136.アリアのしたいこと
「先生」
「何です?」
「暇だね」
「あはは、僕は決して暇をしているわけではないですよ」
気付けば、退屈そうなアリアの話し相手に僕はなっていた。
確かに、特段やることがあってここにいるわけではない。
当たり前のことだが、何も起こらなければこうして時が過ぎるのを待つだけなのだ。
さすがに寝転んで待つ――というわけにもいかないので、僕は視線をしっかりと屋敷の方には向けている。
ただし、何かが起こるような気配はなかった。……ただ、僕達のいる建物から少し離れたところに、数名の騎士がいる。
《黒狼騎士団》ではなく、《聖鎧騎士団》に所属している者達だ。
ここは丁度、騎士団の管轄としては境に当たる場所だから、向こうの騎士がいるのもおかしな話ではないのだけれど。
レミィルから話を聞いた後だと、少しばかり気にしてしまう。……同じ国の騎士団であるというのに、すでに動き始めてしまった権力争いのことだ。
僕はそういうことには一切……というのは言い過ぎかもしれないが、興味はまるでない。
お金をもらえるのならば嬉しいが、別に権力が今ほしいわけではないからだ。
その点を考えると、僕は黒狼騎士団の所属でよかったのかもしれない。
レミィルは、少なくとも私欲のために権力を得ようとする人間ではない。
あくまで彼女は騎士として、この国のために動こうとしているのだ。他の騎士団長も同じ気持ちであればまだいいのかもしれないが――
(そうだったとしたら、権力争いをするのはどのみち皮肉なもんだね)
「先生、どうしたの?」
「あ、いえ……少々考えごとをしていまして」
「ダメだよ。先生はイリスの護衛なんだから集中しないと」
「それはその通りですね。ですが、最近はイリスさんも力をつけてきましたから」
「そうやって、イリスに任せようって考えてないよね?」
「まさか」
……アリアは結構、鋭いところがある。
笑って誤魔化したが、アリアの言葉は間違ってはいない。
もちろん無理をさせるつもりはないけれど、イリスに任せられることは任せる――それが、最近の僕の考えになりつつあった。
まあ、この考えをレミィルやアリアに話せば、護衛としての役割を果たせと言われるのは間違いないだろう。……イリスは逆に喜ぶかもしれないが。
もちろん、イリスを喜ばせるためだけでも、僕が楽をするためだけに彼女に任せようっていう話ではない。
イリスに成長の機会があるのなら、それを生かす方法も考えているわけだ。
それにしては、彼女の関わる出来事は随分と大事になりやすい気もするけれど。
そういう意味だと、僕の隣にいるアリアも色々と関わりやすいタイプではある。
特に、今はエーナやメルシェも王国へとやってきている状態だ。
「そう言えば、アリアさんはこの前メルシェさんと話をされましたよね」
「うん、姉さんがたまたま近くに来たからって」
「たまたま、ですか。王国に来た理由については聞いてないですか?」
「特には聞いてない。ここでの生活とか、学校の話とか、あと先生のことも聞かれた」
「僕のこと?」
「先生の趣味とか、好きな物とか。聞かれるとあまり知らないことばっかり」
「まあ、僕って趣味とかあまりないですからね」
「戦い?」
「僕は平和主義者です」
「先生が言うと説得力ないよ。あれだけ強いのに」
「強さと主義はイコールにはならないと思いますけどね。それに強さについては、君の知っている通りですよ」
「元《剣聖》ってこと? 確かに、先生は誰にも負けないくらい強いと思う。わたしも自信はある――ううん、あったけれど、先生にはきっとどうやっても勝てない」
「そんなことはありませんよ。君もイリスさんも、その年齢にしては高い実力を誇っています。正直に言えば、僕なんかよりずっと強いです」
「わたしは、イリスみたいに誰かのために強くなろうなんて考えないから」
アリアが僕の言葉を否定した。
確かに、僕はアリアからイリスのような将来の夢については聞いたことがない。
「君は騎士になる気はあるんですか?」
「分からない。正直、あんまり興味はない」
「意外ですね。イリスさんが騎士を目指しているから、君も一緒になるものかと」
「もちろん、イリスとずっと一緒にいるつもりはあるよ。でも、わたしは騎士とかそういう仕事は、向いてないと思う。わたしの技術は『殺し』と『諜報』専門だから」
「なるほど。ですが、騎士にもそういう部隊はありますよ」
「うん、知ってる」
「それでも興味はない、と」
「イリスの支えになることは、したいと思ってる」
「そうですか。見つかるといいですね、やりたいことが」
僕がそう言うと、アリアは少しだけ眉間に皺を寄せる。
「……これってわたしの進路相談か何か? ここは学園じゃないよ」
「それでも僕は君の先生なので」
「じゃあ、先生はわたしがお願いしたら何でも言うこと聞いてくれる?」
「先生ってそういうものじゃないですけどね? けれど、叶えられることなら聞いてあげますよ」
「先生なら――むしろ、先生にしか叶えられないことだと思う」
「何ですか?」
「わたしをね、イリスより強くしてほしい」
アリアははっきりとそんな願いを口にした。彼女の表情は真剣で迷いがない。
それを強く願っていることだと、よく分かる。
――どうしてそんな願いが出るのか、僕にも何となく分かるけれど。
「イリスさんより、ですか」
「そう。先生と今話してて、気付いたから。将来の夢とか興味はないけど、やりたいことは分かってる。わたしがイリスを守る。そうするためには、イリスより強くならないといけないから。それと、先生よりも」
「確かに、その通りですね」
アリアが明確に、ここまで『強くなりたい』と口にしたのは初めてだ。……元々はイリスの修行に付き合うという目的しかなかったはずの彼女が、自らの意志で強くなりたいと願っている。これも、ある意味では成長というものなのだろうか。
「もちろん、イリスだけじゃなくて先生よりも強く」
「先ほどは僕には勝てないって諦めていたじゃないですか」
「先生が言ったんだよ? 『僕なんかよりも強い』って。わたしは先生のことは信じてることにしてるから、強くなる気になった。それで、イリスがみんなを守るなら、わたしはイリスを守る――それが、今のわたしのしたいこと。どう?」
「君がしたいことなら応援しますよ」
「じゃあ、稽古しよ?」
アリアがそう言うと、懐から短刀を取り出す。……模擬剣などではなく、シンプルに彼女が愛用している武器だ。
「いや、僕は今仕事中ですから。それに、『護衛として集中しろ』て言ったのは君ですよ?」
「……確かに。じゃあ、これが終わったらね」
アリアが武器を懐に戻そうとした時、不意に後方に振り返り構えを取る。
僕も気付いていたが、ここに誰かが近づいてきていた。
「……誰?」
「最近の学生は随分と物騒になったものだ。それとも、それが君の教えの賜物かね――アルタ・シュヴァイツ一等士官」
「……ヘイロン・スティレット騎士団長」
僕の前にやってきたのは、隣の地区を統括する男であった。






