102.《剣聖》の友
宿に戻って、僕は改めてイリスとアリアに、現状を説明した。
《剣客衆》は元々十人で構成された組織であったが、すでに六人は死亡している。四人は僕が、二人はルイノが始末した。
残る四人のうち、一人は王都の《黒狼騎士団》の本部を襲撃し、そこでルイノと騎士団は協力関係になった。
その一人、ゼナス・ラーデイは逃げ出したが、おそらくはこの町にやってきている――そして、ルイノ自身の狙いは僕であるということ。
「ルイノについては、剣客衆がいる限りは僕を狙わないかもしれません。イリスさんと一緒にいた時も、彼女は姿を消したんですよね?」
「はい。気が付いたらいなくなっていて」
「じゃあ、そのルイノっていう子は一応、約束を守るつもりなんだ。話を聞く限り、そういうタイプには思えないけど」
「そうですね。警戒することに越したことはありません」
アリアの言葉に、僕も頷いて答えた。
僕を狙う剣客衆の他、イレギュラーな存在であるルイノという少女。単独ですでに剣客衆を二人葬り去り、一人はレミィルと協力したとはいえ、撃退している。
イリスの話を聞く限りでも、相当な実力者であることは分かる。
そんなルイノが純粋な味方であるのならば助かるのだが……レミィルからも話はすでに聞いている。
《黒狼騎士団》はルイノと協力関係を結ぶ代わりに、『僕に会わせる』ことを約束した。
レミィルが珍しく申し訳なさそうな表情をして、僕にその事実を伝えてきたのだ。
レミィルとしては、部下である僕に危険因子でしかないルイノを会わせたくはなかったのだろう。
それが、騎士団長としてのレミィルという女性だ。……だが、彼女は騎士団長という立場であるが故に、最善の選択を取らなければならない。
ルイノと協力し、僕を危険に晒すという選択が、状況を好転させる唯一の方法だと結論づけたのだ。
僕も、その結論については概ね同意する。
仮にその狙いがイリスであったのならばレミィルを咎めるところであるが、狙いが僕だけであるのなら全く話は別だ。――今月の給料二倍、ということで手は打ってある。
「君達二人には現状を話しましたが……剣客衆も、そしてルイノの狙いも僕です。君達に必要以上の協力は求めません」
「! 先生、さっきは協力するって話だったよね?」
アリアが眉をひそめて、不服そうに言う。
先ほど海辺では、アリアとは協力するという約束をした――それは事実だ。
だが、現状は刻々と変化している。
「その時はまだ敵が不明瞭でしたからね。ですが、今は剣客衆とルイノ……敵が完全に明確になっています。そのうち、ルイノについては剣客衆を倒してくれるかもしれない存在ですから。警戒すべきは剣客衆だけですね」
「それなら、私も太刀打ちはできると思います」
今度はイリスが僕の言葉に答える。
二人とも、当然のように僕のために戦うという意志を見せてくれる。……そのことについては実にありたがい。
僕が思っている以上に、二人からは『守るべき対象』と見られているということだろう。
それは、僕も同じことだが。
「もちろん、二人ならば戦える相手ではあると思います。ですが……何度も言うように君達は学生の身分です」
「それは分かってる。でも、先生だって子供だよ」
「僕は確かに子供ですが、学園の講師であり――そして、騎士でもあります。この町にはすでに、団長も含めて多くの騎士達がやってきている。はっきり言えば、君達の力は現状、必要ないことになります」
「……っ」
僕の言葉に、イリスの表情が曇る。――必要ない、そう言われることは、きっとイリスを傷つける言葉だろう。
イリスだけではない。表情には出さないが、アリアも僕の言葉を聞いて傷ついているかもしれない。それでも、僕にとってはそれか変わらない事実なのだ。
「――なので、敵が襲ってきた場合には全て僕が対処します。その点については心配なく。いいですね?」
「……分かり、ました」
「アリアさんも、それで納得してもらえますか?」
「納得はしない。でも、先生がそう言うなら、従う」
「そう言ってくださると助かります。ただ、君達二人に何もするな――そう言っているわけではありませんよ」
「! それって……」
「状況としては、緊急事態であることに違いはありません。ですから、たとえば僕が生徒達から離れなければならない状況ができた場合――緊急時には、君達の力が必要になります」
「わたしとイリスで、他の子達を守ればいいってこと?」
「君達ならば、それができると思っています。もちろん、君達の安全確保も僕や騎士達の仕事です。ただ、君達にも、僕からこういう形で協力を依頼したいと思います。受けてくれますか?」
僕の問いかけに、表情を明るくしたのはイリスだった。
イリスが決意に満ちた表情で、迷うことなく頷いて答える。
「もちろんです。この命に代えても、皆を守ります」
