176.アルタとヘレン
「……ものすごく静かな夜ですね」
隣を歩くヘレンは、先ほどまでの緊張した面持ちとは打って変わって、拍子抜けしたような声を漏らした。
僕はその言葉に頷く。
「そうですね。いつもと変わらない感じがします」
すでに、町中を歩く人の姿も疎らだ。
当たり前だが、僕とヘレンが巡回をしたところで、敵が襲ってくるとも限らない――だが、敵の動きを察するに、実力のある騎士を狙って犯行に及んでいることは間違いない。
僕とヘレンの動向まで確認しているか分からないが。
「あ、でもこういう時に油断したりしたらいけませんよね!? 集中しないと、集中……!」
ヘレンは自らの両頬を叩いて、真剣な表情をして前を向く。
僕はその姿を見て、思わずふっと笑みをこぼす。彼女には他人を明るくする素質があるのかもしれない。
騎士には、ヘレンのようなタイプは比較的珍しいと言えるだろう。
「敵はいつ仕掛けてくるか分かりませんからね。話を聞く限りでは、奇襲を仕掛けてくるわけではなかったようですが」
「はい。報告によると、敵は『正面から真っ直ぐやってきた』というパターンが基本のようです。闇討ちが目的にしては、やり方がおかしな気もしますね……」
「敵の目的がなんであれ、狙いが一等士官以上の騎士であるのなら、僕らが見回るだけでも意味があるはずですからね」
「確かに! 他にも一等士官が見回りしているはずですし」
ヘレンの言う通り、各地で一等士官が行動を開始しているようだ。相当な厳戒態勢と言えるだろう。
もちろん、全ての一等士官が王都に召集されているわけではなく、その数は限られている。
逆に言えば――敵が仕掛けてくるのであれば、僕らの元へやってくる可能性も十分にあり得るのだ。
レミィルも何かしらの作戦を実行しているという――上手くいけば、敵の戦力を大きく削ることだってできるかもしれない。
それに、エーナも連れてきた部下と共に行動を開始しているはずだ。
彼女達は、僕らとはまた別のルートで敵の動きを監視するために動いている。『優秀な部下』を連れていると言っていたし、エーナの実力も踏まえれば信頼できるだろう。
だから、僕のすることは変わらない――まずは、襲われた騎士達の状況を再現することだ。
学園の方は、アリアに任せてある。……イリスに今回の件を話さないことについては、一先ず納得してくれたようだが、アリアの表情は不満を訴えていたのは分かる。
仮に狙いがイリスであったのなら――僕も、彼女に話さないという選択はしなかったかもしれない。
「……」
「どうかしましたか?」
「! いえ、すみません。少し考え事をしていまして」
「考え事……もしかして、先ほどの生徒さんのことですか?」
「まあ、そんなところです」
「騎士の仕事以外に、講師に護衛の任務もしているって、アルタさんはすごいですよね」
「講師の仕事は潜入のついでですよ」
「人に教えるお仕事って大変そうですよね。私も、昔は先生とかやってみたいって思ったことがありまして」
「そうなんですか?」
「はい! 兄にはそっちの方が向いているって言われたりもしたんですけど……私は騎士の道を選んでよかったと思っています。兄の遺志を継ぐことができましたから」
ヘレンの表情は、どこか儚げに見えた。
ヘレンの兄、ベルのことについては、彼女自身は『気にしないで』とは言っていた。
けれど、彼が亡くなってから、経過した月日はまだ浅いと言える。兄の話をすると、思い出すこともあるのだろう。
ヘレンは言葉を続ける。
「騎士として、戦って死ぬことは名誉であると言われます。父も母も、兄の死を悲しんでいましたが、兄のことは『誇りに思う』と言っていましたから。私も同じです。そう言われるような、騎士になりたいって思っています」
ヘレンの表情は、決意に満ちたものへと変わる。それは、騎士として戦う決意を固めたものであると同時に、どこか不安定なものでもあった。
「ヘレンさん、君は――!」
彼女に言葉を掛けようとしたところで、僕は正面から近づいてくる気配に気付いた。
ヘレンも同様に気付いたようで、すでに腰に下げた剣の柄に触れ、構えを取っている。
正面からやってきたのは、漆黒の鎧に身を包んだ騎士であった。
「まさか、本当に姿を現すとは」
「ですが、これはチャンスです……! 敵を捕らえましょうっ!」
ヘレンの言葉に、僕も頷いて剣を抜き去った。《碧甲剣》は未だ修復中であり、僕が使っているのは全ての騎士に普及される無銘の剣だ。――場合によっては、《銀霊剣》を取り出すことにもなるだろう。
そう考えながら、漆黒の騎士と対峙した。
漆黒の騎士大量発生だ!
今年はこれで最後の更新になるかと思います!
みなさま、よいお年をお過ごしくださいませ。
来年もよろしくお願い致します!






