90 《劔を鍛えよ》 (23)
「え?...」
夏美は、ラインハルトの顔を見返した。表情は何も変わっていない、いつもの穏やかなライさんにしか見えない。
だけど...。何かひんやりとした違和感がある。
「僕は、さっきの言葉にある意味背いているんだ、すでにね。
僕は、誓いを立ててしまった。だから、結果的に僕を待っているのが破滅でもいい、僕は狭間の地に行く。行って自分の役目を果たす。その誓いのためならば、力づくでも乗り越えて先に進む。
それ位、誓いは重いんだ。
誰かと権益がぶつかるだろう。その相手にも取るべき道、守らなければならない物があることもわかる。ぎりぎりまで譲歩しあう道を探るが、譲れないものは、譲らない。
いざとなれば、正々堂々と闘う、そう覚悟を決めているんだ」
と静かに、自分にも言い聞かせるように言った。
私と権益がぶつかれば闘うというの?
なぜ?
ライさんは、私と仲たがいをしてもいいと、そういうこと?
それ位、龍神様の宝が欲しいのね。物欲というより、誓いのために。
戸惑っているような夏美を見て、ラインハルトが少し嬉しそうな顔で聞く。
「脅かすようなことを言ってごめん。
あのさ、夏美、僕のことを怖いって、今、思っている?」
と、声までワクワクしてきたかのように思える。善蔵は、咳ばらいをするにとどめ、夏美をちらっとみたので、夏美は笑顔を返した。
本当にライさんてば、子どもみたいなところがある。
くりくりした巻き毛の茶褐色の柔らかそうなウェーブの髪。透き通るような藍色の瞳。
普段は明るい瞳をしているのに、今そこに少し寂しさが垣間見えた、と思ったのに、もう違う表情を見せる。誤魔化したいのか、ふざけてみせているのかしら。
似ている。いつものように、あの塔に駆け上っている子供...?
あの子は笑っているふりをして、泣いていたんだ。塔で独りぼっちになって、涙を誰にも見せないように。
あの時だって苦しい闘いをしているのに、何か他のものをかばって、自分の背中に黒い大蝙蝠のような翼を広げて・・・急角度で、突っ込んで。
だから、龍の翼にはたかれて落ちてしまうんだわ、...。
どこか自分を犠牲にしてしまうような、優しさ。自分が立てた誓いにがんじがらめになる真面目さ。
「夏美...?」
「あ、ごめんなさい、ちょっとぼ~っとして。今、一生懸命にライさんのことを怖いかどうか考えてみていただけなの」
「うん、嬉しいな。じゃ良く考えて」
夏美は、つい笑顔を返す。
今のイメージは何?
ライさんが、やはり龍と戦っていた、そんなイメージ。だけど、それだけじゃない。何か、ある。
「考えたけど、私、全然ライさんはやっぱり怖くないのよね、私が強がっているだけかしら。でも、基本的にライさんとは、闘いたくないわ」
「良かった。...じゃ、闘いを回避するためにも譲ってくれる?」
「そうなんだけど、簡単に納得も出来ないし、譲れないだけ。まだ根掘り葉掘り、聞きたいわ」
「うん、さらにプレゼンを頑張るよ。僕だって好戦的なわけじゃない。
だけど、僕は一応、力を持っているし。誓った以上、成功させたい。準備もちゃんとしてきた」
「ええ、でも納得するまで、私は簡単に負けたりしない。
テニスの試合でも、へたくそなのに粘ることだけ出来たから」
「そうか、そういう風に考えるのはいいね。
落ち着いてるんだね、夏美」
「さすがでございます」
違う。
こんな話を長くしたいわけじゃない。
今、こんな時に私たちの言葉が上滑りしているような気もする。
私も心のどこかに秘密を隠し持ち、ライさんも秘密を隠し持っているからかもね。
ライさんも私も、まだ矛盾を抱えていて。
私たちはまだ全然一致していない。仲は良くなってきたはずなのに。
何か、隔たりを感じる。ライさんも隔たりを感じたりしている?
これが、普通なのかな?
これでもいい、のかもしれない?
