179.負けられない
学園の敷地内で、金属のぶつかり合う音が響き渡る。
そこにいるのは、アリアと漆黒の鎧に身を包んだ騎士――アリアは二本の短刀を握り、素早い攻撃を繰り出す。
漆黒の騎士はそれを難なく受け切り、強く踏み出して一閃。アリアはそれを防いで、後方へと下がった。
「っ!」
漆黒の騎士が間髪入れることなく、アリアへと追撃を仕掛けてくる。
アリアはさらに後方へと下がり、手に持った短刀を投擲した。
漆黒の騎士はそれに反応して、どちらも弾き落とす――だが、これでいい。
すでにアリアは、次の攻撃へと移っていた。
懐から取り出した短刀を、虚空へと投げる。その先にあるのは《影》――アリアの得意とする影の魔法だ。
影の中へと入っていった短刀は、漆黒の騎士の死角から姿を現して、真っ直ぐ飛んでいく。
「――」
漆黒の騎士はその場で片足を軸に、大きく剣を振り切った。
そして、アリアの投げた死角からの短刀も全て、切り払う。
そのまま、動きを止めることなく、勢いのままにアリアの下へと駆けてくる。
(動きに無駄がない……っ。死角からの短刀にも、迷いなく反応してくる。直接、斬り合っただけでも分かる――わたしより、間違いなく強い……っ)
今のアリアの実力であれば、一等士官の騎士にも引けを取ることはない。その彼女が押されるほどに、漆黒の騎士は強いのだ。
小手先の剣技ではなく、真っ当に漆黒の騎士の剣技のレベルは高く、先ほども斬り合いを続けていれば、アリアの方が押し負けていたことを予感させた。
それが分かったからこそ、距離を取って自分の土俵に持ち込むつもりだったのだが、漆黒の騎士もそれを予期したように、アリアに距離を取らせようとしない。
(こうなったら……)
漆黒の騎士との距離はまだ、わずかにある――アリアの手元にある武器の数は十分にあるが、数が無限にあるわけではない。
それでも、直接やり合って勝機が薄いと判断すれば、アリアのやることは決まっていた。
懐から持ち得る限りの短刀を取り出して、一気に投擲する。その全ての短刀は影を通して、漆黒の騎士の周囲を覆うように取り囲んだ。
漆黒の騎士はその場で足を止めると、その全てを先ほどと同様に切り払う。
瞬間、アリアは気配を殺してすぐ近場の木の幹に隠れた。
ほんのわずかだが、注意を逸らすことでアリアは敵の視界から外れたのだ。短刀を全て弾いた漆黒の騎士は、ピタリとその場で動きを止める。
それほど離れていない位置で、アリアは身を潜めている。
だが、すぐに追撃をしてこないところを見ると、漆黒の騎士はアリアを見失ったようだ。息を殺し、気配を消し去ったまま――アリアは考える。
(……傷は、少し深いくらい。戦う分には影響はない。でも……)
仮に、ここでまともにやり合ったとして、今のアリアでは勝機が薄いことは明白であった。
認めたくはないが、漆黒の騎士の実力は完全にアリアを上回っている。
これほどの実力者をここに送り込んできた――その時点で、漆黒の騎士の狙いが誰なのか、ある程度の予想はつく。
(エーナか、イリス――女子寮にいて、狙われる可能性があるのはその二人。今、エーナはいないから……狙いはイリス? でも、敵がエーナの動向を把握しているとは思えない)
漆黒の騎士の狙いが、二人のいずれかであることは確実だ。
そして、イリスの可能性が拭えない以上――ここでアリアが漆黒の騎士をやり過ごして、逃げるという選択肢は消える。それに、アリアはアルタに、学園のことを任されているのだ。
(わたしが、あいつを倒す)
アリアは呼吸を整えて、漆黒の騎士の状況を確認した。下手に動くような仕草は見せず、漆黒の騎士はその場に留まっている。
アリアが逃げ出していないということは、漆黒の騎士も分かっているようであった。
(武器の方は、まだ大丈夫)
