88 《劔を鍛えよ》 (21)
夏美は、思わず口をはさんだ。
「ライさん、ライさんの優しさ、お気持ちは絶対に美津姫さまに伝わっているわ、絶対に。
私の夢の中でも、とても素敵なお姿で現れてくれたのは、美津姫さまのような気がするの。いつも、優しい気持ちばかりが伝わってきていたのよ。自分のことなんかよりもずっと、『兄さま』と呼びかける人のことばかり考えていて。私も妖精のような方だと思っていたけど。だから、そうね、大丈夫、美津姫さまの魂は、ずっとライさんのそばにいてくれているのよ。それだから宝珠も預けたんですもの、天国にいるのと同時に、いつもライさんのそばにいるのよ、信じてあげて」
夏美は、自分の胸の辺りが温かくなるのを感じる。
そうでしょう?
私、まるで通訳のようにうまくお伝えできたでしょう?
それにね、ライさんもまた、美津姫さまのことを思って、今、胸の辺りがトクンとしたみたいよ?
ね? 大丈夫、ちゃんとこれからも伝えあいましょう?
そばにいてね、大丈夫だから。
みんなで一緒に、幸せになりましょう?
輪を描くみたいに、らせんみたいにみんなで一緒に。
ずっと仲良くしていけたら。
星みたいに、みんなで一緒に輪を描いていきながら、輝けるといいわね、そんなイメージばかり浮かぶわ。
ちょっと偉そうかしらね(笑)。
一番、力も何も持っていなさそうな私が言うのもなんなんですけれども・・・。
ラインハルトが、心から嬉しそうに言った。
「夏美、ありがとう。夏美の言葉が心に沁みるよ。夏美の言葉には嘘がないから。
僕は、ずっと喪失感にとらわれていたけど。でも確かに宝珠があるおかげで僕が耐えられていたのは、そういうことなのかもしれないな」
善蔵は、優しくうなづいて
「確かにそうでしょうとも。説明はとりあえず、ここまでといたしましょうか?」
と言った。夏美は提案してみる。
「善蔵さま、ありがとうございます。
神社のことは、なんとなくわかりました。ライさんのお話と繋がってきましたから。
そして、今は美津姫さまがすでにおられなくて、ここまで来てしまったことも、理解できました。
それでね、ライさん。
私が気になるのはね、《私が決断をしていいのか、その資格があるか》ということなの。
だから、次はそれをテーマに私の知っていることをお話するわね。いいかしら?」
「うん、もちろんだよ。今日は、夏美が主役なんだから。途中で口をはさむ時は、手を挙げる」
「はい、それがよろしいようですね」
善蔵は、にこにこと言った。
「私が子供の頃にご本家に行った時、奈良におられたお婆さまは、なぜか母でも弟でもなく、私にだけ不思議な話をしてくれたみたいなの。子供だったから、大切な言葉を、3つだけ。
それだけでもずっと覚えていて欲しいということだったわ。
だけど、残念だけど、ただそれだけ。それだけが現実にあったことだと言えるんです。
もう一つは、夢の話よ。
小さな頃から不思議な夢を見て、もしかしたら、さっき説明したように美津姫さまかなと思うのだけど、きれいなお姫さまを夢の中で私は一生懸命に助けようとしているのに、いつも私は全然役に立たないということがあったの。
そんな夢を繰り返し見ていたけど、大人になったらそんな夢もずっと忘れていたの。それこそライさんが来るまでは、全く忘れ果ててしまっていて。
私、10代の頃に色々とへこんでしまって、普通の大人になりたいって思っていたのもあるんです。悪目立ちしたくないと思って。
個性なんかいらない、規格の中に収まっているような普通でいたいって思っていたんです。何かを一生懸命にやろうとすると、我を忘れて自我が暴走してしまうところもあって”浮いて”しまいがちだったので、すごく気にしていたのね。
今はちょっと違う気持ちになってきたんです。不確かなことを見つけて気になっても、考えるのをやめて、忘れて、空気を読める普通の大人になるのでいいのかなって、また考えを変えようとおもったりして。それよりも勇気を出して、何か大切なことに役に立てるならば、っていう気持ちがあります。
だけど...。
それでもやはり、まだ怖いような気持ちがあるんです。正直に、自信もないの。毎日テンションが上がったり下がったりしている、一貫性のない自分が腹立たしくてたまらない時も。
なにかそうね、夢の中でも”資格があるのか”みたいにうなされることもあったりして。それを考えると、資格があるという以前に、私はいったい何者なの?それとも何者でもないの?って考えてしまうんです。
今、お聞きしたけれど、私には神社のことも記憶がなかったんですね。つまり、美津姫さまの持っておられた力が、私には無いんです。ね、巫女姫様の条件のどれ一つも満たしていないんです。それが本当のところでしょう?
