85 《劔を鍛えよ》 (18)
「良く眠れた?
それとも...。夢を見た?
もしかして、怖い夢ではないよね?」
最近は、いつもライさんは、会うたびにこう尋ねてくれる。
夢の話を一生懸命に聞いてくれる人は珍しいかもしれないなと、夏美は思う。
今日はあの高級車に乗せてもらっている。
外国製の車だからなのか、とても大きく作られていて柔らかみのある座席に夏美は今、深々と沈みこみそうになっているのだ。わざわざ、山本さんが運転をして、マルセルさままで助手席に乗っている高級車でライさんが迎えに来てくれたのだ。ちょっと恥ずかしいので、家から少し遠めの公園のそばでピックアップしてもらったが。
気づくと、隣にいるラインハルトが背中にクッションを当てようとしてくれている。
「たぶんこの方が楽だよね、どうぞ」
「あ、すみません。...あのね、ライさんこそ、私は心配していたのよ。
だって昨日、お別れする時に顔が青く見える位、とても疲れた顔をしていたし、でも今は大丈夫みたいね。
元気そうに見えます」
「うん、ありがとう。なんだか心配かけたみたいで、ごめん。
僕はぐっすり眠れて、すっかり回復したよ。
そんなことよりも、やっぱり僕は...夏美の夢の話が聞きたいなぁ」
こういう時は、まるで絵本を読んでと言ってくる子供のようにも思える。
助手席に座っているマルセルが笑顔で振り返る。
「夏美様こそお疲れ様でした。昨夜は遅くまでお引止めして、しかも今日もおつきあいくださいまして、誠にありがとうございます」
「あ、いえ、私もただ、楽しくてやっているだけですし、」
と答えるのが、夏美には精一杯だった。
会った時から、なんだかマルセルさんを見ると不思議な気持ちになってしまう。
別の誰かを思い出しそうな妄想にかられてしまうのよ。でも、そんなことは失礼だと思うから、とても言えない。
「もしも、よろしかったら、」
とマルセルが言いかけると、
「うん、そうしてくれる?」
とだけ、ラインハルトが言った。
車のパーティション(仕切り窓)が、すーっと音を立てずに閉まる。夏美は、あっけにとられる。
「凄いですね、でも、なんだか失礼な気がしません?」
「ううん、そういう気の遣い方をしなくてもいいんだよ。山本やマルセルの陰口を言うために閉めたわけじゃなく、ね。僕と夏美が話したがっているというのを邪魔しないようにしてくれているんだ。
《宝珠の謎解き委員会》の話は秘密、なんだから。山本たちは一般の人だから、変な話を聞かせたりしたら、マズイだろう?
Azuriteルームに着く前に、夏美のコンディションを確認しておかなければなって思って」
やはり、ライさんは以前の、私の飛びかかりを警戒しているのかな?
夏美は思い出して、少し顔を赤くした。
「大丈夫。自制心は成長しているし、体調も万全、それにね、」
と夏美はラインハルトを見やって、少しぎくりとした。
あれ? ライさんだよね?
いつものライさんと、ちょっと違う?
「ん?」
と、話の続きを待ってくれているラインハルトまで、今少し違った風に見えるのだ。
どこがどう、っていうわけではないのだけれど。
ライさんの蒼い蒼い、そう、どこかで見た湖のような色の瞳は、ちゃんといつも通りのようで。
でも、ちょっとした違和感があるのだ。
私の見方が、今日はちょっとおかしいのかな?
確かに、見覚えがある。そうだ、いつものライさんの瞳よりも、あの日の瞳に感じた何かが、私に何かを思い起こさせるような感覚。
あの日あの時、Azuriteルームで、ライさんは確かこう言ったのだ。
「やはり、君なんだね」と。少し泣きそうな瞳で。
私は、あの時は何を言われているかわからなくて。
今も、良くわからないけれど、夢の中でもしかしたら、会っていた?みたいな気がしてる。
そうだ、私、ライさんに会っている。いつか、知らないどこかで。
夏美としてじゃないかもしれない、私がどこかで。
ラインハルトは、優しい表情で言う。
「夏美、大丈夫?
