89 《劔を鍛えよ》 (22)
「そうなのね、違う他の言葉、、、」
夏美は、少し動揺している。
あれは、、あの力強い言葉は、どう考えても龍神様の言葉。そんな気がしている。
先ほどの話によると、龍のお姿の時と、人間の女性に似たお姿の時があるというけれど、たぶん龍のお姿の時の言葉、だと思う。
自分の頭の中、心の中で響いているだけだからわからないけれど、実際に聞いたとしたら、たぶん大きく深い声がするに違いない、それは重い音が響くと思うのだ。
だって生き物が腹から声を出せば、やはり腹の大きさ、胴体の大きさで響かせうると思うから。
巫女姫の修行もしていない私が教わってもいないのに、その言葉をも知っているなんて、、、。
お婆さまから教わった言葉がなければ、効力を打ち消したり、なだめたりできないかのような、あの重々しい言葉。
自分は、あの言葉の方も知っていることを打ち明けてみようかな...?
もしかしたら、2人が共に
「ああ、その言葉も古文書に載っていたよ。その言葉だって大丈夫だよ」
「そうですよ、」
と笑顔で言ってくれる可能性だってあるかもしれない。
そうだったらいいのだけれど。
でも、良い結果にいく確信は持てない。
夢の中で聞いたりしたことがあるだけで、自分の口で、自分の声であの言葉を発したことがないから、ちゃんと言えるのか(ラインハルトと善蔵という人間に伝えられるのか)わからない、ような気がする。
そんな中、1つだけ確かなことがある。それは。
あの言葉こそは、本当に誰からも(お婆さまからも)教わった覚えのない言葉、だということだ。
夏美は自分の胸の辺りで何かがトクンと言っているのを感じる。焦ってもいない、落ち着いた音。
何かを待っている、そんな気がする。
そう、そしてそれは自分もそうなのだ。
胸騒ぎを感じながら自分も何かを待っている、そんな気がする。
まるで、一体化しているかのように。
でも、今あの言葉は頭の中で響いてはこない。やはり、秘密なのかな。それとも...。
夏美の邪魔をしないためと思っているのか、善蔵もラインハルトも黙って待ってくれている。でも、自分はまだ決心がつかない。もう少し、考えたい。
夏美は、ふうっと小さく息を吐いた。
「そうね、とにかく私、、、。
あのね、第一にやはりお婆さまに教わった言葉に背いてはいけないと思うの。慎重に考えなくてはいけないわね。
そのためにも、ライさんの一族にも、なにかお言葉があったのでしょう?
戒めのお言葉みたいなもの?
そのお話を先にお聞きしたいわ、良いかしら?
似ているところがあったら、参考になると思うし」
ラインハルトがにこっと笑った。
「ようし、ようやく僕の出番が来たぞ(笑)。
さっき言ったように、残念ながら僕の家のオリジナルじゃないんだけれどね。
デルポイのアポロン神殿にある戒めの言葉がちょうど3つあってね。僕の故郷の城の宝物庫の中にそれが掲示されているというわけさ。ご先祖様がその言葉を固く守って、僕たちの代にも伝えられ、今後も伝えていくというわけ。
でもね、確かにさっきのお言葉ととても似ているんだよ?
似たところと違っているところを検証する、ということで、いいよね?」
「ええ、お願いします」
ラインハルトは、笑顔で話し始めた。
「こういう話なら、延々としていたいけど、なるべく短くするね(笑)。
1つ目が、『汝自身を知れ』。
この言葉はね、さっき話していたソクラテスの思想に通ずるんだ。
お前はいったい何者か?
全てを知っているのか?
{知らないということ}を知っているのか?
そういうことだね。かつての哲学者は、自分自身を知る、そのことがまずは自分をコントロールするために必要なことだと考えた、ということらしい。
いいかい?」
夏美がメモを取っているので、ラインハルトは少し止める。
「2つ目が『過剰の中の無』。
これは《過ぎたるは猶及ばざるがごとし》、《分をわきまえよ》などに通ずるんだ。だから、似ているよね?
