13.戦いたい理由
イリスを連れて、僕は校舎の方へと戻っていた。
イリスの怪我は肩をかすめた短刀による傷くらいで、強力な麻痺毒を受けたようだがその治療も終わっている。
今は応接室で向き合う形となっていた。
「一先ず、イリスさんが無事でよかったですよ」
「……はい。先生がいなければ、私もどうなっていたか分かりませんでした」
俯き加減でそう答えるイリス。
実際、イリスがまともにアズマと戦っていたら、どちらが勝っていたか分からない。
そもそも、彼女は暗殺者の毒によって追い込まれてしまったのだから。
不意打ちとはいえ、イリスには足りないものがある――経験だ。
いくら彼女が強いと言っても、それはあくまで決められたルールの中での戦いを想定している。
一対一で向き合っての戦いが始まることの方が少ないだろう。
どちらかが仕掛け、それに対しどう対応するか。それは経験が物を言う世界だ。
「シュヴァイツ先生、一応確認させてもらってもいいですか?」
「何です?」
「その……私は先生を捕まえました、よね?」
イリスが歯切れ悪く、そう問いかける。
どうやら先ほどは必死だったようで、彼女が確認したいのは僕の提案した条件のことらしい。
確かに、僕は制限時間内にイリスに捕まった――あれほどのイレギュラーな事態があったとしても、その事実だけは本当だ。
ふう、と小さく息を吐いてから、僕は答える。
「まずは状況を考えてください。イリスさん、君は命を狙われたんですよ?」
「それは……分かっています」
「分かっているのなら、捕まえた捕まえていないというのが今重要なことですか?」
「私にとっては重要なんですっ」
「――そんなに、僕と戦いたいんですか?」
改めて問いかける。
僕を捕まえることができたら、僕はイリスと本気で戦うという条件を掲示した。
その条件を半ば諦めさせるために、僕は彼女の前で暗殺者達と戦った。
彼女クラスなら、僕の剣を目で追うこともできたかもしれない。
けれど、決定的な差はある――それを理解させるつもりだった。
イリスは僕の言葉を聞いても、拳を握り締めながら頷く。
「……はい」
「そうですか。確かに、そう答えられてしまうと君は条件を満たしたことになりますね」
「! それじゃあ……!」
「その前に、理由を聞いてもいいですか?」
「理由、ですか」
「それはそうですよ。いくら君が《剣聖姫》と呼ばれるほどに強いと言っても、僕はこの学園の講師なんです。赴任したばかりでもそれは変わりません。講師である僕が、生徒である君と本気で戦わなければならない理由は聞いておかないと」
僕の言葉に、イリスは少し迷ったような仕草を見せた。
けれど、少しの沈黙の後、彼女は真剣な表情で僕を見て言い放つ。
「私は……正直、伸び悩んでいます。周囲から高く評価されて、かの《剣聖》と同じ名前である剣聖姫なんて名前で呼ばれるようになったのに……。私はそれから、強くなれていないんです」
「強くなれていない、ですか」
「はい。そんな時、シュヴァイツ先生がやってきました。本当に子供が先生になるなんてどうかしてる――そう思っていました。けれど、あなたは私より強かった。模擬戦とはいえ、私が本当に勝てないと思ったのは、初めてです。だから、私はあなたの本気を見てみたかったんです」
「なるほど、言いたいことは分かりました」
イリスが僕と戦いたい理由――何となく理解できた。
成長できていないと感じる中で、僕という年齢が下なのに実力が上の人間がやってきたのだ。
彼女にとっては強さで上回る人間と全力で戦うことが、壁を打ち破るために必要なのだろう。
それは実際に間違った考えではない。
自身より上の相手がいなければ、強くなれないという経験は僕も味わったことがある。
イリスはまさにそんな状況なのだろう。
それは、命を狙われていたにも拘わらず――憶することなく強さを探求する、イリスという少女がどういう人物か理解するには十分だった。
(……とはいえ、そうなると戦いを見せたのが逆効果だったわけだ)
僕と戦えば、彼女はより上のステップへいけると思っている。
僕も、イリスはまだ発展途上だとは感じる。
それこそ戦いにおいて経験が足りていないし、そういったものを培うなら僕みたいなレベルの人間と戦うのは良い機会だろう。
つまり、僕の選択肢は二つに一つ。
彼女の成長を助けるか、助けないかのどちらかだ。
(イリスさんが今より強くなってくれると、僕としては楽ではあるけど……)
そう楽観視できる事態でもなさそうだ。
イリスが狙われているかもしれない、という段階であればまだ良かった。
けれど、もうイリスが一人になったところを狙う暗殺者がやってきたのだ。
僕が来るのがあと二日遅ければ、ひょっとしたら彼女はここにいないのかもしれない。
そんな状況で、僕はイリスの護衛をしつつ講師職をしながら、イリスの成長の手助けをする――
(さすがに、やること多いなぁ……)
正直、迷ってしまう。迷ってしまうが、イリスを強くすることは講師職の一環であるとも考えられる。
そして、強くなってくれれば文字通り護衛は不要――僕の役目もそこで終わりだ。
イリスを守るためにやってきた《騎士》だと明言すれば、ひょっとすれば彼女の方から騎士団へ連絡が行き、護衛任務が解消となる可能性もある。
それでも騎士団長であるレミィルなら、講師でなくても護衛はできるとか言いそうではある。
そのあたりは黙っておいた方がよさそうだ。
「先生……?」
ずっと黙って考えていた僕のことが気になったのか、イリスが心配そうな表情で声をかける。
彼女は僕に守られたいのではなく、一人で身を守れるように強くなりたいと思っているのだ。
そんな必要はないと言い切ることは僕にはできない。
身を守れるのなら、それに越したことはないからだ。
(そうなると……僕のやるべきことは一つかなぁ)
「……分かりました」
「戦ってくれるんですか!?」
「いえ、少し違います。イリスさんが望む結果が得られるまでに、何度戦うことになるか分かりませんから」
「っ! そ、それは、頑張りますから」
「頑張るのはもちろんのことですが、もう少し効率的にいこうかと思いまして」
「……効率的、ですか?」
「はい。いいですか、本来は講師である僕が一人を特別扱いすることはありません。でも、今回は特別の特別です。僕が、君に稽古をつけましょう」
考えに考えた結果――イリスの傍で彼女を守るのならば、そういう関係性に一先ず落ち着けるのが一番だと結論付けた。
どのみち護衛任務なら、イリスとはお近づきになっていた方が何かと楽だ。
こんな形で彼女と接近することになるとは思わなかったが。
僕の言葉を聞いてイリスは目を丸くしていたが、やがて嬉しそうに笑みを浮かべて、
「はいっ、宜しくお願いしますっ!」
そう言って頭を下げた。
講師職を始めて二日目にして、僕は護衛対象の先生であり、同時に師匠となることになった。