127.マリエルの思惑
マリエルはレミィルに案内されて、妹のクロエと共に応接室へとやってきていた。
「まさか、直接本部にやって来るとはね。《黒狼騎士団》の支部で待っていてくれたらよかったのに」
「うふふっ、せっかくですもの。王都を色々と見ておこうと思って。ね、クロエ?」
「わ、わたしは別に……」
余所余所しい雰囲気のクロエに、マリエルはくすりと笑みを浮かべる。
まるで借りてきた猫とも言うべきか。いずれは『騎士になりたい』という夢を持っている彼女だからこそ、こういう場所では緊張しているのかもしれない。
「それで、マリエル嬢――どういった用件でここに?」
「うふふっ、用件ならすでに分かっているのではなくて?」
マリエルは笑顔を崩すことなく、レミィルに対して言い放った。
レミィルもまた、ふっと笑みを浮かべたままに答える。
「いや、心当たりはないが」
「あら、あらあら。わたくしが貴女に用があるとしたら――アルタちゃんのことしかないでしょう?」
「アルタ――シュヴァイツ一等士官、か。近況ならば、彼からも連絡を受けていると思うが」
「ええ、もちろん。その近況を受けて、改めて貴女とお話をしようと思ったんだもの」
「……私と?」
「そう。アルタちゃんなのだけれど……イリスちゃんの護衛の任務から、外してもらえないかしら?」
「――何だって?」
マリエルの言葉に、レミィルの視線が鋭くなる。どうやら、そんな提案をされるとは考えていなかったようだ。
隣に座るクロエも、驚いたような表情を見せる。
マリエルはくすりと笑みを浮かべた。
「驚くことかしら」
「突然そう言われれば、驚きもするさ。理由を聞かせてもらっても?」
「理由は至極単純よ。イリスちゃんを狙った……《剣客衆》、だったかしら? 他にも帝国の組織の関連も含めて、随分と無茶をしている話ばかり。もちろん、それが騎士としての役割だというのは分かっているつもりよ? でもね――イリスちゃんを狙っていた剣客衆が、アルタちゃんまで狙ったそうね。そうなると、全く話は別になるの。シュヴァイツ家にまで危機が及ぶ可能性があると思わない?」
「それは……」
マリエルの問いに、レミィルは言葉を詰まらせる。
――騎士になった以上、アルタが戦いで命を落とす可能性については理解している。彼も、それが分かっていて騎士になったのだ。
故に、その点についてとやかく言うつもりはない。問題視しているのは、《黒狼騎士団》がアルタに頼り過ぎているのではないかということ。
「地方貴族でも、王国の状況くらいは耳に入ってくるの。これから、王国内は権力争いが激化する様相を見せる……それは間違いないでしょう? そんな中に、シュヴァイツ家を代表する騎士として、そして黒狼騎士団を代表とする騎士として――イリスちゃんを守る立場にいるということ。それはすなわち、シュヴァイツ家はイリスちゃんを支持することになるわ」
「それはつまり、シュヴァイツ家はラインフェル嬢を支持しない、と?」
「! な、ど、どういうことですか! 姉様っ!」
レミィルの発言に大きく反応したのは、マリエルの隣に座るクロエだった。
立ち上がり、動揺した様子を見せるクロエに対し、マリエルは優しげな笑みを浮かべて言う。
「慌てないで、クロエちゃん。まだお話の途中だから」
「で、でも……」
「大丈夫だから、ね?」
「……はい」
マリエルの言葉に従い、クロエは頷いて再び席に着く。
再度、マリエルはレミィルに視線を向けて話を続ける。
「支持しないとはまだ言っていないわ。さっきね、イリスちゃんとも会ってきたの」
「! ラインフェル嬢と?」
「ええ、とっても良い子ね。困っている人を放っておけない……貴族はどうしても、傲慢になりがちな子が多いのだけれど、あの子は別。自分がどういう立場にあって、何をすべきかをよく理解している――そのはずなのに、一番大事な《王》候補としての自覚は感じられない。……というより、意識していないのね。その認識に相違はないかしら?」
