87 《劔を鍛えよ》 (20)
「龍ヶ崎神社は、もともとご神体の龍神様を祀っておられる神社でございました。歴史は古いのですが、ご本家はご存じの通り、奈良県にございます。もともと、当時の帝にお仕えされていたと伝えられる由緒正しいお家柄でした。
昔は人間の寿命は儚くて子供も簡単に亡くなります。世継ぎを途絶えさせないためにも、ご一族の中に本来の奥様の他に妃と呼ばれる方がおられまして、ご本家を継がない方による傍系の家が興されました。その方々が遠く離れたご領地や荘園の管理のために都から地方に行かれたとのことです。
奈良県から遥に離れているN県の龍ヶ崎の一帯は良質な水にも恵まれておりますが、山は深くかつて大変な水害が繰り返し起こっておりました。都から来られたご先祖様が、その山上湖の龍神様と仲良くなり、お祀りをなさるようになってから治まったそうです。それが龍ヶ崎神社の始まりと言われております。昔話には、龍を退治するようなお話が多いのですが、恋仲になったとかそのような微笑ましいお話から始まったのです。
宝は、そうでございますね。三つの宝がありました。いわゆる宝剣・宝珠・宝鏡ですね。
畏れ多くも、主上、天皇家の三種の神器と似通っております。これは珍しいことではありません。かつては、あちこちの豪族の家には、謂れのあるものが存在しておりました。正当な相続、権威を引き継ぐ証ということになります。
奈良のご本家から遠くのN県にて保存されている3つの宝は厳密にいえばご本家の所有物ということになるのですが、元々、その地の龍神様由来の宝でもあり、何度か保管場所を移動させようとなさった時には悪いことが起きたという言い伝えもあったことから、ずっと龍ヶ崎神社に置かれてありました。
このエピソードも天皇家の三種の神器と似通っております。神から賜るような宝物には霊力が宿っておりますから神宮にて祀りまして、御所にはレプリカをきちんと保管する方法でございます。やはり、人知の及ばぬ力というものを尊重せねばならないということですね。
さて、その3つの宝をお世話すると共に、治水といいますか、田・里に水の豊かな恵みを請い願い、災いを遠ざけて欲しいという祈りを龍神様に願う役目を担ったのが巫女姫さまたちでした。先ほども申し上げましたが、何と申しますか、やはり傍系の女のお子様が都から派遣されているような形になるわけです。龍神様の宝を守るには、未婚の穢れのないお姫様方がちょうどうってつけだったのでしょう。
それで巫女姫様がたには、本名とは別のお名前、巫女姫様の名前で呼ばれる習わしでした。同音異義語の名前を生まれながらにしてつけられた方も多くいらっしゃいます。3名の巫女姫様はいつも必ず姉妹でなくてはいけないわけではないのですが、もともとお役目に応じて呼ばれる名前でもありますから、宝物の数だけ3名と定められておられたようです。
田津子さまが宝剣を司り、里津子さまが鏡を司り、水津子さまが宝珠を司るという謂れのようでした。
それから、伝説では・・・まれに巫女姫さまが、その龍神様の、」
善蔵が言いよどんで、ラインハルトをちらりと見た。ラインハルトがうなづいた。
「うん、今は言って大丈夫だと思うよ。なるべく全部聞きたいよね、夏美?」
「はい、もしもネガティブなことがあっても、ぜひお願いします」
と夏美は元気よく答える。
「とりあえず、おっしゃってください。
今は、たくさんの情報をいただきたいです」
善蔵はうなづいて続けた。
「ええ、伝説では、全ての巫女姫様方が、奈良から”都落ち”状態でこられたわけではなく、そのご先祖様と龍のお子様方、子孫にあたる方もおられたということです」
「龍と人間のハーフ?みたいなものですか?...まるでおとぎ話のようですね」
「あくまでも伝説でございます。先ほど微笑ましい謂れから始まったと申し上げましたが、奈良のご本家の男性が龍の娘、すなわち龍神様とこの地で結ばれたという伝説から始まったのです」
「龍神様は、メス、あ、ごめんなさい、女の神さまだったの?勝手に男だという先入観がありました」
「ええ、白蛇竜というお名前の他に、真珠竜というお名前をお持ちでした。山に囲まれた湖で真珠が採れるということはなかったと思うのですが、ずいぶん古い時代の古文書にも両方のお名前が出ていましたそうです。
治水が上手くいっている時のイメージから来るお姿でしょうが、ふだんは穏やかな人間の女性そのもののようなお姿をしておられるとか。3名置かれる巫女姫様も、どちらかというと、龍神様の侍女のような絵姿のように描かれた巻物もあるそうです」
「私、もっと怖い神さまだと思っていました」
善蔵は、柔和な顔に笑みを浮かべた。
「はい、もちろん龍神様ですから、お怒りの時は、真珠のようなうろこの全てがまるで光り輝く劔のような白銀色に変わるそうです。
そして、四神の青龍とのご縁も深い龍神様だそうで、かなり強大な力を持つとも言われています。女神さまというより、普通に龍の姿になられている時は昔話そのままの怖い神さまかと思います。
それこそ、湖周辺の木々を一瞬でなぎ倒すような嵐を起こすような、」
夏美は、息を飲む。
「すごいですね」
としか言えない。
「かっこいいだろう?素敵だよね?
