149.真意
イリスは距離を詰めようとして、すぐに動きを止めた。
マリエルが持つ武器は、《百足》と《鋼糸剣》。
いずれも遠距離を得意とする武器であり、一見すればいずれかの武器であればいいと考えるだろう。アウトレンジからの一方的な攻撃を可能とする武装――だが、その使い方はいずれも異なっている。
《百足》が最大の威力を発揮するのは中距離。刃がうねる動きから繰り出される『斬撃』が、最も火力を最大とする瞬間だ。
一方の《鋼糸剣》には、高い威力を発揮する技はない。
近距離における守りの手段も存在せず、実際に使用していたフィスは回避に徹していたと聞く。
その本質は――ありとあらゆる距離でも同様の威力が発揮できるということ。近距離だろうと遠距離だろうと、如何なる場所においても火力は『最大』となる。
それを両手で本当に扱えるのか……イリスにはまだ判断がつかない。
だが、ブラフでその二本の剣を扱うとは思えない。
先ほど、魔導師達との戦闘に使用していたのは《鋼糸剣》のみだ。イリスに対しては、両方を使う必要があると判断したのだろう。
(遠距離は《鋼糸剣》、中距離から近距離は《百足》……という感じかしら)
イリスはそう判断して、道筋を過程する。マリエルにまで刃を届かせるためのルートを考え出し、彼女の『間合い』に入り込んだ。
ヒュンッと風を切る音が耳に届く。アルタに出会う前のイリスであったのなら、かわすことすらできなかったかもしれない。
今も、『目』で糸を追うことはできない。だが、『気配』で分かる。
マリエルの狙う位置を感じ取り、イリスは駆け出して――
「っ!」
眼前に迫る、《百足》の刃を見た。
イリスは《紫電》でそれを切り払う。すでにマリエルの間合いに踏み込んだ――それはよく理解している。だが、すぐに考えを改める必要があった。
マリエルは距離に応じて剣を使い分けるのではない。如何なる距離においても、両方の剣でイリスに仕掛けてくる。
性質の異なる剣の――それもとびっきり扱いの難しい剣を、マリエルは二刀流で使いこなしているのだ。
イリスの頭に過ぎるのは、『異常』と言う言葉。どちらか片方を扱うだけでも、一苦労のはずだろう。
それをどちらも使いこなしている――紛れもなく、マリエルは天才なのだと、イリスに理解させた。
「ふっ」
小さく息を吐き、イリスは周囲を確認する。
目では《百足》を、感覚で《鋼糸剣》を――それぞれ認識して、なおイリスの考えは変わらない。この『斬撃の嵐』の中を、イリスは切り抜けると決意した。
ステップを踏みながら、《鋼糸剣》の斬撃を交わし、迫りくる《百足》に対応する。
それぞれがぶつからないように、絡まないようにと操る繊細な動きに対して、イリスも合わせて動き回る。
視線を動かし、二つの武器の『弱点』を探った。
《鋼糸剣》の方は見えない上に攻撃も素早い。さらに、細かい動きも可能としている――だが、今のイリスならばギリギリで避けられる。
《百足》の方は、大振りな動きが目立ち、《鋼糸剣》を回避した後のイリスへと追撃を仕掛けてくる。
マリエルの身を守るようにして刃が動き回っている。
(……同時に動いているわけじゃ、ない?)
《鋼糸剣》を素早くかわしながら、イリスは思考を巡らせた。
それは、コンマ数秒というレベルの世界。
だが、確かに違和感がある。イリスを狙うのは《鋼糸剣》だが、決め手にしようとするのは《百足》。
イリスはマリエルの間合いに踏み込んだ時点で、最初に考えを切り替えた。
どちらも『同時』に襲い掛かってくるのならば、その波状攻撃を如何に切り抜けるのか、と。
(けれど……)
イリスの疑問は大きくなっていく。この時、この瞬間――そう思った時点で、マリエルが《百足》を動かした。
(……やっぱり!)
イリスはわずかな時間で気付く。
向かってきた《百足》を斬り払い、イリスは一度マリエルの間合いの外に出た。
「ふふっ、堪らずに距離を取ったのね。けれど正解――」
「いえ、『見た目』に惑わされるところでした。もう、私にその手は効きません」
「! 効かない? 切り抜けもせずに、よくそんなことが言い切れるわね」
「切り抜けられるから言っているんです」
「頼もしいお返事ね。だったら、見せてほしいわ」
マリエルが構える。
触れれば簡単に身体を切断する刃を自由に扱う――確かに脅威だ。
そんな中に、踏み込むのは勇気がいるだろう。
けれど、踏み込み勇気なら、イリスはとっくに持っている。
――イリスちゃんは、王になるつもりはある?