人間は欲が深いし、神様から見れば明らかだったんだけど、とても劣った存在なので、そういう類に力を与えてはならんと、アポロン神が言ったらしい」
夏美は、メモを見開きにして書いていた。そして、自分の一族の戒めの言葉も横に書き、線で結んだ。この2つ目は、自分の一族の言葉の3つ目と線で結べたのである。
「で、最後の3つ目が『誓約と破滅は紙一重』。
《無理な誓いはするな》などに通ずるんだ。つまり、無用のことはするな。ってことだ。
つまり、これってさ、先日、話したことに近いでしょ?
さっきの話で『人間と神様は圧倒的に差があるんだぞ、それを理解しておけよ』と言っていて、この話に繋げると、ね?
神様の定めた元型から人間がはみ出てしまうこと、それくらいの力を持とうとすること、そういう自我のことを認めないということだね。神様の定めた通りに生きていけばいい、余計なことをしてはいけないってことを言いたいのかな、と。
例えば、力のない者には、どうしたって出来ないこともあるし、分をわきまえてはみ出るようなことをしてはならない。もしも行動したら、破滅するぞっていう、まぁ脅し文句みたいなもんだよね」
「ラインハルト様、それはちょっと、」
と善蔵が笑ってとめる。
ラインハルトが、素直に一度、ちょこんと頭を垂れた。
「ごめん、言い過ぎた、ね。神様、ごめんなさい」
照れくさそうにして、続ける。
「神様に対して、つい文句を言うようなひねくれたところが僕にあってね。もう少し、良い性格に生まれたかったよ。とりあえず、ギリシャ神話の神様は、人間の力を下に見ていた節があるんだけど、それでもまぁきっと。本音を言えばさ。夏美も言ってくれていた通りなんだとは思う。
とりあえず力のない人間、神様の言った通りにしか行動しない人間のことを、可愛いなぁって愛してくれていたに違いないよ」
夏美はうなづきながら、メモをまとめた。この3つ目は、自分の一族の言葉の2つ目と線で結べたので斜線が交わった。1つ目は互いに、線では結べなかった。
夏美は、書き終えて言った。
「本当に、2つ目と3つ目は互いの言葉が呼応しているかのようね。
あとは、1つ目の言葉同士だわ。
お返し申したという劔の話と、『自分自身を知れ』って言う言葉は、まるっきり符合していない気持ちがするけど。
私は、私自身を知らなくてはいけないって言われても、、それが劔の話と関係があるのかしら?」
でも、と夏美は思う。
今は、私、本当は知りかけているのに。そうよ、本当は事実を覆い隠していたものが剝がれていくように思えてきて、少し怖くなっている。
なにか私ではないものが、やはり私の中にある気がするけど、それが確信になりつつある。
畏れ、なのか。怖れ、なのか。
龍神様の言葉を知っている私は、もしかしたら、やはり龍に?
その想像は、したくなかった。
今、ここで{選択をして決断をする資格が私にあるのか}をテーマに話をしていたのだけど、{龍になる資格を私が持っているかもしれない可能性}をテーマにするなんて、絶対に嫌なんだけど。
夏美はため息をついて言った。
「ごめんなさい、まだまだ混乱しているみたいだわ、筋道がわからないみたいに」
「うん、そうみたいだね、焦らないでいいんだ。僕だっていつも悩んでいることだから。
善蔵はどう思う?」
「う~ん、そうですね、傍でお聞きしているだけですが、アポロン神殿の1つ目の言葉が一番難しいとも言えますね」
夏美はうなづいた。
「そうですね、私もそう思います。
とにかく、《無知の知》ということは大切ですよね。もしも、わからないことをそのままにしていたら、コントロールしそこなうかもしれないですしね。
でも、その一番目の言葉と全くかけ離れているのが、お婆様の言葉の『劔は、お返し申した』という言葉なのよね、そこがすごく気になります」
「うん、そうなんだよね、符合していない方の言葉から先に考えてみようか。
宝物は最初から欠けているんだと言っているんだからね」
夏美は少しほっとする。
そうよ、宝物が欠けていることが、資格が欠けていることに通ずるかもしれないわね。
「じゃあ、やはり『宝をお返しした』という、過去の事実の表明が何の意味を持つのかなってことからでもいいです?