人間の10倍近い大きさの神々しいお姿を想像してご覧よ」
と、ラインハルトの言葉が弾んでいるのにひきかえ、夏美は夢で見た白銀色のうろこを持つ怖ろしい龍の姿を思い出し、青ざめる思いだ。
「まぁ、本当に龍神様のお姿がそうであったのかは、わかりません。古い文献なのでおとぎ話のようでもありますから。台風や鉄砲水の災害のことをも加味された伝説かと思いますけれど。
それでもとにかく、本来は乱暴な神さまではなくて良妻賢母と言いますか、たけり狂う水をなだめることの出来る龍神様なのです」
「出来れば、つねに穏やかでいていただきたい方ですね」
「はい、そうでございますね。たぶん、その近辺の者たちは、龍神様を崇め、畏れ、怒られないように暮らしていたのです。人の世が栄えるにしたがって、龍神様は姿を見せなくなられたと聞きます。それでも危難のおりには、白蛇竜がこの世を助けるためという約束のようなもの、その証が3つの宝だったそうです」
善蔵は、さらに説明を続けた。
どうやら、宝剣が途中で失われた(湖に投げられた)という言い伝えは、悲劇的な事件も含めて本当にあったこととされている。それはずいぶん昔の話のようだ。宝が欠けた直後は緊張感を持って、残された宝物をどうするかという議論も盛んであったのだが、一族の者たちのたくさんの思惑もからんで一向に話はまとまらず、時は過ぎていったようである。
「つまり、」
と善蔵は言った。
「つまり結論として、最後の宮司となった私の祖父の善之助の頃には、宝剣が無くなったままで宝珠と宝鏡だけが残っていて、ご神体の後方に置かれた棚の箱の中に宝珠が収納され、宝鏡は宝物庫に大切にしまわれていた状態でした。そのように記憶しております。他に、水晶玉がご神体のすぐそばに桐の箱に入ったまま飾られておりました。
他方、巫女姫様方は、ちょうど多津子さまはお嫁に行った後で、残されたのは美津姫様がお一人という状況でした」
ラインハルトも夏美も、うなづくばかりだった。
「さて、そこで神社がダム湖に沈むことになったので、その長らくうやむやになっていた問題は、にわかに決着せねばならない事態となったわけです。
ご神体は、神社の合祀という形で落ち着いたのですが、ご本家でも、N県の龍ヶ崎神社でも、”本来のご神体と別の、”三つの(現在は二つの)宝物をどうするのかということになりました。そこでも、残念ながら話はすんなりといかなかったのです」
「そうなんですね、」
「いずれ、先祖返りがあるやもしれぬという言い伝えは残っていたのです。
龍神様の娘の魂を持ったお姫様が必ず出現してくださるので、その方にお任せせよという伝説があったのですがね。ただ、さすがに今は文明の進んだ時代、それは昔のそれこそファンタジー、架空の話だと否定し、現代風に処置をするべきという意見が対立してしまいました。
つまり、元々の最初の伝説にちなむのは、時代遅れだと。
ただ、祖父や私どもはN県におりましたし、ずっと龍神様をお祀りしておりましたので、古い言い伝えも意味がある、と申しますか。感じておったわけです。まさに優れた方がおられたわけですから。
それこそ、特別な巫女姫さまの中の、巫女姫さまと思われるお方が、」
「それって、もしかして、、」
ラインハルトが黙ったまま、夏美に向かってうなづいた。
善蔵もうなづいて話を続けた。
「はい、美津姫さまが特別な魂を持った巫女姫様かもしれないという噂は、ずっとあったのです。
私よりは年下でしたが、とてもそう思えないほど本当に神々しいお嬢様でした。
もちろん、たまに普通の少女のようにも見えるのですが。
