109.ルイノとゼナス
ルイノにとって戦いとは、『生活の一部』のようなものであった。
凶悪な魔物が跋扈する森の中で生活をすれば、それだけで感覚が研ぎ澄まされ、身体的な強化にも繋がる。強者とは、『恐怖』の感情を持たないものである――ルイノはそう考えて、その感情を捨て去る生き方を続けてきた。
誰もが恐れる『死への恐怖』すらも克服し、ルイノは修羅としての道を歩むことを選んだのだ。
故に、目の前に立つ光景にも微塵の恐怖は感じない。
真っ赤に流れ続ける血液。それが飛び散り、刃のようになって周囲に放たれる。
《剣客衆》ゼナス・ラーデイ――自らの身体を鮮血に染め上げる彼の戦い方は、常人ならばそれを見ただけで恐れを抱くだろう。
そんな感情を持たないルイノは、ゼナスを見てにやりと口元を歪める。
「にひっ、いい表情だね。殺したくて殺したくて堪らない……そんな感じだよ」
「当たり前、だ。ルイノ・トムラ……俺は、お前だけは必ず、殺す」
「にひひっ、いいねっ! そういう殺意は大事だよ。でも、どうしてあたしなのかな?」
「お前は、俺の友を、殺した」
「友? 誰のこと?」
「ロウエル、だ!」
ゼナスが表情に怒りを滲ませながら、剣を振るう。鮮血に染まった赤い剣から放たれるのは――『血の刃』。
三日月のような形で、ルイノの下へと刃が飛翔する。ルイノは身体を翻すようにして、それをかわす。
トンッと地面に爪先で触れると、瞬時にゼナスとの距離を詰めた。
「ロウエルって……誰だっけ?」
「お前ッ!」
ルイノとゼナスの剣が交わる。
絶えず血で濡れた刃から飛び散る鮮血は小さな刃となり、ルイノの皮膚をかすめ、肉を抉った。
だが、その程度の攻撃であれば、ルイノが怯むことはない。
「にひひっ、ごめんごめん。ちゃんと覚えてるよっ! 中々強かったもんね、あなたの友達」
「当たり前、だ」
「剣客衆でも友達関係とかあるんだ。それで、あたしを狙ってるの?」
「そうだ……お前だけは、殺す」
「『お前だけ』、ねぇ。ふふっ、今までだって、たくさん殺してきたんだよね? あなたを殺したいと思ってる人も、たくさんいそうだね?」
「……何が、言いたい」
「にひっ、『戦場には死神がいる』――それだけだよ」
ルイノがゼナスの剣を弾き、わずかに距離を取る。
だが、すぐに地面を蹴って距離を詰めた。
ルイノの刀とゼナスの剣が再び交わる。
ゼナスが剣を振るうたびに、飛び散る血液が結晶化し、刃となって周囲へ飛散する。
見れば、ゼナスの身体に模様が浮かび上がり、うっすらと魔力の輝きを帯びている。血液を武器にできるように、身体に術式を刻み込んでいるのだろう。
対するルイノは、そんな魔法を含めた技術は使わない。純粋な剣術と、身体強化を促すために魔力を使うだけだ。
ルイノの身体も、徐々に赤色に染まっていく。
皮膚を掠める程度の痛みなど、ルイノにとってはないに等しい。
刀を振るい、ゼナスを確実に仕留めるための一瞬を狙う。
(意外と隙がないなぁ)
だが、そんな簡単にいくものではなかった。
ゼナスの剣術はお世辞にも優れたものとは言えず、むしろ剣客衆の中で言えば、レベルが低いともとれる。ルイノからすれば、以前に戦ったロウエル・クルエスターの方がよっぽどレベルの高い剣術だったと言えるだろう。
それでも、ゼナスには隙というものがない。
距離をとれば、範囲に優れた血の刃を放ってくる。
近くで斬り合えば、今のように少しずつ『削る』ような攻撃が繰り返されるが……これはあくまでルイノも隙を見せていないからだ。
