178.学園の見回り
学園を囲う外壁の上を歩きながら、アリアは町の方に視線を送っていた。少し外側に歩けば、そこはすぐに学園周辺を覆う結界となっている。
これに反応があったとしても、生徒であるアリアは気付くことができない――故に、アリアは自ら外壁を含めて結界を張った。
魔力を込めた糸を張り巡らせ、これに何者かが触れたらすぐにアリアは気付くことができる。
万全の態勢であるが、アルタの話を聞く限りでは、敵はこの学園を狙ってくるような動きをしていない。
つまり、アルタが外にいる以上――アリアが見回ったところで、ここでは何も起こらないということだ。
「……」
それでも、アリアは学園の警備を任されたのだ。
だから、仮に敵が来ない可能性が高いとしても警戒は怠らない。
ちらりと視線を下に向ければ、この近辺だけでも数名の騎士が見回っているのが確認できる――アルタがこの場を離れているために、ここは別の騎士が多く警戒している、ということだろう。
アリアは女子寮の方へと視線を向ける――先ほど、イリスとは軽く稽古をして、いつものように一緒に夕食を摂り、お風呂に入って別れた。
彼女が何かに気付いたという様子はなく、普段通りに生活していると言える。
気取られないようにしているのだから当たり前だが、このままアルタが事件を解決してくれれば、確かにイリスを巻き込むことなく終わらせることができる。
時間は少し掛かったが、アリアもようやくその方向で納得することができた。
イリスが知れば、きっと自身も夜の町を巡回する――とでも言い始めるだろう。あるいは、授業のない日に調査に乗り出すかもしれない。
どちらにせよ、イリスならば、間違いなく何かしらの行動に出る。そうなった時、アリアはイリスを守るための行動を最優先にしてきた。
それがアリアにとって当たり前の行動であり、むしろアルタがイリスを関わらせないというのであれば、本来は『同意』すべきことだったはずなのだ。
(先生は、イリスのことを考えてくれてる。うん、だから、これでいい)
アルタならば、どれほど敵が強かったとしても負けることはない――少なくとも、アリアはそう信じていた。
彼ほど優秀で、強い剣士は見たことがない。
アリア自身、アルタと稽古を重ねてきたが、未だに『勝つ風景』が思い浮かばないのだ。
一方、イリスの成長は著しく、今のアリアが本気で戦ったとしても、おそらく勝率は低いだろう。
それくらい、イリスはどんどんアルタの強さに近づいていっている。アリアとしては、それは少し悔しいところでもあった。
(……わたしも、先生にもっと強くなる方法を相談してみようかな――)
そんなことを考えていた時、アリアの視線の先に、二人の少女が歩いているのが見えた。
そこは学園の敷地内で、まだ彼女達は学生服を着ている。すでにほとんどの生徒は寮に帰っているはずだが、今の時期になると『学園祭』のこともあり、帰宅が遅くなる生徒もいる。
二人とも、アリアのクラスメートであり、一人は実行委員でもあった。
学園祭について話していて、この時間になったのだろう。特に気にすることなく、アリアは視線を外す――瞬間、視界の端に、奇妙な存在を捉えた。
「……?」
アリアは再び視線を戻す。女子寮の方へと向かう人影――その全身は鎧に包まれている。
王国の騎士の正装とは異なり、漆黒の鎧は暗闇の中では目立たない。
だが、アリアの目は確実に漆黒の騎士の動きを見逃さなかった。
(騎士……じゃない。でも、結界には一切反応はなかった。入口だって……)
結界が壊されているわけではない――つまり、学園内に姿を現した漆黒の騎士は、結界に反応することなく入ってきた、ということになる。
部外者が結界を破壊せずに入ってくるなど、普通では不可能なはずだった。
アリアは懐から短刀を取り出して、構えを取る。
離れた距離から様子を探りながら、侵入者の正体を見極めるつもりであった――が、女子寮へと戻っていくクラスメート達が、漆黒の騎士に近づいていくのが見えた。
「あれ、誰かいるみだいだけど」
「先生……ではないようですね。暗くてよく見えませんが……」
女子生徒二人と漆黒の騎士の距離は、まだそれほど近くはない。
だが、漆黒の騎士も――二人の存在に気付いたようであった。
女子寮の方に向かっていたはずなのに、漆黒の騎士は方向を変えて生徒二人に向かって行く。
「え、ちょ、なになに……!? こっち向かってきてない!?」
「と、止まりなさい――ひっ!」
腰の下げた剣を抜き去って、漆黒の騎士は迷うことなく女子生徒二人に斬りかかった。――だが、その刃が二人に届くことはない。
「……?」
漆黒の騎士の振り上げた腕は、女子生徒に届く前にピタリ、と止まっている。
それを止めたのは、まだ離れたところにいるアリアであった。
木の上の飛び移り、アリアは糸の付いた小さな錘を投げて、漆黒の騎士の腕に巻き付けた。
自らの力で、騎士の動きを止めているのだ。
「早く、逃げてっ!」
「! ア、アリアさん……!? これは、一体――」
「いいからっ! 早くっ!」
突然の出来事で混乱している生徒達に向かって、アリアは叫ぶ。
漆黒の騎士はアリアの存在に気付き、振り向いた。その『殺気』がアリアに向けられたことは、すぐに分かる。
糸を引く力に思い切り力を込めるが、騎士が剣を握る手をわずかに脱力させると――あっとう間に腕を捕らえていた糸を切断する。
「っ!」
ぐらり、とアリアはバランスを崩すが、そのまま身体を回転させて、地面へと着地する。
すぐにアリアは漆黒の騎士の下へと駆け出した――そして、漆黒の騎士もまた、アリアの方へと向かってきていた。
アリアは素早い動きで短刀を振り、漆黒の騎士もそれに応じる。お互いに交差するように動き、振り返って再び向かい合った。
(……っ! かわしきれなかった)
アリアは脇腹に感じる痛みに気付く。
視線を向けると、服が破れて出血している。一方、アリアの刃は漆黒の騎士には届いていなかった。
強い――相対する漆黒の騎士の実力が高いことは、すぐに理解できた。
そして、自身に向けられる殺気に、アリアは息を飲む。
だが、すぐに大きく息を吸い込んで、呼吸を整える。
「どうやって忍び込んだのか分からないけど……何が狙いでここにきたの?」
「……」
漆黒の騎士は無言のまま、答えない。
アリアは短刀を構えて、姿勢を低くした。
「いいよ、答えないなら――あなたを倒して聞き出すだけだから」
直後、アリアと漆黒の騎士は同時に動き出した。