私、とりあえず...今現在の私、そして一族のどなたも、たしかに劔を持っていないってことは言えると思うの。
でも、不思議なのよね。子供の私に会った時、お婆さまが『剣を振るうてはならぬ』って、わざわざきつく言っていたのよ。
でも、私は実際、持っていないし、見てもいないのに、そして劔をすでに返したのならば、所持していないのはわかり切ったことなのにって、その時に思っていたのよ」
ラインハルトが真顔で言う。
「うん、それなんだよ。そこが大事だ。古文書に書いてあるとは言え、なぜそれを第一に伝えているのか。
劔は存在していない、そして、だから夏美も剣を持っていない、 ”今”はね。
そして、これからも、お願いしたいところなんだよ。僕もお婆さまと同じ気持ちだ。
夏美には、僕も『剣を振るうことはやめて』って言いたいんだ。何よりもね。
...大切な人だし。
それに夏美には無理だと思うし、僕は夏美には、何かの誓いなんて立てて、破滅なんてしてほしくないんだ!
夏美はふだんは《平穏無事に生きていきたい》って言うくせに、スィッチが入ったら頑張りかねないからね。すごく心配なんだよ」
夏美は、少し頬を赤らめるようにして言うラインハルトの気持ちが嬉しくて、つい笑った。
「ええ、そうかしら?私は本当になまけものよ?」
ラインハルトが真面目に続ける。
「夏美は安全なところで怠けてくれていていいんだ、だから、僕に貸して欲しいんだ、龍神様の宝をね。
僕は、これからあちこちを巡ってね、滅んでいると言われている魔法生物とか、隠れて棲んでいる亜人族を見つけて、協力してもらって、そこから狭間の地に行くんだよ。
それが僕のミッションなんだ。
僕だって無用に剣や武器を振るうわけじゃない。青龍王からそれを正当にいただく、それが証になるというのが最初の関門だったというのに、ずっと果たせていなかったんだ、未だにね」
「そうなのね、、」
「うん、西洋の方の神様だけじゃなくて、東洋の四方に神様がおられるわけだからね。
僕の大大祖父様が壮大な計画を立ててから、もう何代も過ぎ、僕も全然進んでいない。冒険の最初でつまづいて困っているんだ。一族の夢だし、皆も待ってくれている。『そろそろ本気を出さないと、いよいよ世界が滅んでしまう』ってみんなにせっつかれているんだ(笑)」
「大変ね、ライさん。私もちゃんと《協力者》としてお助けするわ。でも、ライさんなら出来そうな気がするわ、ね?善蔵さん?」
と、ついいつもの愛想の良い口調で言ったが、夏美の気持ちはまだ複雑だ。それでも、前にいる二人の笑顔が見たかったのかもしれない。
「はい、そうですとも。私も、出来るだけ協力させていただきます」
「うん、ありがとう。そして、夏美も《協力者》としてって言ってくれてありがとう。
僕だって、いつも自分自身が{資格のある者なんだろうか}という不安も感じているんだ。だけど、他の者には無責任に背負わせたくない、自分こそが背負うんだという自負もある。いつも、そのせめぎ合いなんだよ。
夏美の気持ち、夏美の不安も何となくわかるし、わかりたいと思う」
「ええ、ありがとう、ライさん」
「じゃ、そろそろ決断の話をしてもいいかい?」
夏美は、小さくうなづいた。
「ええ、今から私にライさんが確認して、私が『はい、重要事項説明を聞きました』って思って納得したら、『龍神様のお許しがあれば、私たちの一族がお返し申し上げるべき宝を、そのままラインハルトさんにお渡ししますが、よろしいですか』みたいな決断をするってことなのね。
それを、私は決断する、選択するだけでいいのね?」
善蔵は、静かにうなづいている。
ラインハルトは、晴れ晴れとした表情で言う。
「うん、ありがとう。そういう話をするつもりできたんだ。