ゼナスも、斬り合いの最中でルイノの隙をひたすらに窺っている。
お互いに放つ一撃はいずれも命を狙うものでありながら、牽制でしかないことも分かっている。
ルイノは一度、距離を取る。すぐさまゼナスが、大振りの技へと切り替えた。
範囲の広い血の刃が、十数メートルはあろうかという距離でも伸び、迫ってくる。
ルイノはそれに対して、身を屈めるようにして駆けた。
ゼナスの大振りの刃には、死角がある。
細い剣ではなく、三日月を象ったような形の刃。――その下こそが、ゼナスにとっては死角になる。
ルイノは低い姿勢のまま瞬時にゼナスとの距離を詰める。
ゼナスもすぐに気付いたのだろう。刃を振るうのをやめようとしていたが、すぐに止められるわけもない。
「もらいっ!」
スパンッと乾いた音が響く。
ゼナスの首を狙ったつもりだったが、ギリギリのところでかわされた。
だが、代わりに剣を握っていた『腕』をもらう。
二の腕あたりから斬り落とし、ルイノとゼナスが交差する。
ルイノはすぐに反転した。
剣を握る腕を落とした――ならば、すぐに攻勢に出れば首を取れる。
そう反射的に思考したが、振り返ったルイノが見たのは――血液によって切り落とされた腕と繋がるゼナスの姿。
「――」
「腕を落としたくらいで、勝ったつもりか?」
ゼナスが鮮血を刃に変え、さらに血液で繋がった腕を振るう。
射程距離がさらに伸び、体勢を変えたばかりのルイノはわずかに反応が遅れる。
肩を抉るような一撃――さらに、飛び散った鮮血の刃がルイノを襲う。
素早い動きで、ルイノはゼナスとの距離を取った。
「……まともに戦ったのは初めてかもだけど、結構面倒だね、にひっ」
そう言って、ルイノはにやりと笑みを浮かべる。《剣客衆》は――当たり前だが、実力のある者が集まっている。その中でも、さらに『復讐』という大きな目的のあるゼナスは、ルイノにとっては明確な敵となる強さがあった。
だからこそ――ルイノは笑う。
「何を、笑う?」
「にひっ、楽しければ笑うでしょ。あなた達、剣客衆だってそうじゃないの?」
「俺は戦うときは、笑わない」
ルイノの言葉を、ゼナスが否定する。
血液で繋がった腕は、そのままズルズルとゼナスの下へと戻り――元に戻る。『斬った』という事実は、皮膚を見れば分かる。
よく見れば、ゼナスは身体中、切り傷だらけだ。
「強敵との戦いは楽しむもの、でしょ?」
「違う。戦いは、仕事だ。楽しいことなど、ない」
「ふぅん、そうなの?」
「そう、だ。俺が笑うのは、お前を殺した、そのあとだ」
ぎょろりと、ゼナスがルイノを睨み付ける。
ルイノは変わらぬ笑顔のまま刀を構え――そして、やってくる少女を見据えた。
「……あなたも楽しそうにはしないよねぇ。イリス・ラインフェル」
「――ええ。私の剣は、人を守るためのものだもの。でも、戦うことは嫌いではないわ」
ルイノが問いかけると、少女――イリスがそう答えた。
ゼナスも、イリスの方に視線を送る。
パリパリと音を立てて、イリスの身体の周囲に雷が走る。
「ルイノ……あなたと騎士団が協力関係にあることは知っているわ。この場においては、私とあなたは協力して戦うべき、それも分かっているの。けれど、私はシュヴァイツ先生を狙うあなたのことも看過できない……。だから、ここからは――私の個人的な戦いとさせてもらうわ。私が、あなたを止める」
紫の刀身をした剣を握り、イリスが真剣な表情で言い放った。