それなのに、なぜ、ライさんが私に選択を求めるのかなってこと。
《決断を、選択をする資格》を私が確実に持っていないと知っているのに、ちょっと変ですよね。もしかしたら、正当な人が奈良におられるのかもしれないじゃないですか」
ラインハルトがうなづいた。
「そうだね、確かに僕がずるく立ち回って、正当な権利者には断られそうだから、騙しやすそうな夏美の前に現れたって可能性だってあるよね?」
「ごめんなさい、でも、その通りのことが言いたいんです」
「夏美が安易に頭から信じる人じゃなくて、逆に僕も安心したよ」
と、ラインハルトがにやっと笑う。
私も今、ライさんのその笑い方で、ちょっと安心したけど(笑)、と夏美は思う。
「これは、僕たち一族側の情報になってしまうんだけど、だから信じる、信じないはお任せするけど。
僕たち側で調べたことによると、善之助様と美津姫だけが術を使うことの出来た最後の人らしい。つまり、奈良のご本家のどなたにも、巫女姫様のような能力のある方は、今現在いらっしゃらないということだった。
もちろん、N県の方も調べてみた。善之助様に仕えた人で、能力がある術者の人もおられたが、善之助様ほどには完成はしなかったそうだ。
そして、夏美の祖母の多津子さまは生前から、実は巫女姫様の力を全く持っておられなくて、歳の離れた妹である美津子さまに代わってあげられることも出来ないとつねづね悲しんでおられたと聞いたんだけど」
「はい、それは私も聞き及んでおります。
奈良におられたお婆様も多津子様も、私は存じ上げております。お二方共に龍ヶ崎神社の歴史、伝説のことは良くご存じでおられましたが、術のことはわからないし、全く能力が無かったとおっしゃっておられました。ただ、こちらのお二方共に出来たことが、一つだけありました」
「それは、なんですか?」
「そばにいる人が能力があるかどうか、そばにある物が特別な力があるかどうか、なんとなくわかるとおっしゃっていました。ただ、そこまで止まりだったそうです。それで余計にご自分たちが、{選ばれた特別の力を持たない}ということがわかると自嘲なさっておいででしたよ」
「なるほど、それはお辛いだろうと僕は、思う。
たぶんお二方共に美津姫を傍で心配して見守っておられたと思うし、それだけでなく、たぶんご修行もなされた上での話かもしれないね」
「はい、お二方共に、頑として奈良のご本家に行くことを拒んだ美津姫様のことをとても心配なさっておられました。良くN県にもお訪ねくださってはいたのですが、どちらもお嫁に行かれた身ですし、昔はそうそう、{遊びに行く}ということは、女性には気軽には出来ません時代でしたので」
夏美はうなづいた。
「あの、そうなると奈良のご本家の方にもN県の方にもおられないということになりますね。
でも、それでしたら私も条件は満たしていないことに変わりはないです。 私も{選ばれた特別の力を持たない}と思いますし、それからお婆さまのように{選ばれた特別の力を持たない}かどうかすらもわからない者なんですけど。ただ、私は、、」
つい口ごもってしまう。
ラインハルトが夏美を見つめて、そっと言った。
「うん、でも、さっき夏美が教えてくれたことが関係するんだよ。
夏美だけにお婆様が伝えたお言葉が、あるはずだ。お婆様が託しただろうことを、奈良のご本家におられた方お一人だけが知っておられたんだ。今はお名前を伏せておくけど。
夏美が証を立てるとしたら、そのお言葉だよ。善蔵は神社の古文書で見せていただいているから知識としてはわかっている。僕は、水晶玉を託される時に改めて教えていただいたので、ようやく思い出した知識というだけのことだ。
でも、ただの知識ではなく、心話だけで真髄を伝えられている者であることが証になると、僕は思う。
夏美はお婆様から書物も見せられず、心話だけで口伝されただけのはず、その場にいた者の中で一人だけ、そのメッセージとイメージを受け取れた可能性がある。
僕たちが先回りして夏美に勝手に知識として吹き込んだ事実はないし、だからぜひここでそのお言葉を言って欲しい。さっき、夏美が後回しにした話はこれだったんだよね?