青龍王の使いの方からも、『日本の白蛇竜を祀る一族を助けて、受け取って来なさい』というように言い渡されたので、僕が正当に受け取れれば夏美のご一族の懸念事項も消えると思うんだ。
今後は、夏美の手を煩わせることはしないで済むと思う。
そして、夏美にはこの後は怖い目に遭わせないで済むと、僕は考えているんだ。もちろん、万一のことがあったら困るから、丁寧にやるし、夏美を一生守るつもりでいるけれども」
「はい、そのために私がサポートをします。もちろん、ラインハルト様の《協力者》でもありますが、夏美さまのご一族のお側に仕えて参りました龍ヶ崎家の末裔の者として、誇りと命を懸けるつもりでここにおります」
命を落とした美津姫さまや、他の巫女姫さまの伝説があるから、ライさんと善蔵さまは私を心配してくれているのね、顔が引き締まってきたのを見ても、わかる。
でも、ライさんに宝を引き渡したら、私の中の龍神様の魂はどうなるんだろうか。
「あのね、もしも、もしもよ、ここまで話を聞いておいて、、。それでも、なんだけど。
私がライさんが望む選択をしなかったら、どうなるの?
美津姫さまのご説明も納得しているのよ。それに、夢の中でも美津姫さまがライさんに宝珠をお渡ししたいと思っていたみたいに、私も思えるわ。それから。
あのね、私はもちろん、ライさんに親和性を感じているけど。
でも、不思議だけど。私は、美津姫さまと違う感覚みたいね。
正直に言っていい?
ライさんの《協力者》でもあるし、ライさんのミッションを頑張って欲しい気持ちもあるけれど、それでもどこかまだ何かが引っかかっていて、簡単にイエスって言ってあげられないの」
と夏美は言って、言ってからもまだくよくよしてしまう自分がなんだか嫌だ。でも、正直、何か心の中にわだかまり、みたいなものがあるのは事実なんだけど。
ラインハルトは全く動じず、嬉しそうに微笑んだ。
「さすが、”君”だね。
いい質問だし、しごく真っ当な意見だね、夏美。
昔から、夏美のご一族の方々からの反対意見もあった。その人たちに、今の夏美の言葉を聞かせてあげたいと、僕は思うよ。僕の意見と対立する人を元気づけたいわけじゃないけれど、それでも喜ばせてはあげたい。
夏美も僕も、正々堂々と意見を戦わせて、お互いの意見の正しさを主張していて、慎重に聞く。
ある意味、楽しい時間だ。事実、どちらも尊重すべきなんだし。
だけどそれだけでは、かつての夏美のご一族のお話と一緒だ。
何も決まらないまま、という弊害は、絶対にある。
宝物をめぐって何度も争いが起きていたと思う。
争う同士が、どちらも正しい、そしてどちらも正しくないってことだってある。そして、それは、厄介なことでもある。どこかで、決着はつけなくてはいけない時があるんだ。
物語なら、正しいものと悪いものが明らかに設定されていて、勧善懲悪だったりするからわかりやすい。現実は相互理解すら難しいし、理解不能で放り出したくなってきたら、厄介なんだ。争いは、そこからそうして起きる」
ラインハルトが、一度言葉を切って、ため息をついた。
「かつて、僕がずっと避けていたことがある。自分が力があるのを知っている。だからこそ、あまり使いたくないんだ。...圧倒的な支配、そしてその、支配の前の。
...力ずくの闘いだよ」
《engua para d'ate》『誓約と破滅は紙一重』
デルポイの神託を求める者に対する3格言の三つ目。デルポイのアポロン神殿入り口に刻まれていたと伝えられている。
《無理な誓いはするな》と同義とされる。
誓いをするために、状況判断は不可欠。誓いをした後は、責任負担が不可欠。
人は望みを持ち、その望みに手を伸ばす。そして、手を伸ばしたまま、奈落に落ちていく者も多い。
なお、一つ目は「55」、二つ目は「56」の後書きに記してある。