104.講師として
ルイノの少し過激な挨拶のあと……僕はまた講師としての仕事に戻る。
「ふぁ、先生……早いね」
「先生ですからね。宿の方が朝食を作ってくださっているので、準備ができたら食堂にお願いします」
「ふぁい……」
まだ眠そうな女生徒のやる気のない返事に、思わず苦笑いを浮かべそうになる。
朝に弱い生徒も多いようだが、ある程度時間通りに起きてくれることは助かる。
僕のような子供に起こされるような、だらしのない生徒はいないようだ。
朝食を終えたら、今日は生徒達がそれぞれ課題を決めて行動をする日だ。
行動範囲はある程度決められていて、町の外などには行かないように注意してある。
……町を警備する騎士達にも、それは伝えてあることだ。
(さて、あとは……)
ちらりと、食堂の隅に視線をやる。
他の生徒達からも、ちらちらと視線を向けられているのは――イリスだ。
その表情は真剣そのもので、『すぐにでも戦える』状態にあることは分かる。
……以前から分かっていたことではあるけれど、こういう時、イリスは表情に出るタイプだ。
僕の言葉に従い、常に警戒状態でいてくれているのだろうが……クラスメートを怯えさせてしまっている。
対面に座るアリアは、少し眠そうな表情で朝食のスープを口に運ぶ。
緊張など微塵も感じさせないのはさすがというところだろう。
だが、イリスの気合の入った表情に対して、アリアの妙に気の抜けた表情は、何やらおかしな雰囲気を生み出していた。
僕は嘆息しながら、イリスの下へと歩み寄る。
「そんなに怖い顔していなくても大丈夫ですよ」
「! せ、先生? 私、そんな顔してましたか?」
僕に指摘されて、やや恥ずかしそうに驚くイリス。やはり、本人は気付いていないようだ。
そんなイリスに対し、
「アルタ先生が宿を出た時からこんな感じ」
そう、説明するようにアリアが口を開く。
宿を出た時……僕が、ルイノから『挨拶』を受けたときのことだろう。
アリアの口振りは暗に、僕に対しても非難するような言い方にも聞こえるが、そこは勘違いだと思っておこう。
「特に、何事もなく戻ってきてくださったので安心しました」
「それはそうですよ。僕は先生ですからね」
そう答えて、二人の近くの椅子に腰を掛ける。
「それ、関係ないでしょ。でも、先生は強いから説得力ある」
「あはは、そう納得していただければ助かります。イリスさんも、朝から僕との約束を守って気合を入れてくれたわけですか」
「! そ、そういうわけではありません。ただ……やっぱり、意識はしてしまうので」
「そうですね。その点については、僕が謝らないといけないことかもしれません」
「シュヴァイツ先生が謝るようなことは……」
「いえ、僕がいない間を任せたのは『僕自身』ですから。ですが、今は僕がいるので、普段通りで構いません。僕がいる限りは安心してくださいね」
「……今は普段通りの、つもりですけど」
やや不服そうな表情で、イリスが答える。
イリスにとっては、『任される』方が嬉しいことなのかもしれない。
もちろん、緊急時には二人に頼るつもりは、僕にもある。けれど、今のような時までずっと警戒させたままでは、僕の立場もなくなってしまう。……別に、立場を気にするわけでもないのだけれど。
(学生には極力学生らしく……そういうことなんだけどね)
中々に、それを伝えるのは難しい。
何せ、僕自身が真っ当な学生生活を送った経験がないのだから。
「ちなみに、イリスさんとアリアさんは今日はお二人で行動されるんですか?」
「いつもそう。今日は自由行動だし」
イリスとアリアの二人ペア――それは、学園内でもずっとそうだ。
もちろん、クラス内でも仲のいい者同士が一緒にいることはよくあることだ。
けれど、それぞれ交流関係はもちろんある。
僕から見て、交流の少なさが目立つのはまさに、ここにいるペアの方だった。
「では、たまには他の生徒達とも行動を共にしては?」
「……それこそ、私がいると普通に振る舞えない子もいるので」
僕の言葉に、イリスがそう答える。……何度か促したことはあるが、やはりイリスは立場上――他の生徒達とは距離を置くようにしているようだ。
……アリアはまだイリスのように『大貴族の娘』という立場にはない分、クラスからも受け入れやすい立場にはあるのかもしれない。
クラスの生徒達からも近づきにくく、そしてイリスは大貴族という理由だけで、生徒達と距離を置いているわけではない。
きっと根底には、いつ何時――イリスの身を狙う者が現れるかも分からないという気持ちがあるのだろう。こればかりはイリスの心の持ちようになってしまうわけだが。
(『最強』を目指すが故、か。僕も友達がいたわけではないからね)
僕のことを『友』と呼ぶ者はいた。だが、僕は結局、彼との距離を縮めることはなかった。
今の僕ならそれができるかと言われれば――
(……そう言えば僕にも友人という友人はいませんでしたね。こんなところは、師匠と弟子で似る必要はないんですが……)
唯一の違いがあるとすれば、イリスにはアリアという親友で、家族がいる。
イリスに並び立つだけの力があるからこそ、ここにいられるというところもあるのかもしれない。
それを他の生徒達にまで求めるのは酷だろう。
(あとは、生徒達がイリスさんのことをどう思っているか、かな)
少なくとも、イリスに対して悪い印象の話を聞いたことはない。
どちらかと言えば、羨望――剣の実力で圧倒的な彼女は、皆の憧れのような存在でもあった。
そして、イリスにとって彼らは――『守るべき存在』というだけなのだろう。……それはそれで、実に難儀な考えではあるのだけれど。
「昨日も言いましたけど、いい機会ですからね。クラスの他の子達とも交流を持つのもいい機会だと思いますよ。これも修行の一つだと思えばできるのでは?」
「……それはまた、いずれの機会にします。今は、そういう気持ちにはなれないので」
僕の言葉を、やんわりと拒絶するイリス。どうやら、僕は講師としてはまだまだ未熟なようだ。
アリアがジト目で視線を送ってくるが、僕はただ肩をすくめることしかできなかった。
書籍版の発売まであと5日となりました。
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