そして、ちなみに僕の方も、3つの戒めの言葉に注意するように子供の頃から言い渡されているから、まるでお揃いという感じなんだけど」
夏美は、きょとんとした。
「え?、ライさんも?」
「うん、僕も僕の一族も、皆一度は言い渡されている。その言葉はうちの一族のオリジナルというのではないんだけどね、なんだろう、3本ある柱のようにバックボーンというか、大切な言葉なんだ」
「3本の柱、、、?」
ふいに3匹の蛇がかまくびをもたげて何か黄金の鼎を支えたイメージが唐突に夏美の頭をよぎった。
何、今の、、、?
あ、あれ?
そうだ、何か夢で見たような気もするわね。
そういえば、3という数にちなむものがたくさんあるようにも思えるけど。
「夏美?」
と、ちょっと微妙な間をあけてしまったのを心配したらしいラインハルトが聞いてくる。
「あ、ごめんなさい、ちょっとね、イメージが頭の中を通り過ぎていったんです」
「あ、こっちこそごめん、夏美のそういうイメージがすごく大切だと思うのに。邪魔しちゃったね、ついつい僕ときたら」
「ううん、大丈夫。ええと、ちょっとメモするわね。《3》という数字が付くのがたくさんあるなぁと思っただけなんです」
夏美は慌ててメモをした。巫女姫、鼎を支えていた外国の?乙女たち、蛇、宝の数、戒めの言葉、ライさん側の注意するべき言葉、、、。何か関係があるのかしら?
「お待たせしました。ええと、じゃ話の続きをしますね。
私は《すべての宝物を神さまに返して詫びて、隠れてひっそり生き延びる》っていうようなお話を奈良のご本家のお婆さまに聞いたのね、その時の戒めのお言葉の話なの」
「うん、ちゃんと全部覚えていたんだね」
「ええ、大切なことなので、絶対に忘れてはならないって思っていましたし。
あ、でも、ええと、ごめんなさい、先日思い出すまで、ちょっと記憶の底の方にしまわれてしまっていたみたいだけど、良かったら今、ここで暗誦できますよ?それでいいの?
何か変なことは起こらないわね?」
神妙な顔をして、ラインハルトと善蔵がうなづく。
夏美は、言った。
「教わった通りに言うわね、」と断った上で。
……『劔は、お返し申した』と、唱えよ。
無用のことはするな。
分をわきまえよ。……
善蔵の目がたちまちにして潤んでいくのだった。
「まさに、その通りでございます。お小さい頃に教わったお言葉をこのようにきちんと。
きっと、ご一族の皆様も、...」
と言って、ハンカチで目頭を押さえている。
「すごいね、夏美。そう思わない?
ずいぶん昔から言われていて、でも、神社が統合されて無くなる、その時にもすべてを終わらせることもできず棚上げされていたのに。そして、数名の巫女姫と支える者だけが特別に教わった言葉なのに。なぜか時を飛び越えて、夏美に伝わっているなんて」
夏美は、ラインハルトの真剣な目を見返した。
「ライさんは、言葉をずっと知っていたの?」
「うん、宮司様、善之助様にね、神社に訪れた時に古文書にて見せていただいていたことがあったからね。その時には、ただの知識の一つみたいに眺めていただけだった。僕は、この言葉の大切さを最初からきちんと知っていたら、というか理解していたならば、と思うんだよ」
「良かった、今、何も起こらなくて。
ずっと誰にも言えない言葉だったの」
と夏美は、安心して言った。
「うん、大丈夫だよ。その言葉では、なにも起こらない。
本当は、もっと違う言葉があるんだってさ」
!
やはり、もう一つの方の、あの言葉。いかにも怒れる龍神様の、あの力強い言葉のことをライさんもなぜか知っているのね?
そして、そっちの言葉では、もしかしたら、何かが起こるとでも言うのかしら?