本当の話をしたい、もっと2人でわかり合いたい、それを諦めてしまったわけじゃないけど、今はライさんの心を暴きたくない。そう、私も暴かれたくない。
いつも焦って真実を求めて突進したいキャラの自分が嫌いだった。
つい、余計なことを言ったり聞いたり。そして、凹んだら今度は、ただ自分を演じるだけの行動しか出来なくて。
だけど、ここにきて開き直ろうかという気持ちにもなってきた。
焦らないで、ゆっくりと答え合わせをしていった方がいいのかな。
それこそ、カードを1枚めくってゆくみたいに、ゆっくりと。
お互いに似た所もあるけれど、お互いに全然合わない所もたくさんあって、いまだに見えてない所もあって、早く知りたい気持ちがすごくあるけれど(笑)、でも焦らない。
いつか、わかりあえてお互いに本当の《協力者》みたいになれる希望を持って待とうかな。
夏美は、照れくさそうに少し笑って、2人に頭を下げた。いつも自分の言葉を心配そうに待ってくれているから。
「ごめんなさい。私が進行を妨げているわね。
自覚はあるのよ。こんな厄介な、頑固キャラで。そんな私のために時間を取ってくれて。
おふたりに私、感謝だわ。
ライさんが準備をしてくれて、善蔵さんとふたりできちんと説明してくれているのもわかる。
でも、愛想全開モードの私ではいたくないの。ここは、本当に納得するまで譲れない気持ち、それは私も曲げられない。
私、理解してきちんと飲み込みたいの。
今、7割くらい、ライさんのプレゼンに傾いているわ、正直に。
でもね、決断とか誓いが重いのならば、あとで覆すことは出来ないんでしょう?
だから、どこかで9割以上本気で『納得した!』って心から言いたいのよ。
闘いたくない、というのも本音。だけど、闘いを避けるために7割の気持ちでライさんに同調したいわけじゃないの、こういう人でごめんなさい」
「ううん、全然だよ。ね?善蔵」
「もちろんです。大いに考えてください。
私も常々、つい周囲の雰囲気に合わせてしまう日本人の性とか、同調圧力というのは好きにはなれないと思っております。重要な会議でも、自分で突き詰めて考えるのを放棄して簡単に多数決で勝てそうな人に合意していくというのは、無駄な気もします。問題をきちんと考えずに、票の数合わせみたいになってしまうことも多いですから。
大切な決断の時は、特にやめた方がよろしいですね」
「うん、そうだ。 僕だって、覆される位なら、今ちゃんと時間をかけて納得してもらいたいというのも本当だ。
他に何か確認したいことはない?
メモを見返してくれる時間だって取るよ、いくらでも時間をかけたい。
今日は夏美がメインなんだから」
夏美は、再度、手帳を見返してみる。
「念のために、聞くんですけど。
善蔵さんの話してくれたお話に登場した宝物の宝珠などは、ライさんが持っているもので合っているのね?
宝珠以外の鏡などは?
探してお返ししなくてはいけないってこと?
他にも何かあるの?