現代社会で、真面目にこう話しますと、世間ではお笑いになられるかもしれませんが、凡人にもわかるくらいに陽の光を受けて輝いて見える、みたいな方でした。
生まれながらにしてお身体が弱いと聞かされておりました。お母上様も産後すぐにお亡くなりになるほどの、とても難しいお産でした。美津姫様だけがお生まれになったので、奇跡のお子様とも言われたわけです。
私は宮司の孫ではあるのですが、ふもとの里に両親と住んでおりました。たまに神社まで参上しても、ふだんはお顔を見せていただけないくらい、大切に神社奥の屋敷の中で育てられていたのだと思います」
「そうなんですか?」
「はい、お気の毒なのですが、普通に小学校などに行けないくらいのご病弱なお身体だと聞いておりました。普通の子供たちはそれこそ今よりもっと田舎の龍ヶ崎の地で猿のように元気に遊んでおりましたのに、生まれながらにして、全くの別世界の人のようでした。
たまにご用があって、それこそその瞬間だけお見掛けするのですが、正視してはいけないと思わされるくらいに不思議な、それこそ人間じゃなくて妖精さん、みたいな、、天女みたいな。...大げさですかね。お小さい、もちろん子供の姿をしているのですが。
数世紀を経ている天女が降りてきているような、この世のものとは思えなかったくらいです」
「すごいですね、本当に?」
「おとぎ話の中の人、みたいだったよね。
そうだよね、僕もずっとそう思っていた。つまり、日本の最古の物語の、かぐや姫みたいな感じ。
僕ら西洋人が、東洋に憧れてきた、そのもの、実物を初めて見る感動というか。伝説の、それこそ時を越えてそこにいるのが不思議なくらい、日本のお姫様だなぁと思ったよ。
本の中の知識で得たけど、うわ、本物だ、って感じ」
「はい、とにかく学校に通わずに、ずっと祖父が選りすぐりの者を家庭教師に選び、学んでいただいておりましたが、ええ、とても優秀であられたと聞きました。
いつ習ったのだろうかと思うくらいに、千里眼というか、様々なことに博識だったということです。本当に、たまにお言葉を話される時、宮司の祖父も感銘を受けるようでしたと。子供の僕にとっては、同じ子供というよりは、やはり神さまに仕える巫女姫さまそのもの、というイメージでした」
「そうだね、普通に美津子さん、というより、やはり美津姫さまという感じだったよね」
「そうなんですね・・・」
相槌を打ちながら、
全く私と別世界の人の話だと、夏美は思った。
確かに、夢の中の美津姫さまを思い出すと、そんなイメージかもしれない。妖精のお姫様か、天女みたいな。ええ、黒髪のとても美しい、そして上品なお姫様。そう、ファンタジー小説に出てきてもおかしくない方だった。
でも、ファンタジー小説じゃなくて現実に、そんな方と本当に血のつながりがあるような気はしないので、なんかちょっとへこみそうなんですが、、とも夏美は思う。
ラインハルトが絶妙なタイミングで口をはさむ。
「夏美が、最近少し髪が長くなったから、うん、面差しがなんとなく似ているかもしれないけれど」
「そ、そうですか~? 本当ですか~?」
と、ラインハルトのフォロー?に対して、思いっきり現代庶民の声と言葉で夏美は返事を返した。しかも大いに疑い満載モードで。
善蔵はにこにこしながらも、淡々と正直に話を進めた。
「ええ、でも、夏美さまは健康的な生き生きとした感じがしますけれども、本当に美津姫様は、人間離れしておられましたよ。
呼吸を普通にされていないと嘘を言われたとしても、皆、信じたでしょうね。林に囲まれたあの湖に夜の月明りに立って、中空に浮いているようなイメージなんです」
「え?
