168.いつもの稽古
放課後になり、僕は校舎裏へと一人向かった。すでに日課となっている、イリスとの修行の時間だ。
随分と実力を付けた彼女との修行は、最近では僕との模擬試合も増えてきている。
まだ僕がイリスに負けたことはないが、それでも日々、彼女が成長していることは打ち合っている僕が一番理解している。
校舎裏に到着すると、いつものメンバーであるイリスとアリアに加え、もう一人の少女がいた。
「エーナさん?」
「ふはっ、ようやく来たか。この私を待たせるとは、中々度胸のある男だ。褒めてやろう」
「ちょっと! アルタ先生は別にあなたを待たせていたわけじゃないわ」
何故かしたり顔のエーナに対して、イリスが少し咎めるような口調で言い放った。
「他の生徒に隠れて稽古、だったか? ただでさえお前達は実力が違うというのに……随分と厚遇されているじゃないか」
「それは……」
「なに、別に咎めるつもりはないさ。ただ、私もせっかくこの学園に来たのなら――お前達の稽古姿を見ておきたいと思っただけだ。それくらいなら構わないだろう? 邪魔をするつもりは毛頭ない」
「……私が、決めることではないけれど」
ちらりと、イリスは僕の方に視線を送ってくる。
僕はイリスの方を見るが、視線が合うと――何故か、イリスは視線を逸らしてしまう。……ここ最近、よく見られる光景だ。
さすがに稽古中は集中しているのか、僕と視線が合っても逸らすようなことはしない。
けれど、特に普段の時……ホームルームの時や、授業の時、イリスは僕の視線を避けるような行動を見せることがある。
彼女の機嫌を損ねるようなことでもしてしまったか――思い返してみるが、心当たりはない。
イリスにもそれとなく聞いてみたことはあるが、「普段通りですよっ」と少し慌てた返答があっただけだ。それ以降は、踏み込んだことを聞いてはいない。
まあ、きちんと稽古ができているのならば、一先ずは問題ないとは思っているが。
「エーナさんが見学をするのは構いませんよ。ただし、このことは他の生徒には他言無用でお願いしますね」
「いいだろう。私も言いふらすのは趣味ではないからな」
エーナは納得して、僕達から少し距離を取る。
これで、普段通り稽古が始められそうだ――
「ところで先生」
……と、思ったけれど、アリアが小さく手を挙げて口を開いた。
「なんでしょう? アリアさん」
「……」
僕が問い返すと、アリアはちらりと視線を僕の後方へと向けた。
そして、すぐに僕の方に視線を戻す。――それだけで、彼女の言いたいことが僕には伝わってくる。
ある程度の距離が離れていれば、気付かれることはないと思っていた。
実際、イリスやエーナは『彼女』の存在には気付いていない。
だが、やはりアリアは別格だったようだ。
ヘレンも僕の現状についてはレミィルから聞いて把握しているようで、「生徒達には勘付かれないように気を付けますっ!」と意気込んでくれていたが、アリアという規格外の少女によって早速気取られてしまった。……とはいえ、今のこの場でヘレンの存在を説明するわけにはいかない。
「どうしたの? アリア」
「……ううん、なんでもないよ。先生、稽古始めよ」
イリスの問いかけに、アリアは首を横に振ってそう言った。――どうやら、彼女は察してくれたようだ。
そして、同時にアリアには『何かある』ということを察せられてしまったことになる。
海辺の町である《リレイ》で剣客衆に狙われることになった時も、いち早く異変に気付いたのはアリアだった。
後で、何かしらのコンタクトは取ってくるかもしれない。今は一先ず、触れないでくれたことには感謝しておこう。
「では、普段通りに始めましょうか。まずはイリスさんから」
「……はい!」
僕はイリスと向かい合い、お互いに模擬剣を構える。
先ほどまでは僕と視線を合わせると、逸らすような仕草を見せていたイリスも――向かい合えばその表情は真剣そのものだ。
模擬剣での戦闘だと言うのに、彼女から向けられる気迫は確かに本物で、何度も向かい合っているというのに思わず感心してしまう。
――《剣聖姫》と呼ばれた少女は、ただそう呼ばれただけでなく、本当に《剣聖》の名を冠するに相応しい少女になろうとしているのかもしれない。
「……いつでもいいですよ」
「はい――参ります」
僕の言葉に応じて、イリスが動いた。
小細工なしの真っ向勝負。イリスは僕との距離を詰めると、模擬剣を振るった。
僕はそれを難なく捌く。だが、イリスの模擬剣はただ受け流されるのではなく、すぐに次の一撃へと移った。
僕はわずかに後方へと下がる。――受けの構えとはいえ、僕の方が押されるようになり始めたのは、特にここ最近のことだ。
「はああっ!」
続けざまに五連撃。素早く重い剣撃は、並大抵の剣士では防ぐことは叶わないだろう。
だが、僕はそれを防ぎきる。今度は僕がイリスに対して模擬剣を振るう。脇腹、太腿、そして腕――狙った剣撃はいずれもイリスに防がれ、互いの模擬剣が拮抗する。
「いい反応ですね」
「! ありがとうございます」
「では、これならどうでしょう」
――イリスの模擬剣を弾き、再び連撃を放つ。
今度は休む間を与えることなく、僕の本気の剣速だ。
「くっ……!?」
突然の猛攻に、イリスの表情から余裕は消える。
それでも、僕の『本気』を耐えようとするのはさすがだが……まだ、そう長くは持たない。
イリスに反撃をする暇も与えず、幾度か打ち合ったのちに――僕の模擬剣が、彼女の喉元を捉えた。
ピタリ、とお互いの動きが制止する。
「けれど、まだ僕に勝つには早いようですね」
「はっ、はっ……そ、そうみたい、です」
僕の言葉に、息を切らしたイリスが答えた。
「以前より動きは各段によくなっています。ですが、まだカウンターを仕掛けるタイミングに躊躇いが見られますね。出られるときに出なければ、そのまま押し切られてしまいますよ」
「……はい、精進します」
「先生、次はわたし」
「はい、では交代ですね」
少し落ち込むイリスの傍でぴょんぴょんとアリアが跳ねていたために、早々に交代して模擬試合をすることになった。
アリアも、僕との稽古を経て随分と成長したと言えるだろう。
純粋な剣士ではない彼女は、元々『実戦』レベルの戦いについては経験豊富だ。故に、『強い相手』と戦うこと自体が、彼女の成長に繋がるだろう。
「……」
そんなやり取りを、エーナはただ静かに見据えているのを、僕は横目で確認する。
彼女ならば――横槍を入れてくるくらいのことはしてくると思ったが、黙って見ているだけというのは意外だった。
「先生、早くやろう」
「そうですね。では、いつでもいいですよ」
「うん――それと先生。後で聞きたいことがあるからね」
――試合開始と共に、アリアはそんな言葉を口にして動き出したのだった。
バレバレの騎士、ヘレン……!