今は、劔が欠けた状態の2つの宝について決断するってことでいいのよね?」
「うん。あ、そうか。
お返しする宝の範囲や真偽を確定しないといけないってことだね」
「ええ。私たち一族の幸せのためには宝を全てお返しするってことだったし、ごめんなさい、私こそがちゃんと宝を見たことがないの」
「うん、そうだよね、わかった。僕側からの、説明をしよう。
善蔵の説明の宝物と符合しているかどうかってことは、もちろん請け合う。
僕は、中原で話を聞いて、白蛇竜を祀る神社を教えられ、受け取りにきた時点で宝はもちろん、3つあると教えられていた。
宝の一つが欠けているという情報が与えられていたわけではなく、祀っているご一族の方にトラブルがあったので、それを解決に導き、お助けすれば良い、そしてその宝は僕のミッションに必要な物は用いて良い、自分で受け取って来なさいという趣旨だった。
以前、少し話したけれども、最初宮司の善之助様にはぐらかされそうになったことも事実。何とか信じていただいて、龍ヶ崎神社で間違いがないということになった。実際、僕が到着した時点で、美津姫、善蔵もそうだし、トラブルの渦中であったこと、そして僕のお札で流行り病が良くなったことで僕も確信を持った。
宝物の詳しいことも、聞かされていた。改めて僕の知識で説明してもいいかい?」
善蔵も夏美も、うなづいた。
「善之助様には、僕の聞かされてきた情報と神社に伝わる話とは、ほぼ完全に一致していると、お墨付きをもらったんだ。それぞれ、第一の宝は第一位の巫女姫さまが司るというのも、なんとなく聞かされていて、日本のお姫様に会えるって思って、わくわくして日本に来たんだ。
第一の宝は、もちろん『劔』だよ、正義を司る剣と呼ばれていて、正義の銘を持つと聞かされた。古の勇者の持ち物で、伝説では龍状態の龍神様の尾に存在するとも言われていることも聞かされてきた。特徴は、良く教えてもらえなかった。劔を手にする勇者によって形が変わるということだったし。
第二の宝が『蛇の目』という名前の鏡だ。冷徹に審判を下すと言われているんだ。光も闇も、それそのままに映し出すんだろうね。特徴は、博物館に飾られているような古いもので、鏡の裏には、蛇が彫られているということだった。
第三の宝は、『白蛇竜の宝珠』。これは悲しみの心を持ち、とりなしや慈悲を求めるものとも言われる。
ね、善蔵の説明と全く符合しているんだ」
「はい、『白蛇竜の宝珠』の特徴は真珠に近いものと言われておりました。N県は海に面しているわけではなく、湖も山の上にあったので、少し不思議ですがね。危難に会った時に、その中にお隠れになるとか、龍神様のお身体が傷つかれるとその中に戻られて再生なさるとかいう謂れですから、ちょっと卵のようなイメージかと思います。乳白色の真珠ですね」
あの宝珠の中で小さなサイズの竜が眠っていたら、可愛らしいわね、夏美はそう思った。
「これは、僕が自分の城にあったおとぎ話のような本で読んだエピソードで、真偽不明なんだけど。
昔、ギリシャ神話の頃の時代だよ。幼体の白蛇竜が西洋の神殿の龍のところに遊びにきていたらしいんだ」
「本当に?」
「龍はとても速く遠くまで飛ぶんだよ。きっと現代の飛行機なんかよりすごいと思わない?
神さまたちの間では、東洋も西洋も近かったのかもしれないね。
それでね、その時は神殿はまだ、アポロン神殿とも呼ばれていない頃だったというんだけど。
神々の争いに白蛇竜が巻き込まれそうになった時に、とある女神さまが機転を利かせて、小さな真珠の中に隠して匿って無事に東洋に帰したという記述があるんだよ。神さま同士の正義と正義がぶつかったら、おおごとになってしまうからなんだろうね。
だから、僕の家に残っていた記述にはその白蛇竜が『(東洋の)真珠竜』という名前で呼ばれていたとちゃんと記録されているんだけどね。ふだんはね、その竜は少女に近かったのか、女神さまのお産みになった娘の神さまたちや侍女たちと遊んでいた、みたいに語られているし。微笑ましいだろう?」
真珠竜、と聞いた瞬間に山の中の湖に落ちる、ちゃぷん♪という音が夏美の耳に小さく聞こえたような気がする。
葉っぱから雫が垂れたような自然な音。小さな真珠が湖に落ちて戻ったのかしらね、心地良い音。
夢の中で聞いていた音、そんな気がする。
自分の心の中、ううん、胸の中でも今、トクンと鳴った。
ライさん、今日も宝珠を持ってきているのね、ライさんの方でもトクンと鳴ったような気がするもの。私の中の何かとシンクロしているみたいな。
「あのね、で、美津姫さまの司っていた宝珠はライさんが今、持っているんでしょう?」
「うん、今日はちゃんと持ってきているよ、もしかして、夏美にはわかっている?」
「ええ、おかげさまで」
「さすがだね、やはり呼応しているんだろうね」
「はい、さすがでございますね。
そのことでも、ラインハルト様のお探しの宝、お探しの一族と、夏美様のご一族、宝物は、間違いなく対応している物と考えてよろしいかと思います」
「はい、やはり間違いは本当に無さそうですね。
あのね、とするならば、鏡は?