それはまた、すごいロマンチックですね」
「実際、そういうお噂まであったのですよ。
巫女姫様は夜、龍神様にお会いになっているのかもしれない。そんな時に巫女姫様を視たら、ばちが当たるとまで言われていました」
「それで、陽が落ちたら、あの辺の皆は、湖に行かなかったのかい?」
「まぁ、あの湖もみかけよりはすごく深く水温が異様に低くなる時があって、ですね。村の子供たちを危ない目に遭わせないようにして脅かしただけかもって、今にしたら私もそう思うのですがね」
「うん、確かにね」
善蔵が咳ばらいをして、ちょっと会釈をして紅茶を一口、飲んだ。
「あ、ちょっと脱線しすぎました。
....つまり、美津姫様があの時点では、残された宝を身近に管理して、きちんと行く末を決められる資格を持つのだろうという話になりましたのは、N県の神社側の見解でした。
それならば、とご本家の方が、宝物を持ったまま、奈良に戻ってきて欲しいという話になりかけました。
ですが、美津姫様が、、、」
「うん、美津姫が首を縦に振らなかったんだよね、そう聞いたのだ。そして、話は進まなかったらしい」
「水晶玉に異常が発生したとおっしゃったり、お熱を出されたり、で、はい、、」
「うん、まぁ、善蔵は美津姫の悪いことは言いにくいだろうから、僕が言うことにしよう。
とにかく神社が取り壊されるとしても、N県に残りたいと言ったりしていたみたいだ。たとえ湖が無くなったとしても、そばの村に住みたいと。
彼女自身の名誉のために弁護するならば、わがままを言っているわけじゃなかったと思うんだ。
巫女姫として、やはり感じることがあったのだろう。が、どう一生懸命に訴えても、何にせよ年齢的には子供なわけであったし、ご本家の方としては、いよいよ心配になっていたのだと思う。」
「ええ、祖父ももともと宮司としてお支えしておりましたのですから、もちろん美津姫様の感覚の鋭さとかを申し上げて、折り合いをつけたい、みたいなことは何度も奈良と行き来して、調整をしようとしたのですが。
もともと、美津姫様のご両親がご本家と折り合いが悪かったという噂もございましたが、、」
「うん、そうだね。とにかく、その話が決着をするかしないかの頃に僕が日本にやってきたんだけど、その時には、かわいそうに美津姫の身体の中に宝珠が入ってしまっていたんだ」
「...はい、そうでございました」
「...?」
「一度、夏美に話したよね、僕が神社に行った時の話なんだよ?」
「ええ、そうね、あの話に繋がるのよね、何となく覚えてるわ、」
でも、と夏美は思う。
今、少し話が飛んだ気がするんだけれど、なんだろう?
「僕が中国で聞いたのは、『日本にある、青龍王ゆかりの白蛇竜をお祀りする神社に困りごとがあるから、それを解決したらそなたの求めるものを授けよう』ということだった。その証としてお札まで授かった後に、日本にやってきたんだ。
だから、僕もあまり細かいことは知らないんだけど」
「ええ、そうでございましたよね。
私もその時、ラインハルト様のお札のおかげで、台風の後に流行った病気から助けていただいて立ち直れたようです。それが最初の出会いでしたね」
「お札があったおかげで、美津姫と善之助様の信頼は得られたのだけれど。
でもお札の力だけでは、美津姫の宝珠を取り出すことなんて出来なかった。
僕もまだ子供だったし、一族の最高の魔力を持つ道具を使う提案を出して父たちにお願いしてみたのだが、門外不出の宝で日本には持ってこられない、僕に使わせてももらえないという結論が出た。
それで、わざわざヨーロッパまで美津姫に来てもらったのだった。それなのに、僕は結局、彼女を助けることが出来なかったんだ。彼女と約束をしただけでなく、善之助様にも必ずお助けすると約束したのに」
「ライさん...」
「ラインハルト様はそうおっしゃいますが、美津姫様は、最後はあなたと婚約して普通の少女のように微笑んで過ごしておられたと、私は聞きましたが」
「そうかな、僕はあの子の笑顔も覚えているけれど、でも、ついシリアスな表情の方を思い出してしまうんだよね、」
「でも、ライさんに最終的には、宝珠を預けてくれたんでしょ?信頼して」
と、夏美は言った。美津姫さまの気持ちが伝わってくる。愛しているだけではない、ライさんの使命感を理解し、信頼していたのだと思う。断言はできないけれど、そんな気がする。
ラインハルトが夏美を見やる。悲し気な瞳だったが、何度もうなづいた。
「うん、そう、そうだけど。今はもう遅いけれど、僕が選択ミスをしたんじゃないかって思っているんだ、他に何かもっと彼女のためにやれることはなかったのかって。
何か気づかなくて、気遣いが足りなくて見落としているところばかりだったかもしれない」
「さっきの話にも繋がるわね、ライさんだけじゃないわ、きっと。
ね、そう思いませんか?」
善蔵が、大きくうなづいた。
「そうですよ。美津姫さまのお身体がとても小さく弱かったので、まずは儀式に耐えうるようなお身体になっていただくか、ご成長を待たねばいけないのではないかということもありました。もちろん、ラインハルト様も今よりもっと年齢が若かったですから...」
「うん、それもある。僕の、魔法使いとしての力が足りなかったんだ。一番強力な杖を継承はおろか、制御できるレベルになくて、許可が下りなかった。
きちんと制御できない物を無理やりに使おうとする方が、何もしないことよりも悪いことだとされているから仕方ないけれど、自分の至らなさが悔しかったよ」