手持ちの短刀の数は減ったが、まだ十分に余裕はある。
だが、闇雲に放ったところで漆黒の騎士には通用しない。先ほど腕を捕らえるように糸を放ったが、それも軽く切断されて逃れられてしまっている。
確実な隙を突かなければ、漆黒の騎士を倒すことはできない。
(どうやって隙を作ればいい……? 仕留める時は投擲だけじゃダメ。直接、私が仕掛ける)
アリアは自らの戦闘経験の中から、格上である相手に勝つ方法を探る。
その時、漆黒の騎士に動きがあった。剣を構えると、刀身に魔力が帯びていくのが分かる。何か仕掛けてくる――その前に、アリアが先に動く必要があった。
(チャンスは一度きり。やるしかない)
アリアは再び、魔法を発動する。
懐から短刀を取り出して、それを次々と出現させた影へと放り込んだ。漆黒の騎士の周囲に影が出現し、次々と短刀が飛んでいく。
漆黒の騎士はすぐにそれに反応して、短刀を次々と切り払っていく。
正面、背後、上空――ありとあらゆる方角から飛ばしても、その全てが防がれる。
だが、届かないことはすでに分かっている。
アリアは手に持った二本の短刀以外の全てを使い切ると、すぐに行動に出た。
「――」
漆黒の騎士の前に姿を現したのは黒い人影。
まだ短刀による追撃が続く中、姿を現すのは決死の作戦と言えるだろう。
だが、漆黒の騎士は冷静だった。
飛んでくる短刀を弾いて、漆黒の騎士は前に出る。――そこにあったのは、ローブであった。
漆黒の騎士の動きに、わずかに動揺が走る。
瞬間、ローブを貫くようにして短刀が真っ直ぐ漆黒の騎士へと向かう。
ローブは囮に見せかけた目くらまし。そこから短刀を投げることで、わずかな隙を作り出した。
ローブから刃が抜き出る形で、漆黒の騎士へと向かう。
それでも、通用しない――漆黒の騎士はローブごと、短刀を斬り上げた。
アリアが狙ったのは、その瞬間だ。
使い切った短刀も、囮として投げたローブも、最後に投擲した短刀も――全てが陽動。
アリアは完全に気配を殺し、あえて陽動として使ったローブと短刀と同じ方角から、漆黒の騎士が剣を斬り上げた瞬間を狙って動いた。
振り切った瞬間であれば、アリアが懐に入れば狙える隙が、そこにあるからだ。
(これなら届く)
アリアは残った一本の短刀の刃先を向けて、駆ける。
作り出した一瞬の隙を無駄にしないために――しかし、踏み込んだ先でアリアは気付いた。
漆黒の騎士は剣を斬り上げたのではなく、邪魔になるローブと短刀を振り払っただけだ。
剣は完全に振り切れていないどころか、『振り下ろす』ために上げられているのが、アリアには分かった。
(読まれ――)
アリアは咄嗟に、短刀で防御の構えを取る。
漆黒の騎士は踏み込んで、剣を思いきり振り下ろした。互いの刃がぶつかり合い、ギィンと金属の折れる音が響き渡る。
アリアは地面に手を突くと、そのまま後方へと下がっていった。
握る短刀の刃はへし折れている。焼けるような熱さが、左肩から右の脇腹に向かって走る。
斬られた――それを理解するのに、時間はかからなかった。
傷口の焼けるような熱さと共に、鮮血が地面に垂れる。出血量が多く、アリアはその場に膝を突いた。
急速に血液を失ったからか、視界が定まらない。
だが、漆黒の騎士が、アリアの方に向かってくるのは分かる。
アリアは、折れた短刀を握り締めて、構える。
(まだ……わたしは、負けられない……っ)
折れた短刀だけで、勝てる見込みなどない。それでも、アリアは諦めなかった。
そんなアリアに対して、漆黒の騎士は無情にも剣を振り下ろす。
アリアの目に映ったのは、一人の少女の背中――
「どういう状況か分からないけれど、一つだけ言えることがあるわ。あなただけは、絶対に許さない……っ!」
怒りに満ちたイリスの声が、アリアの耳に届いた。






