119.一つの進歩
数日が経過した頃、僕は騎士団が管理する病院の一室を訪れる。
決して広くはない個室の中。窓の外を見つめる少女――ルイノがいた。
ちらりと、彼女は僕の方に視線を向ける。
「……何か用?」
随分と、素っ気ない態度であった。
僕は苦笑いを浮かべながら、ベッドの近くにある椅子に腰掛ける。
「容態を確認しに来たんだけどね」
「見ての通り、もう元気だよ。にひっ、もしかして……心配してきたの?」
「どうだろうね。前みたいにすぐ襲いかかってくるようなら、元気だと分かるけれど」
「……今は刀もないし。それに、あなたと戦う前に、倒さないといけない人がいるから」
不服そうな表情を浮かべながらも、ルイノはそう口にする。『倒さないといけない人』――それは、イリスのことだろう。
言葉の意味をそのまま受け取れば、ルイノはまだ好戦的なようにも思えるが……態度だけ見れば随分としおらしい。
イリスに敗北し、『生かされた』という事実を、改めて理解したのかもしれない。
戦いの後に、敗者は『死』しかない。そんな生活を続けてきただろう。
負けるのも生き延びるのも、修羅の道を歩み始めたルイノにとっては、初めての経験なのだ。
戸惑いもするだろう。
「イリスさんは、強かっただろう?」
「……にひっ、甘い考えの人間だと思ってたけどね」
「甘くなんかないさ。誰も彼も守りたい――口でいうのは容易いが、それを本当に実行するとなれば……誰よりも強くならなければならない」
「どんなに強くなったって、皆を救うことなんてできないよ」
「そうだね。けれど、全てを諦めてしまうのと、諦めないのではまるで違うんだよ」
「……そんなこと、あたしに言われても分かんないよ。それに、あたしは別に、諦めたわけじゃない」
「ああ、そうだ。だからこそ、君は強くなるために戦っている。今もそうだろう? ただ、これからは少しやり方を変えるんだね」
「……やり方?」
「君はしばらくは……《黒狼騎士団》の観察処分となる。君が《剣客衆》を二人打ち倒したという実績はあるけれど、イリスさんと派手にやりやってしまったからね。イリスさんは、そんな処分を望んでいたわけじゃないけれど、こればかりは仕方ない」
「観察処分、ね。にひっ、本当に、あたしを殺す気はないんだね」
「ああ……これは、イリスさんが得た勝利の結果だからね」
「ちなみに、あなたと戦ってたらどうだったの? あなたも、あたしのことは殺さなかった?」
ルイノが笑みを浮かべて、確かめるように聞いてきた。
僕は――彼女がソウキの孫娘であることは分かっている。
それを分かった上で、
「必要であればそうするよ。僕は、そういうことができる人間なんでね」
「……にひっ、二人揃って同じこと言うんだ。でも
あなたの方は、本当に殺しそうだね」
わずかに空気が張り詰める。
すぐにでも戦いが始まるような雰囲気であったが、ルイノが身を投げ出すようにしてベッドに横になる。
「いいよ。どのみち、あたしは負けた人間だから……今は従ってあげる」
「そうしてもらえると助かるよ。さて、僕はそろそろ行くけれど……最後に一つだけ、伝言がある」
「……伝言?」
「ああ、剣客衆の一人、リグルス・ハーヴェイからだ。『最後の一撃は、とても綺麗だった』――それが伝言だ」
「……ふぅん」
ルイノは視線を逸らし、興味なさげに呟く。
リグルス・ハーヴェイが誰なのかも、ルイノには分かっていないだろう。
その事実も、僕からは伝えることはしない。
ただそれでも――その言葉を聞いたルイノの表情は、少しだけ嬉しそうに見えた。
(褒められると、誰でも嬉しいものなんだろうね)
僕は病室を出て、帰路につく。
ルイノについてはまだまだこれからだ――けれど、少なくとも僕は、彼女についても見守るつもりだ。
それが、僕を友人と呼んだ男に対して……本当の意味でしてやれる残されたことだ。
(……ああ、そうか――)
僕はそこで、ようやく一つのことを理解する。
ラウル・イザルフもまた……彼のことを友人だと思っていたのだ、と。
そうでなければ、こんな面倒なことはしない。
(友達がいた経験なんてほとんどないから、気付くのに遅れたかな?)
