134.乙女心
王都内には明確に地区を区分けする目印が、看板として記されている。
これは王都で暮らす人々にとっての指標でもあり、同時に騎士達にとって管轄を分かりやすくするものであった。
西側に位置する《オレンソ区画》と南側に位置する《フェンコール区画》の丁度、中間あたりに位置する建物――そこが、今日行われるラインフェル家とラーンベルク家の会合の舞台であった。
貴族間でのパーティなどに扱われる屋敷で、たった二つの家柄のために使われるには大きくも思えるが、王国内における四大貴族のうちの二家が話し合う場所であれば、丁度良いのかもしれない。
僕は近くの建物の屋上で、屋敷の様子を窺っていた。
イリスの護衛という立場にはあるが、今回は話し合う内容が内容だ。
僕は建物の中に入れず、イリスが代わりに連れたのはラインフェル家に仕える執事の男性であった。
白髪で老年の男性は、イリスの祖父の代から仕えていたというベテランらしく、イリスは断ったらしいのだが、彼女の傍で護衛を務めあげるという話だ。
お互いの当主は出席することはなく、本人同士で取り決めを行うとのことだが。
「まあ、イリスが婚約なんて受けるはずないよ」
「そうですね。イリスさん自身がそう言ってましたから。……それよりも、何故ここに?」
僕は嘆息しながら、横に立つ少女――アリアに声をかけた。
私服姿の彼女はきょとんとした表情を浮かべる。
「なんで?」
「いや、それは僕の台詞ですって。今日は平日ですよ」
「先生もイリスも学園にいないよ」
「二人でお休みを取りましたからね」
「それなら、わたしが休んだって問題ない」
「先に許可が必要なんですよ」
「……イリスが教えてくれなかったから」
やや不服そうに唇を尖らせながら、アリアが言った。
どうやら、今日の話は本当に限られた立場の人間しか知らされていないようだ。
何せ、常に一緒にいるアリアすら聞かされていなかったのだから。
「君にイリスさんが話さないとは珍しいですね」
「わたしに教えてくれたら相手のこと、全部調べ上げておいたのに」
「君に話さない理由が分かった気がします」
アリアに話すと、色々とこじれそうな気がしたのだろう。冗談ではなく、アリアならば本気でそういうことをしかねない。
特に、イリスに関することであれば全力を出すだろう。
アリアは太腿辺りに手を伸ばすと、一本の短刀を取り出す。
「変な奴だったら、わたしが容赦しない」
「発言だけでも問題になりかねないのでやめてください」
「……先生は、何でイリスの傍にいないの?」
「今、イリスさんの傍には執事の方が護衛に付いていますから」
「執事……ウェルマンかな」
執事の名は聞いていないが、アリアにも思い当たる人物はいるのだろう。彼女はラインフェル家でイリスと共に一緒に暮らしていた身だ。
そういう意味だと、養子のような使いとはいえ、アリアも貴族の一員に近い立ち位置にはなるのだろう。
「おそらくその方でしょう。ご老体でしたが、僕から見ても実力者かとは思います」
「ウェルマンは確かに強いよ。でも、イリスは先生が傍にいるから安心できるんだと思う」
「ですから、僕はここにいるんですよ」
「……先生は子供なのに、何だか大人みたいなところあると思ってた。けど、やっぱり子供だよね」
「? どういう意味ですか?」
「『乙女心』」
アリアからそんな言葉が出てくるとは思わず、僕は面を食らう。
「僕には分からないものかもしれませんね。アリアさんは乙女心に詳しいんですか?」
「本で見た」
「意外ですね。アリアさんがそんな本を読むなんて」
「わたしじゃなくて、イリスの部屋にあったから」
「イリスさんもそういう本を読むんですね」
「最近たまに読んだりしてる。先生ってイリスの趣味とか知ってる?」
「イリスさんの趣味ですか? 剣の修行だと思ってますが」
「そうだけど、実はイリスって可愛い物も好きだよ」
「! それは意外ですね」
「……そういうところが分かってないってこと」
ジト目でアリアに言われ、僕は苦笑いを浮かべる。
イリスの護衛として、そして剣の師匠として――彼女とはまだ短い関係ではあるが、そう言われると、僕はイリスのことをまだ多く知らないかもしれない。
「とにかく、先生はイリスの傍にいるべき」
「アリアさんの言いたいことは何となく分かりますが、特に大貴族の話はデリケートですから。僕がその場に立ち会うわけにもいきません」
「だから、ここにいるの?」
「何かあればすぐに駆け付けられるようにしてますから。それより、僕はアリアさんに注意をしないといけません」
「わたし?」
「先ほども言ったように、無断欠席はダメですよ。後で反省文を提出してください。今更戻っても仕方ないので、今はここにいてもよいですが」
「……分かった。イリスに一緒に書いてもらう」
地味にイリスに飛び火したが、おそらくアリアの頼みならばイリスも手伝うだろう。……とはいえ、僕はあくまでここで状況の行く末を見守るだけだ。
一応、僕からイリスに伝えるべきことは伝えてある。
『騎士になるために婚約はしない』――それを言うのは構わないが、王になるつもりはないと明言するにはまだ早い、と。