「あはは、命に代えるのではなく、君の命も大事ですからね?」
「なら、イリスのことは、わたしは命に代えても守るよ」
「それなら、私はアリアのことも含めて守るわよ」
「じゃあわたしも」
何故か、そんなところで張り合いを始める二人。
任せていることは、場合によっては命がけになることなのだが――イリスもアリアも、快く引き受けてくれる。
僕も、彼女達の実力を信頼して頼んでいることだ。
基本的には、僕一人で解決できればそれでいいと思っている。
ただ、相手は現状でも複数人――何が起こるか分からないというのが本音だ。
(……僕が生徒達から距離を取れば安全――それなら良かったんだけどね)
ラスティーユという剣客衆は、イリスを人質にして僕と接触しようとした。
そういうことも、平気でやってくる相手がいる。
それも考えるのなら、イリスとアリアには万が一に備えてもらうというのが、最善の選択と言えるだろう。
こうして、僕達はまた剣客衆を相手に協力関係となった。
***
ラウル・イザルフは晩年――人里から離れた暮らしを送っていた。
数多の戦場を渡り歩いたラウルは、《剣聖》という名で呼ばれ、ある国では英雄のように扱われ、ある国では畏怖の対象とされる。
剣聖が味方であれば、その国は勝利する。――だが、『勝利』に対しては必ず『敗北』する者がいる。
それだけは、いつの時代も変わらないことであった。
「ふぅ……」
森の奥地――小屋の外で薪割りを終えて、小さくため息をつく。
誰に会うというわけではないが、白髪になった髪は整えて後ろに流す。生やした髭も、白色に染まっていた。
それが、晩年の剣聖の姿。ラウルはすでに、自らの身体の衰えもよく理解している。
戦いに戦いを続けて――老いた身体になっても、なお戦い続けた。
そして彼に残されたものは、剣聖という《最強》の称号。
剣を持つ者であれば、誰もがその極地を目指す。
だが、その極地に辿り着いてしまったラウルが得るものは、それ以上に何もない。
ラウルには守るべき家族もおらず、彼を看取ってくれる者もいない。
「これが、俺の人生……というわけか」
「よう、随分と暇そうじゃねえか」
「……何の用だ」
感傷に浸るラウルの前に現れたのは、同じく年老いた男。
屈強な身体つきをした老人は、ラウルを見てにやりと笑みを浮かべる。
「おいおい、久しぶりに会った友人に向かってなんだ? その態度は」
「俺はお前を友人だとは思っていないが。それに、久しぶりというほどでもない。一月くらい前にも来ただろう」
「世間一般ではそういうのは久しぶり、って言うんだよ! 酒を持ってきたからよ。せっかくだから飲もうぜ」
老人――ソウキ・トムラは手に握った酒瓶を見せびらかすようにして、言った。
ソウキは剣士であり、そして傭兵としても若くから活躍する人物である。
ラウルともよく、戦場で出会うことがあった。
ソウキにとっては幸運と言うべきか、ラウルとは敵同士で相対することはなく――お互い仲間として協力関係にあることばかりであった。
ラウルは特別、誰かと仲良くするようなことはなかったのだが……気付けばソウキという男だけは、こうして年老いてもラウルの下へとやってきている。
ラウルは認めてはいないが……老いた彼にとっての唯一の繋がりとも言えるだろう。
ソウキが話すのはいつも、他愛のないことばかりだ。
「都の方で暮らさないのかよ? ここじゃ、色々と不便だろ」
「別に、そんなことはない。一人の方が気楽だ」
「そんなこと言ってよ。都会と田舎じゃ、お前は田舎暮らしの方が好きってことか?」
「何度も言うが、一人が気楽なだけだ。別にどちらでもいい。そんな話をしに来たのか?」
「お前は国の情勢とか興味ねえだろ?」
「ないな」
「だろうな……。実は、近々また戦争があるらしい」
「そうか。それで?」
「……俺は、家族と遠くへ引っ越そうと思っている」
「そうか」
ソウキの言葉に、ラウルは態度を変えることなく頷いた。
ラウルの素っ気ない態度に、ソウキが肩をすくめる。
「おいおい、それだけか?」
「戦うつもりがないのなら、そうするのが正解だろう」
「……まあ、な。ここも来られなくなるかもしれねえからよ。だから、もしも戦争があってここに被害があったら――」
「俺が負けると思うか?」
「……余計な世話だったな。まあ、その話だけじゃなくてよ……」
「なんだ?」
「別れの挨拶ってわけじゃねえが、どこかで俺の家族に会うことがあったら、よろしく頼むな」
「お前がいるんだから、お前が面倒を見ろ。俺が何かをする必要があるのか?」
「はっ、確かにその通りだよ。けどよ、俺とお前の仲だろ? 頼んだぜ!」
笑顔を浮かべて、ソウキが言う。勝手にラウルのことを友人と呼んだ男と会ったのは、それが最後であった。