話したくないなら、いいんだ。せっついているわけじゃないからね」
と聞いてくれる、この声も普通にライさんで。表情も。優しい感じも。
少しだけある違和感も、ライさんの本当の優しさを、根っこにある優しさを消したりはしないみたいだ。
夏美は、ほうっと息をつく。
「あのね、ごめんなさい。上手く言えないの。
ちょっとね、{ライさんが、ライさんだったっけ?}なんて変な想像をしてたの。
ちなみにね、私、失礼かもしれないけれど、マルセルさんもやはり今日はどこか別人に見えるの」
ラインハルトがにこりとした。
「ふ~ん、昨夜から、マルセルと僕の身体の組成が変わっていたりして」
「え?」
「冗談だよ。でも実際、新陳代謝のことを考えると、人間ってある程度入れ替わっていくんだってさ。
マルセルはともかく、僕は仕方ないな、違和感を持たれても。
昨日、夏美に僕の秘密の話をしたから、別人とか、解凍たこ焼きに見えてもおかしくないけどね。
嘘ではないけど、変な話を聞かせて悪かったね。
夏美がうなされて寝られなかったとかじゃ悪いな、と思ってさ。
今さら、あれは忘れてね、とも言えないし」
「あ、いえ。それは全然、大丈夫でした。
私、良い感じに単細胞なので、ライさんと《協力者》同士なんだ~って感じで、普通に本を読んでいつもの通りに寝落ちしてました(笑)。図太いでしょう~。
なんだかごちゃごちゃした夢を見て、でも、メモを取ろうとしたのに、全部忘れてしまっていて」
「ふ~ん、」
と言って、一瞬だけちょっと子供みたいなつまらなさそうな顔になり、すぐにお行儀の良い顔に戻した、みたいに見えた。
「あ、ごめん。拗ねたわけじゃないよ。
夏美の話が、僕は楽しみで仕方がないもんだから」
「何か思い出したら、後でお話しますね」
と、夏美は笑顔でとりなした。
「うん、ぜひ。
あ、そうだ。遥や瑞季とも連絡出来た?
なんかスケジュール変更があったみたいだね?」
「ええ、大丈夫。〇〇メッセージ連絡網もあるし、それに今朝、遥とは電話でしゃべっていたの」
まだ寝ていたのを起こされてしまったのだが、遥のおかげで気分が明るくなったともいえる。
ラインハルトはうなづいて
「良かった。僕の都合で夏美を引っ張りまわして、遥の色々な予定を邪魔するわけにもいかないからなあ。
あ、ちょっと僕も仕事用のメールチェックをするね、」
とスマホを取り出したので、夏美はかえってほっとした。
実は、先ほどの自分の答えは、半分は本当で、半分は嘘だった。
夢の内容を全部、忘れてしまったわけではないのだ。だけど、まだ整理できていないので、うまく説明出来ないのだ。
なにか龍みたいに灰色の中空を飛んでいるような夢を見たけど、言うのをどうしようかと思った。
起承転結もなく、落ちもない話なのだ、ただ飛んでいた気がしたくらいだし。
自分は蠅だったのかもしれない、いや、壮大な感じかな、龍だったのかもしれない。
ライさんに似た人を逆さまに見たというのは、自分が逆さまなのかもしれないし、逆にその人が逆さまかもしれないのだ、そこまで考えてしまうと、全てにおいて天地が分からないかもしれないと妄想が飛んでしまい、ああ、もうややこしい、という感じなのだ。
嘘はつきたくはなかった。だけど、ただちょっと、今この話はしたくなかった。
話の整理整頓が出来ていないだけではなくて。
自分の話を聞いたラインハルトが明るい声で、
「じゃあ、やっぱり夏美は龍になる運命だったんだね、」
と言って、勝手に能天気に私のフラグを立てそうな気がするのが一番嫌だった。
あの北の塔に閉じ込めて、美味しいエサを運んであげるって、またお気楽な感じで言いそうな気がする。
