103.彼女の挨拶
早朝から、僕は着替えを終えて宿を後にする。……『昔』の夢を見たのは久しぶりだった。
イリスとアリアには、あえてルイノ・トムラのことについては深く触れなかった。
刀を持って、着物を身に纏う少女――僕の知るトムラという男は、東方のある国へと移り住んだと聞いている。
以前、僕が倒した《剣客衆》のアズマ・クライと同じ地方だ。
これはいわゆる『勘』でしかない。けれど、何故か確信に近いものがある。
この状況に関わっているルイノは、僕の知る男の血筋であるということ。
そうなのだとすれば……僕に関わりのない人間ではないということになる。
確かめる意味でも、僕は一人で宿を出たのだ。
緊急時には二人に他の生徒達を任せると言ってある。どの程度を緊急とするか、それは個人にも寄るものかもしれない。
けれど、今の状況は十分に、『それ』に該当すると僕は思う。
「にひひっ、わざわざ出てきてくれたんだぁ?」
僕の姿を見て、少女――ルイノがにやりと笑みを浮かべる。
「それはそうだ。人が寝ているところに、延々と『殺気』を送られては、ね。こうして君と顔合わせをするのは初めてだね、ルイノさん」
「にひっ、そうだねぇ。あたしはずっと、あなたのことを求めてきたわけだけど……」
それが例えば、僕を慕ってのことであれば嫌なことではないのだが、ルイノから感じられるのは笑っていても、殺気ばかりだ。
状況は実におかしく、朝方だから人がいないのではなく、封鎖されているから人通りがないのだ。
代わりに、ルイノの周囲には騎士達が構えている。剣を向けられているにも拘わらず、ルイノ自身は周囲の騎士達には目をくれることもせず、僕の方をじっと見続けている。
「うんうん、会っただけでも分かるよ。あなたは……他の人達とは違うね。さすが、《剣客衆》を一人で四人も殺しただけはあるよ!」
「正確に言うと、一人は僕が殺したわけではないんだけれどね」
「! そうなんだ。じゃあ……あたしがあと一人殺したら、数的には丁度同じになるのかな? にひっ、それならあたしがあなたを超えるのも時間がかからないかもね――」
その言葉と同時に、ルイノが地面を蹴って僕との距離を詰める。
周囲の騎士達が反応する暇もなく、瞬時に刀を抜き去ると――迷うことなく僕の首元へと刃を振り下ろす。
キィン、と周囲に金属のぶつかる音が響いた。
ルイノの放った一撃を、僕は防いで見せる。
騎士達が遅れて動き出そうとするが、それを僕は手で合図を出して制止する。
ルイノが、口元を三日月のように歪めて笑みを浮かべて言う。
「にひひっ、やっぱり――いい剣筋だねぇ。騎士団に協力した甲斐があるよ。この一回でも、満足できちゃいそうだもん! でも、これじゃあ足りないよね。もっと……もっともっとっ! いっぱい、あなたと斬り合いたいなぁ」
鍔迫り合いは続き、ルイノが今も本気で僕を殺そうとしているのが分かる。
それはきっと、この程度では僕が死なないというのが分かっているからだろう。
これで斬られるのならば――それこそ、彼女が求める程の実力のない男になってしまう。
「分かっているかと思うけれど、それは全て終わってからだ」
「にひっ、もしかして……それを言うために出てきてくれたの? わざわざさぁ……」
「それが聞きたくて来たんだろう?」
「……にひっ、にひひっ。分かっちゃう? でも、少し違うよ。昨日も夜遅くまで剣客衆を探したんだけど……見つからなくて。ひょっとしたら、まだこの町に来てないのかなぁって。でも、高まった気持ちは抑えられないから、ちょっとだけ『味見』したいなって」
「味見、か。随分な表現をするね」
「だって、そうでしょ? あたしはあなたと戦うためにここにいる。けれど、剣客衆は確かに邪魔なの。あなたと戦う時は、何も気にせずに万全な状態で戦いたくて。ああ、でも――やっぱり我慢できないかも」
ギリギリと、ルイノの刀を握る力が強くなっていくのが分かる。
たった今出会ったばかりで、ルイノとの面識は一切なかった。
けれど、今の一撃で――僕の『勘』は確信へと変わる。
僕の知る男も刀を使い、同じような剣筋を持っていた。
ルイノ・トムラは……ソウキ・トムラの孫娘というところか。
(あの男の家系からこんな娘が生まれるとはね)
ある意味では、驚きを隠せない。
仮にも同じく剣の道を生きた男ではあったが、ソウキという男は僕の記憶では、何より家族を大事にする。
こんないつ死んでもおかしくないような、危険な生き方を許すとは到底思えない。
「……さっきも言った通り、君とはまだ戦うつもりはないよ。ところで、一つだけ質問をしてもいいかな?」
「なに? あなたの質問なら、何でも答えてあげるよ?」
「ソウキ・トムラは元気かな?」
「――」
僕の質問を聞いた瞬間、ルイノの表情に変化があった。笑顔が消えて、刀を握る力が弱まる。
殺気立っていたにも拘わらず、ルイノはスッと刀を下げて、僕との距離を取った。
どうやら、僕の質問は想定外だったようだ。
「……なんで、お爺ちゃんの名前を?」
『お爺ちゃん』とルイノは口にした。
これで確定する――ルイノはソウキの孫娘だ。
「名前を知っているだけだよ。トムラという、ね。ちょっと関わりがあって、もしかしたらと思っただけだよ」
「……そ。元気かどうかって聞かれたら、死んでるから。あの世ってところがあるなら元気かもね」
「そうか。もう亡くなっている、か」
「質問って、それだけ? なんか、家族の話されるとやる気、出なくなっちゃうなぁ……。ま、丁度いっか! 続きは、また今度、ね?」
ルイノがそう言い残すと、背を向けてその場を後にする。結局、周囲の騎士達には視線を向けずに、文字通りの『挨拶』だけに終わった。
……ソウキはすでに亡くなってしまっている。
ルイノの反応を見る限りだと、何かあったようにも思えるが、そこまで詳しくは聞ける状況ではなかった。
「シュヴァイツ一等士官、ご無事ですか!?」
「問題ないですよ」
騎士の一人が僕に声をかけてきたので、答える。
ルイノに対して警戒していても、騎士団長であるレミィルが彼女と協力する道を選んでいる――部下である彼らも、色々と複雑な想いがあるだろう。
「……まさか、早朝からルイノがあのような行動に出るとは思いもせず。止められずに、申し訳ございません」
「構いません。あのくらいで斬られるような僕ではないですし、どのみち……ルイノの狙いは僕だけですから。それほど警戒はしなくても大丈夫です」
「あなたのことも含めて守る――それがエイン騎士団長の命令であり、我々の意志でもありますから」
「ありがとうございます。けれど、ルイノに関しては、おそらく大丈夫だと思います」
「……? それは、どういう……?」
騎士の男が、理解できない様子で疑問を口にする。
もちろん、それが理解できる人間は――おそらく僕を除いてはいないだろう。
彼女は『強い』からこそ、狙っている相手は僕なのだから。
その本当の理由については分からない。だが、ルイノのことをどうするか……それを決められるのは、僕しかいないのかもしれない。