マリエルの問いを思い出す。
何をマリエルが問いたいのか。何が彼女にとっての答えなのか――それは分からない。
けれど、イリスの答えは決まっている。
彼女がイリスに『刃』を向けた時点で、その気持ちに答えなければならないのだ。
地面を踏みして、《紫電》の柄を強く握りしめる。
イリスは再び、駆け出した。
「――」
迫る《鋼糸剣》。イリスは踊るように糸の中を動き、避けていく。
回避した瞬間に、《百足》がイリスへと迫ってきた。
イリスの動きは、一気に大胆なものとなる。
《鋼糸剣》に警戒するならば、真っ直ぐ進むのなどあり得ない――だが、イリスは《百足》の刃を《紫電》で弾くと、一気にマリエルへと距離を詰めた。
百足の刃が一気にイリスに目掛けて動き始める。
だが……イリスの方が早い。
《鋼糸剣》と《百足》の二本の刃の中をイリスは駆け抜け、マリエルの喉元へと刃を突き立てる。イリスの周囲にも、《百足》の刃が触れる距離まで近づいていた。
刃が喉元に触れていても、一切動じることなくマリエルがイリスを見据えて言い放つ。
「よく、この二本の刃の中を掻い潜ったわね?」
「見た目の派手さに惑わされるところでした。でも、実際に攻撃を仕掛けてくるのは『どちらか』なんです。それに気付ければ、切り替わる時に対応すればそれほど難しい話ではないので」
「ふふっ、『難しい話ではない』、ね。そんな風に言い切れるのは、きっとこの国中を探したとしても……あなたとアルタちゃんくらいじゃないかしら?」
「先生なら、最初の一回で気付いて攻めていたかもしれません。それに、マリエルさんが『どちらか片方だけ』を使っていたなら、こんなに上手くはいかなかったです」
「あら……そこまで気付いていたのね。それで?」
マリエルが再び問いかけてくる――イリスは、刃を向けたままにはっきりと答える。
「私は……『王』になる気はありません。それが、マリエルさんの望まない答えだったとしたら、ごめんなさい。でも、私は『騎士』を目指しているから。この国で『最強の騎士』になるんです。シュヴァイツ先生よりも、誰よりも強い騎士に、です」
はっきりと、言葉にした。こんな風に明言することは、ほとんどない。
けれど、これがイリスの本当の気持ちであり、真意なのだ。
嘘偽りのない言葉で答えるのが、マリエルへの覚悟に対する答えとなるだろう。
「……そう。イリスちゃんの目指すところは『そこ』なのね」
「はい」
「――ふふっ、聞けて良かったわ。確かに、あなたはそうなるに相応しい子だとわたくしは思うの。それに、アルタちゃんもそのことは知っているんでしょう?」
「! えっと……そう、ですね。先生は、応援してくれると言ってくれました」
「そう、応援……なら、わたくしもそうしないといけないわね」
マリエルがそう言うと、ガシャンッと刃が崩れていく音がイリスの耳に届いた。《百足》が落下して、刃が散らばっているのだ。
イリスもそれに合わせて刃を下ろすと、マリエルがその場に膝を突く。
「四大貴族であるラインフェル家の令嬢――イリス様に刃を向けたこと、許される罪だとは思いません。わたくしのことは、如何様にしていただいても構いません」
「! ……頭を上げてください。私も、こうでもなければきっと言葉を濁していましたから」
王にはならない――イリスはまだ、そう答えてはならないのだ。
たとえイリスが望まなくても、周囲の者が望んでいる。
イリスが『王にはならない』と言うだけで、多くの者に影響を及ぼすことになる。
だから、イリスは『王になるべき者』が見つかるまでは、『王になるべき者』としてあり続けなければならない……それが、イリスに課せられた役割だった。
「お許しいただけるのですか?」
「はい、もちろんです」
「――ならば、今ここでわたくしは誓いましょう。シュヴァイツ家は、ラインフェル家を全面的に支持致します。たとえどのようなことがあろうとも、この先如何なる敵が現れようとも、シュヴァイツ家はラインフェル家と共にあることを。次期当主として、その言葉は必ず守ると誓いましょう」
そこまで言い終えると、マリエルが立ち上がった。
真剣な表情から、優しげな雰囲気に戻っていき、
「ふふっ、堅苦しい誓いはここまでにして――わたくしが、イリスちゃんのお姉ちゃんとして守ってあげますからね」
「えっ、えっと……ありがとう、ございます?」
少し動揺した言葉で、返してしまう。
きっと、最後の言葉までがマリエルの『真意』であると、イリスは理解した。
だからこそ、『お姉ちゃん』になるという言葉に引っかかってしまう。
「あら……疑問かしら? もしもイリスちゃんがアルタちゃんと結婚したら、わたくしはお姉ちゃんになるのに」
「……? へ? い、いえ、結婚って! どうしてそうなるんです!? 私とシュヴァイツ先生は、講師と生徒で、師匠と弟子で……そういう関係なんですっ。それ以上でもそれ以下でもないですからっ」
「ふふっ、そんなに慌てちゃって。まあ、その『真意』については問い詰めるつもりはないわ。だって、初心すぎて少し可哀そうなんだもの。さ、そろそろ全て片付いた頃かしらね」
マリエルがイリスに対して背を向けた。
彼女は冗談で言ったのかもしれない――だが、こうしてはっきりと言葉にされたのは、初めてのことかもしれない。
今日は『そのこと』を意識させられる機会も多かった。
そして、ずっとイリスの中で疑問だったことが、確信へと変わりつつあった。
(私は……シュヴァイツ先生のことが、好き?)
剣の道に生きる少女が、明確に初めて自覚した気持ちで、より深い『疑問』へと変わる瞬間であった。
実に四章の終盤までかかったのですが、イリスが別の気持ちに気付きました。






