172.今のままで
アリアは一人、女子寮の方へと戻っていた。
アルタからイリスには話さないように、と念押しされて、それでもアリアは悩んでいた。
(先生は、イリスのことを心配してるからだろうけど……)
それはアリアも同じ気持ちだ。
仮にイリスが危険な相手と戦おうとするのならば、一人で向かわせるようなことはしたくはない。
けれど――戦いに赴くイリスを止めるようなことは、アリアにはもうできなかった。それが彼女の目指す場所であり、いるべき場所なのだということは、アリアもよく理解しているからだ。
(だから……)
――本来であれば、話すべきなのだとは思っている。アルタに止められている以上、勝手なことはできないことは分かっていた。
イリスに何も知らないままでいろ、というのは――酷な話だとアリアは考える。彼女はきっと、アルタの隣に立っていたいと願うからだ。
だからこそ、アリアは葛藤していた。
アルタの指示には従いたい、けれどイリスのことは無視できない。悩みながら歩いていると、気付けば女子寮の前に到着していた。そこで、
「あ、アリアっ!」
寮の前で待ち構えていたイリスに声を掛けられた。
「イリス……どうしたの?」
「どうしたの、じゃないでしょう。部屋に行ってもいないから、探したのよ。どこへ行っていたの?」
「それは――ちょっと、散歩に」
少し歯切れ悪く、アリアは答えた。一瞬、『アルタのところに行っていた』と正直に答えるところであった。
「ふぅん? まあ、いいけれど。それより、夕食までまだ時間あるじゃない? ちょっと付き合ってほしいの」
「付き合うって、どこに?」
「近くの少し広いところでいいわ。ちょっと試してみたいことがあって……」
「……また剣術?」
「い、いいでしょう、別に。せっかく先生との稽古も、順調に進んでいるのよ? 私だって先生を驚かせるような技を身に付けたいの!」
実にイリスらしい、とアリアは思わず笑ってしまいそうになる。彼女はいつだって、強くなることに夢中だ。
その目指す先にいる剣士を超えるために、ずっと努力を続けている。
(さっきの話……今回の『敵』は、《剣聖》を名乗ってる相手だって言ってた。強さも先生と同じくらいだって。もしもイリスが、そんな奴と戦ったら――)
イリスは逃げないだろう。全身全霊を以て、敵に立ち向かうはずだ。
たとえ勝てない相手だったとしても、イリスならきっとそうする――アリアには、それが分かる。
「……」
「アリア? どうしたの?」
「! ごめん、なんでもない。剣術の練習、だよね?」
「ええ、そうよ。大丈夫?」
「うん、いいよ。イリスがわたしより強くなれる様に、手伝ってあげる」
「な、なによ、偉そうに……今なら私の方が強いでしょ!?」
「それはどうかなー」
アリアはそう言いながら、くるりと反転して歩き出した。イリスを守る――それは、アルタと同じ思いであるには違いない。
それがアルタの選択であるのなら、アリアも今回は同じ選択をすることにした。
「待ちなさいって!」
「ねえ、イリス」
「! なによ?」
「イリスってさ。先生のこと、どう思ってるの?」
アリアはなんとなく、気になっていたことを口にした。
ここ最近、どことなく浮ついた感じがあったことは、アリアは気付いている。本当に思いつきで聞いてみたのだが、返事がない。
ちらりと振り返ると、イリスは少し頬を赤くして、視線を泳がせていた。
「ど、どうしてそんな質問をするのですか?」
「……なんで敬語?」
「と、突然変な質問するからでしょ!」
「別に変でもないと思うけど……そんな動揺すること?」
「ど、どど動揺なんてしてないわよ!?」
「……」
明らかに動揺している――というか、一気に様子が変になった。
アリアはイリスに顔を近づけて、鋭い視線を送る。
「イリス……先生となにかあった?」
「なんでそういう話になるのよ。なにもないわよ……?」
「その割には、やっぱり様子が変だけど……」
「変じゃない! あなたこそ、どうしてそんなこと聞くのよ? さては、あなたも先生に気があるんじゃないでしょうね?」
「『あなたも?』」
「あ――」
イリスが間の抜けた声を漏らす。
しばらくの沈黙の後、イリスはアリアの横を抜けて早足で歩き出す。
「と、に、か、く! 夕食の時間の前に私に付き合ってくれればいいの! なんだか変な風になったじゃない」
「変になったのはイリスだけだけど」
「うぐっ……」
ぐうの音も出ない、というような様子でイリスは前を歩く。そんな彼女の姿を見て、アリアは思わずくすりと笑った。
どうやら、イリスはアルタのことを意識しているらしい――今までもその節はあったが、今回は目に見えて分かるくらいだ。
(さっき先生と会ってたよ――って、からかいたいところだけど……)
アリアはもう、心に決めている。
今回の件はイリスには伝えない――彼女には、今のままでいてもらおう。それが、アリアの願いだからだ。