私の中にあるものは、鏡とは違うんでしょう?
『蛇の目』と呼ばれる鏡はどこにあるのかしら?
今、無くなったりしていませんか?」
「大丈夫、それは一応、僕が預かっていることになるんだ」
「はい」
と善蔵さんもうなづく。
「何ですって?」
と夏美は反射的に、ラインハルトを睨んだ。悪気は全く無さそうな顔で夏美を見返すのも、またちょっと癪にさわる。
「どうして、それを教えておいてくれなかったの?
私が、昨日、あんなに・・・鏡を怖がっていたのに。
私の中に、何かあるとしたら、鏡かもとか思っていたのに。悩んでいたのはわかったでしょう?
どうして、あの時それをちゃんと言ってくれなかったの?」
「ごめん、昨日、言おうかどうしようか迷ったんだけど、とりあえず『違うと思うよ』って言うだけにとどめた」
「どうして...ひどいわ」
「うん、夏美はすごく鏡のことをネガティブなものみたいに思っていたみたいだし。
僕だって、預かってはいると言っても、手元にいつも置いているわけじゃなくてね。
不確かなことも言えないな、ってちょっと迷ってしまった。
一部分だけ説明したら、きっと君が全部聞きたくなって困るかなと思って。昨日は全然、時間が取れなさそうだったし。途中で説明がちょん切れたら、それこそ夏美が眠れなくなっちゃうかなって。
本当はね、この会見というか、この打ち合わせもね、昨日うちの館でやろうとしたんだけど、みんながみんな、夏美が訪問してくれることに浮き立っていてね、客まで来ていただろう?色々と邪魔されそうだったし。夏美は安全でいるということだけで僕は満足していたし。
こういう話はきちんと時間をとってやりたかったんだ、本当にごめん」
と、ラインハルトが頭を下げる。
夏美は、ふくれっ面をしたまま言った。
「もう。...なんか許せない。さっきからずっと違和感を感じていたのよ。このことだったのかなぁ。
今日は、全てのカードを全部、場に広げてくださいね」
ラインハルトが嬉しそうな顔をした。
「うん、あ、それって僕のカード理論だね?」
善蔵は、話の中身までは理解できていないみたいだが、鷹揚に笑っている。
ライさん、あなたはとても優しくていい人よ。
でも、やはり全部のカードを広げたりしない。ずるさからじゃなくて、どこかで自分で背負ってしまっていればいいと心を隠している。本当に私と相互理解をしたいと思っている?
「じゃ、その鏡は、ええと、『蛇の目』は、今どこにあるというの?」
「N県の祠にね、封印してあるんだ。善蔵にも宮司さん代わりに立ち会ってもらってね。
湖の、元の神社のそばだよ。ほとんどダムになったんだがね、少し離れたところに神社が出来た時からある、小さな祠だ」
「大丈夫なの?、そんな感じで保存しているなんて」
「うん、術や魔法をきちんと扱える人じゃないと、解けない封印だから大丈夫だよ。
あとね、鏡は元の神社のそばが一番良いみたいなんだよ。あの宝物が一番気難しいと思うから」
「ねぇ、ちょっと待って。確認するわね?
結論として。
失われた劔以外は、もうライさんが二つとも持っていると言うことにならない?」
ラインハルトは、あっさり認めた。
「うん、そういうことになる。つまり、ほとんど準備は完了していて、あとは夏美に決めてもらうだけにしてあるんだ」
「それって、ずいぶん手回しがいいんですね」
「ずっと本気で準備をしてきたからね」
と、ラインハルトは淡々と言った。
夏美は、少しムッとした気分のまま言った。
「ねぇ、これはテニスの試合みたいなものじゃないわ。
だって、試合をする前に優勝トロフィーまでライさんが先に抱えているみたいなんですもの、結局は試合をする必要なんてないのと同然。
私の意思なんて必要ないんじゃない!」