自嘲気味にそんなことを考えながら、僕は病院を後にした。
***
平穏な日々というのは、これほどまでに良いものなのかと、僕は改めて実感した。
ここ数日はレミィルからの呼び出しもなく、学園での講師の業務がメインとなりつつある。
命を狙われる経験は久しぶりであったが……やはりこうして心配事なく過ごせるのが一番だろう。
――まあ、心配事はないわけではないのだけれど、そういうことは、今考えることではない。
授業も終わったことだし、今日は仕事を早めに片付けて部屋に戻ろう……そう思っていると、廊下を曲がるところで――三人の少女が話しているところに出くわした。
「あ、シュヴァイツ先生」
「イリスさんにアリアさん――それに、ミネイさん?」
「アルタ君、お疲れ!」
ミネイの軽い挨拶を受けて、僕は苦笑いをしながら返す。
「ミネイさん、先生ですよ」
「そうよ、ロットーさん。シュヴァイツ先生には尊敬の念をはらわないと」
「イリス様がそう言うなら……」
「『様』は付けなくてもいいわ」
「あ、そうだった。えっと、イリス――や、やっぱり呼び捨ては難しいですよぉ!」
そんなやり取りをしながらも、イリスとミネイはどことなく仲良さげだ。
以前は、ミネイが畏れ多いといった様子で引き下がっていたようにも見えたが。
どういうことなのだろう。
「イリスがミネイを助けたのがキッカケ。そこから、イリスもこの子と話す機会ができた」
「……なるほど」
耳打ちするようにアリアから教えられて、理解する。
イリスがミネイを助けた――どうやら、あの時のことがあったから、クラスメートと距離を縮めることができたらしい。
ひょっとしたら、逆に距離が開いてしまうのではないかと思っていたが。
「ミネイは、イリスと先生の間に『何か』あるんじゃないかって思ってたらしいよ?」
「……何か? 何かとは――」
「さっきから、アリアと先生は何を話しているの?」
「!」
不意に声をかけられ、アリアが小さく反応する。
サッと僕から距離を取り、意味ありげな様相を見せた。……わざとやっているのだろうか。
そう思うこともあるが、
「内緒話してた」
次のアリアの一言で確信に変わる。
アリアはわざとやっている。
「そ、そう。私の前で内緒話、ね。先生と……」
ちらりと、イリスが僕の方を見る。
別に、内緒にするような話などしていないのだが。
「先生、アリアと何を話していらっしゃったんですか?」
「大層な話ではありませんよ。ただ――」
「先生、言っちゃダメ」
しかし、答えようとした僕を、アリアが制止する。
イリスが眉をひそめて、アリアの方を見た。
「何? 隠すようなことなの?」
「イリスのために隠してる」
「私のため……? 私に隠さないといけないことなんてないでしょう!」
イリスがアリアに詰め寄る。
そんな様子を見て、ミネイもイリスを諌めようとする。
「ま、まあまあ。内緒話の一つや二つはありますって!」
「それはそうだけど……」
「焼きもち?」
「! べ、別にそんなのじゃないわ。ただ、隠されるのは好きではないけれど」
アリアの言葉に、露骨な反応を示すイリス。
そうして、再び僕の方を見た。
イリスに対しては――僕が狙われていることを隠そうとした。
そのことを、まだ気にしているのかもしれない。
「いや、本当に隠すような話はしてないですよ。アリアさんも、意味深なことはしないように」
「うん。ちょっとイリスをからかっただけ」
「もう……そういうのはやめてよ」
「でも、私からするとイリス様――さんと、先生の関係の方が気になりますよ! だって、海辺でも二人とも姿見なくなってましたし」
「! そ、それは……」
イリスがわずかに動揺を見せる。
だが、すぐにこほんと咳払いをして、イリスはミネイの言葉に答える。
「私と先生の関係なんて――」
「泳げないイリスに、アルタ先生が泳ぎを教えてただけだよね」
「へ……? 泳げない……?」
「な……!? ア、アリアっ! また余計なこと――ってこら! 逃がさないわよ!」
颯爽と逃げ出すアリアを、イリスが追いかけていく。
ミネイも慌てて、二人を追いかけていった。
……どうやら、イリスとアリアも、少しはクラスメートと関係を持つ気持ちができたようだ。
僕らの関係を変に探られないようにする意味もあるのかもしれないが、それでも進歩の一つだと言えるだろう。
ただ、
「廊下は走らないようにしてくださいね。僕が怒られるので」
すでに走り去ったあの子達に言ったところで無意味かもしれないが、講師らしいことは言っておこうと思う。
しばらくは、ゆっくりとした日々を満喫させてもらおう――そんな決意を、僕は固めたのだった。
これで第三章は完結となります。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます!
引き続き宜しくお願い致します!
第四章については、バトル多めになりがちなこの作品で遂にラブコメが……? となる話を考えておりますが、そうなるか分かりません!
キーワード的には『婚約者』、『姉と妹』……こんな感じでしょうか。
楽しんでいただけるように頑張っていきますので、引き続き応援いただけますと嬉しいです!






