見て、イリスはさらに追撃を繰り出す。
「――」
振り下ろした一撃を、漆黒の騎士は身体を逸らして回避した。完全に振り切ったイリスは、それを見て険しい表情を見せる。
だが、漆黒の騎士はイリスに対して反撃を繰り出すことはなく、後方へと下がった。
「……意外と慎重なのね。今の瞬間、剣を振るえば私を仕留められたかもしれないのに」
「……」
漆黒の騎士は答えない。肩の部分がパクリと割れ、そこからわずかに血が噴き出している。
イリスの一撃が、漆黒の騎士を捉えたのだ。傷を負わせたのは利き腕側であり、漆黒の騎士はそれを受けて『後退する』判断を選んだようだ。
無論、これで痛み分けと言うにはやや分が悪い。致命的ではないが、イリスの負わされた傷の数は、漆黒の騎士よりも圧倒的に多いのだから。
「はっ、はっ――ふぅ」
乱れた呼吸をすぐに整えて、イリスは再び紫電を構える。対する漆黒の騎士は、イリスを見据えたまま動かない。
(……? さっきまでこちらに休む暇も与えないくらいだったのに、急に動きを止めた……?)
イリスはわずかに眉をひそめて、怪訝そうな表情で漆黒の騎士を見据えた。
まるで、何かに驚いているかのようだ。
(一体何が――)
「こっちだっ!」
漆黒の騎士の後方――校門側から、騎士達の声が聞こえてくる。先ほど寮へと戻ってきた生徒達が連絡したのだろう。
だが、ここで数名の騎士が増えたところで、漆黒の騎士に対して有利に働くとは限らない。
そう考えていたが、漆黒の騎士は意外な行動を見せる。握った剣を、腰に下げた鞘に納めたのだ。
「っ! 逃げるつもり……!? 待ちなさい――」
「……」
スッと、漆黒の騎士はイリスの方向を指差す。その動きを見て、イリスはハッとした表情を見せた。先にあるのは、倒れ伏すアリアの姿。
「アリア……!?」
イリスは思わず動きを止めた。同時に、漆黒の騎士は木々の方へと駆けていく。
あっという間に気配は消え、イリスはアリアの下へと掻けた。
「アリア! しっかりしてっ! アリアッ!」
彼女の小さな体を抱きかかえると、イリスの手はぬるりと鮮血に手が染まった。






