18.稽古の時間
その後授業も何事もなく終わり、次の剣術の授業を考えながら放課後を迎えた。
ホームルームで簡単な伝達を終えると、いつものようにクラスの女子生徒達が雑談をしようとやってくる。
軽く話して定例の会議に向かい、これから午後の優雅な一時を迎える――
「先生、お願いします」
……わけでもなかった。
会議が終わった後に迎えに来る辺り律儀というか、まだ僕が逃げると思っているのかもしれない。
あるいは、待ちきれなかったという感じだろうか。
少し目が輝いて見えるあたり、本当に稽古を付けてもらえるということを楽しみにしていたのだろう。
先ほどの剣術の授業の時の様子も見れば分かる。
「慌てなくても僕は逃げませんよ。場所は、そうですね。人のいないところとなるとやはり森の方ですかね」
「はいっ、すぐに行きましょう!」
「そんなに慌てずに」
これから遠足でも行くのかというくらい乗り気だ。
実際には剣術の稽古を付けるわけなのだけど。
放課後の練武場は生徒同士で魔法の練習や剣術の稽古をしていることも多い。
僕とイリスの組み合わせだと、はっきり言って目立ってしまう。
それに、講師の僕が付きっきりでイリスに教えているところを何度も目撃されれば、それはそれで角が立つかもしれない。
色々と考慮して、目立たないような形を取ることにした。
そうして、学園の敷地のなかにある森の方へと僕とイリスはやってきた。
先日イリスを狙った暗殺者が入り込んだために、一部区画は立ち入り禁止となっている。
表向きには暗殺者がやってきたことは公開はしていない。
イリス自身も、命が狙われたことを知られたくはないだろう。
「さて、それじゃあ稽古の時間ですね」
「よ、宜しくお願いします」
先ほどまでは少し乗り気だったのだが、今度は少し緊張しているようだった。
イリス・ラインフェル――《剣聖姫》と呼ばれる彼女は学園内でも有名だ。
強く気高いというイメージが先行し、生徒の多くが彼女のことを肩書きやイリス様と距離を置いた呼び方をする。
けれど、こうして接してみると普通に緊張している女の子だった。
授業中も落ち着かないくらいだし。
「そんなに緊張せずに。気楽にやっていきましょう」
「は、はいっ」
「ではまず、イリスさんの実力を見ておきたいので――」
「試合ですか!?」
「イリスさんは血の気が多いですね。アリアさんも急に試合をしたいなどと言いますし」
「わ、私だって以前からお願いしてたわけ、ですし。その……」
ちらりと僕の方を見るイリス。
これが女の子からの告白とかならどれほどよかっただろう。現実は――戦ってほしいとせがまれているわけだけど。
イリスの気持ちが分からないわけでもない。
彼女にとっては、少なくとも僕と戦うことが殻を打ち破るのに一番近い道だと思っている節があるからだ。
戦いの中で気付くことがあれば、それが成長につながることは間違いない。
いわゆる、経験を積むということだ。
まあ、今はそんな方法を取るよりも堅実にやった方がいいだろう。……何せ、状況が状況だ。
「僕と戦う前に、まずこれが見えますか?」
そう言って、僕は手に持った模擬剣を振るう。
ヒュンッと風を切る音だけが周囲に響き、ふわりと草木が揺れた。
単純に剣を振っただけだが、今のはそれなりに本気で振っている。
「い、一応、見えます」
「一応というのは、目で追うことができるレベルということでいいですね?」
「はい……そうです」
「では、これはどうでしょう」
再度剣を振るう。
今度は先ほどよりも速く――風を切る音がより鋭く、そして風圧が発生するよりも速く剣を振り切った。
イリスが驚いた表情を浮かべて、
「見えは、しますが……」
「対応はできないと」
「は、はい。このレベルになると、受け切ることは難しい、かと」
素直にイリスが答える。
彼女の強さは本物だ――けれど、実際に僕の剣を受け切ることができるかというと、それは無理だろう。
それは、彼女が弱いからではない。
「今からイリスさんには、この剣を受け切れるようになってもらいます」
「! それって、シュヴァイツ先生の打ち込みに耐えるってことですか?」
「本来ならそういう方法もありなんですけど、今回は違います。イリスさんは気付いていないようですが、君は本来僕の攻撃を受け切ることができます」
「え!? どういうことですか?」
イリスが驚きの声を上げる。
彼女が受け切れないと答えたにも拘わらず、僕の見立てでは少なくとも実力だけで言えば、イリスは僕の剣を受け切ることができる。
足りないものはやはり経験――そこからくる、感覚だ。
「先日、君を狙った暗殺者の一人、アズマ・クライを覚えていますか?」
「あの――《剣客衆》の……」
剣客衆という言葉を口にする彼女の表情はどこか暗い。
自身では勝てないという思いが彼女にあるのだろうか。
いや、彼女は剣客衆のことを知っていた――何かあるのかもしれないが、今はそれよりも剣術の話だ。
「そうです。彼は僕の剣術を防ぎました。今の剣術はあの時よりも少し遅いくらいですが、イリスさんの実力はアズマと比べても遜色はありません。そのアズマが、僕の攻撃を数度は防いでいるんです。君に防げないはずがありません」
「そう言われると何となく分かりますけど……でも、実際に防げないと思うんです」
「そこで今回の稽古はとても簡単です。イリスさん、『落ち葉を斬る』ことはできますか?」
「はい、それくらいなら……」
それくらい、と言うが落ち葉を斬るというのは相当剣士として優れていないとできないことだ。
さらりと言ってのけるあたり、イリスのレベルの高さが分かる。
イリスに求められるのは、ただ斬ることではない。
「では、こういうのはどうでしょう」
一度剣を虚空に向かって振るう。
風が巻き起こると、何枚かの落ち葉が僕の背後に舞った。
そのまま――僕は落ち葉を見ないで切り刻む。
舞い散る落ち葉に視線を送らず、真っ二つにした。
「! 今って……? 見ないで斬ったんですか?」
「その通りです。落ち葉が何枚散ったかとか、どこに飛んだかなんて僕は見ていませんが、感覚で分かります」
「か、感覚って……そんなことできるんですか?」
「たとえば殺気を感じた時……イリスさんも暗殺者からの短刀を避けることはできるでしょう? そういう感覚の問題なんですよ。目に見えないところから来る物を感じ取るのもその初歩みたいなものです。まあ、殺気とかない分こっちの方が難しいかもしれませんが、その方が練習になります。アズマが僕の攻撃を防げたのは、彼が僕の攻撃が来るところを感じ取っていたからです。来るところが分かっているのなら、ギリギリ目で追えるレベルだったとしても、防げるとは思いませんか?」
「それは……そう、ですけど……」
もちろん、これはイリスくらいの実力のある子だからこそ通じる。
常人ならば、そもそも僕の剣を防ぐほどに速くは動けないからだ。
イリスが求めるような修行ではないのかもしれないが、この方法がきっと彼女を成長させるだろう。
彼女自身を鍛えて強くするよりもまず、彼女が自身の強さを利用して戦えるようにするのだ。
「僕のように複数枚斬り捨てる必要はありません。まずは一枚を確実に――目に見えない舞い散る落ち葉を斬ること。できますか?」
僕の問いかけに、最初は戸惑いを見せていたイリスの表情が変わる。
小さく息を吐いた彼女の表情は、真剣そのものだ。
「できます。私なら――今日中にできるようになってみせます」
そう答えるイリスに、僕は微笑んで答える。
内心、今日中にできる必要はないと突っ込みを入れて。