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桃色の亡霊

作者: 小犬


 我が家には幽霊がいる。

 私がそれに気付いたのはつい最近のことだった。



 最初は何かの見間違いで、それも疲労からくるものだろうと考えていた。



 何しろ最近私の身の回りではろくなことがなく、私という男の過去を顧みるにも今がどうやら人生のどん底のようだと思われたからだ。



 初めてそれ・・を目にしたのは数日前の朝だった。

 当然ながら私がどれだけどん底にあろうと社会というのはさほど私を気遣ってはくれない。



 その日、私は出勤のために朝五時には起床して弁当を作ろうと台所へ向かっていた。

 未だ慣れない早起きに老いた私の足はおぼつかなかったが、それでもなんとか階段を慎重に下る。



 台所のすぐそばまで来た時だ。

 私はそこに何かもやがかかっているような気がした。

 鮮やかな桃色の靄だった。

 だが不思議なことに目を擦ると私が呆ける暇もなくたちまち消えた。



 私はきっと寝ぼけているのだろうと考えてそのまま弁当を作り、身支度を済ませるといつも通りに家を出た。



 その日の夜、私はある程度の疲労感とともに無事帰宅した。

 時計の針は二十時十分を指している。

 無性に腹が減っていた。



 というのも、結局早朝に作った弁当を食べることはなかったのだ。

 忙しいというのもあったが何も飯にありつけないほど忙しかった等ということはまるでなく、ただ弁当のことも食欲のことも忘れてしまっていた。



 廊下をのっそりと力なく歩いてリビングへの扉を開けると、明かりが灯っている。

 どうやら電気を消した気になって家を出てしまっていたらしい。

 家を出る前にしっかり確認をする癖をつけなければとうっすら思った。



 それからは一人で使うにはやけに大きなテーブルを前に椅子に腰かけ、昼に食べることのなかった弁当を食べた。

 がらくたの寄せ集めみたいなその見た目に改めて自分の料理の腕の無さを自覚した。



 風呂に入り歯を磨くと私はすぐに寝室へと向かった。

 ここ最近は決まってこうだ。



 今度はベッドに今朝のような桃色の靄が見えたが、早く眠ってしまいたかった私は特に深く考えることなく桃色にぼさりと覆いかぶさるようにして床に就いた。



 大の字になって寝るのは存外開放感があって心地良いものだと気が付いたのはこの時だった。



 それは休日にも現れた。

 家の庭で桃色の人型がしゃがみこんでいたのだ。



 こちらからは背中しか目に映らなかったのだが、それ・・の視線の先に花々が咲いているということだけはわかっていた。

 どれも名の知らぬ花たちだ。

 しかし雑草やその類というわけではなく、全て道端ではお目にかかれぬ綺麗な花々であった。



 立ち尽くして、どれくらいになるのだろうか。

 私は私が泣いていることに気が付いた。

 理由は……ぼんやりとだがわかっていた。

 少なくとも今更庭の花々を見て涙を流すほど私も涙脆くはない。



 ただ、今までとは明らかに異なり靄としてでなくはっきりと見えたその小さな背中が、この頬を伝う涙の理由なのだろう。



 だから私は貴重な休日であるにもかかわらず、日が落ちてそれ・・が消えてしまうまでの間やけに人間らしく振舞う桃色を見ていた。



 一昨日、息子夫婦が我が家を訪ねに来た。

 要件は言われずともわかっている。

 私は黙って二人を中へ通すと、二人はまず仏壇にて線香をあげた。



 悲哀に満ちた二人の背中がひどく印象的であったのを覚えている。



 そして今日。

 今も目先のベッドには今朝も台所で、テレビの前で、洗濯機の前でも見たそれが横たえていた。



 それは我が家でしか見ることはないが、あちこちに現れては決まって私が眠りに来た時にはこうして待つようにして眠っている。

 だが私はそれが何であるか等という野暮なことは考えない。

 ただ私は黙ってベッドの左半分を使って横になり、目を瞑るのだ。



 おそらくだが私はきっと余生をこの桃色と共に過ごすことになるのだろう。

 私が女々しい男なのか、それとも彼女が執着深い女なのか。

 どちらなのかはわからないが少なくともいないよりはずっといい。

 それはどん底の私を元気づけてくれるのだから。



 ――私はそれから数年の間を桃色の亡霊が這いずっている家で過ごした。


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