「ああ、その点については相違ない」
レミィルもはっきりと答える。
イリスは――この国の王という立場に興味がない。前々から、それはマリエルもよく理解していることだった。
精力的に他の貴族達から支持を得ようとしているわけではない。
ただ、彼女はその在り方だけで――支持されている。それはあるべき姿なのかもしれないが、彼女自身がその立場を望んでいないのだから、問題なのだ。
「だが、ラインフェル嬢の説得も検討はしている」
「……説得? うふふっ、レミィルさんも、面白いことを言うのね?」
「冗談を言ったつもりはないけれどね」
「無理なのは分かっているでしょう? アルタちゃんからもらった手紙だけでも、イリスちゃんが随分頑固者だということは分かるわ。彼女、よく無理をするみたいじゃない?」
「それも……否定はできないね」
「そんな子が、『王になれ』と言われて果たして……簡単に『なる』と答えるかしら。わたくしはそうは思わないわ。わたくしが『騎士』にならなかったように、あの子も王にはきっとならない」
マリエルは――騎士になれる実力があった。それに、レミィルにもかつて、勧誘されたことがある。けれど、その道を選ぶことはしなかった。
もちろん、立場は全く違う。けれど、少し話しただけで分かる。
イリスは強い意志を持っているタイプだ。そんな子が、レミィルの説得で動くとはマリエルは考えていない。
「……それで、シュヴァイツ一等士官を護衛任務から外せ、と」
「ええ、騎士をやめろとは言っていないの。ただ、必ず負ける権力争いに参加するつもりはないってだけ」
負け戦――王にならない以上、イリスを支持する意味はない。そう遠くない未来に、他の者達も気付くだろう。
イリス・ラインフェルは貴族であり、そして『騎士』を目指す少女だ。
故に、王になることは決してあり得ない。そんな者を支持したところで、何も得られるものなどない、と。
マリエルは真っ当に、シュヴァイツ家の代表として意見を述べた。
言葉を詰まらせるレミィルに対して、マリエルはまた優しげな笑みを浮かべる。
「うふふ……ここまではシュヴァイツ家としての意見よ。でもね、シュヴァイツ家の総意ではないの」
「! と言うと?」
「隣に座っているクロエちゃんは当然として、わたくしもそんな理由でアルタちゃんの仕事を邪魔したいとは思わない。これは、マリエル・シュヴァイツとしての個人的な意見なのだけれど」
「それはつまり、シュヴァイツ一等士官をただ外せ、と言いに来たわけではない……ということでいいのかな?」
「ええ、それなら書簡で伝えるだけで十分だもの。わたくしが確かめに来たのは手紙では分からないこと。イリスちゃんの人柄。それに、彼女を支持する価値があるかどうか」
「ラインフェル嬢の価値……それは、先ほど出会って分かった、というところかな?」
「いいえ、それはこれから見定めるつもりなの。ですから、貴女にお願いがあってここに来たのよ」
「お願い、か。それでシュヴァイツ一等士官の立場に納得してもらえるのならば、ありがたい話ではあるが」
「元々、わたくし達が言ったところで……きっとアルタちゃんも納得しないわ。だから、シュヴァイツ家の次期当主として、わたくしがイリスちゃんを支持するに値するか見極めることにしたの。これは、現当主であるお父様から許可を得たことよ」
「なるほど。では、しばらくは王都に?」
「滞在する予定よ。ただ、ここに来たのはそのお話をするためだけじゃないの」
「それでお願いということか。可能である範囲ならば応えるが」
「とっても簡単なお願いよ。黒狼騎士団が管理している剣を、貸してほしいのだけれど」
マリエルが言い放つと、レミィルが怪訝そうな表情を浮かべて、すぐに何かに気付いたようにハッとした表情を浮かべる。
マリエルは――相変わらず笑みを浮かべたままだった。