ライさんは、本気で悪い魔法使いじゃないかもしれないから良いことをしているつもりになりそうで、逆に始末に負えないかもしれないし。
私は、龍になんかなりたくない、そういう本気度がライさんにきちんと伝わっているといいんだけど。
なんか思いつきで実験されたら困るし。...いかにも実験大好きそうなキャラだし。
龍になった私とコミュニケーションが正常に取れると思っているのかもしれない。
私、外国語苦手で日本語しか話せないキャラなのに、{人間にきちんと伝わる、龍言語}というものを話せなかったら、どうすればいいのかわからないじゃない。
ライさんは、もしかしたらそんな龍言語みたいなものを喋れるのかな?とふと思ったが、その質問をしたら、結局根掘り葉掘り聞かれて、夢の中の話がバレてしまいそうに思った。
あとは。
そう、あとは、以前のお婆さまが、出てきてくれたような気がしただけである。
遥の電話で起こされるちょっと前まではお婆様が語ってくれていた夢を見ていたのだ、と思う。しっかり姿形を見たとかじゃないけれども、頭の中で龍の声みたいなものを打ち消してくれたのは、あの言葉だった。
いざという時は、唱えよ。
『劔は、龍神様にお返し申した』と。
そう、もうほぼほぼ決まり文句のようなものだ。
この言葉を聞くと、何とかなるような気がするのだ。きっとあの3点セットの言葉が私を助けてくれる、いざという時っていうのは、そういう意味だよね?
そうだ、やはり龍だった。
夢の中で、龍の声が聞こえるような気がしたのである。ずいぶん立派な龍のようで、素晴らしいなと思った。あれが、もしかしたら龍神様なのかもしれない。白銀色に光っているイメージだった。
ただイメージだけで、姿を見ていない。
ああ、そうだ、ちょっと困ってちょっと悩んだから、ライさんと議論みたいになりたくなかったのかもしれない。
困ったということも、今なんとなく思い出した。そう、いよいよ身体の中で、そのお声が立派に堂々と響いている気がしたのだ。
ワレ 二 セイギ アリ…
ワレ 二 セイトウセイ アリ…
ユエニ…
ワガ チカラ セイギ ナリ
テキ ヲ ホロボスコト セイトウ ナリ
……
正義の女神アストレイアさま(ディケーさま)の話を読んで眠って、その興奮のせいなのかもしれないなと、夏美は考える。
日本の古来の伝説、八岐大蛇よろしく、正義の劔を持っているらしい立派な龍だった。きっと、既に返された劔は、その尾のところにお持ちなのだろう。
凛々しく強い、気高い正義の龍。
でも、自信満々なところが、逆に不安になった。
龍の神さまだとしたら、失礼かもしれないけれど。
自分に正義と正当性があるから、力の行使が正当性を持つということ?
自分に正当性があると思い込んでいた場合、どうなるのだろう?
本当は、全ての状況が見えていたり、把握していない場合、《敵》だと認識して滅ぼそうと飛びかかったけれども、《敵》ではなかった場合は、正当性はあるのだろうか?
神さまだから、間違いとか見落としとか全くないのかもしれない。
それならば、人間はただ黙って神さまの言うとおりに従っていればいいだけなんだけど。
龍が、西洋では退治される対象だと言っていたし、悪い龍なら、というか、普通の龍でも悪いことをしそうになったら、誰かが制止しなければならないのじゃないの?
私は、ええと、そうそう。
お婆さまに言われたことをたまに忘れそうだから、思い出しておかないといけないわね。そう考えたのだ。
だって、思いつく手だてはあれしかない、あの3つの言葉ならば、行き過ぎた力をうまく打ち消すかもしれない、そういう気がするのだ。
そう、どっちがプラスかマイナスか、どっちが酸性かアルカリ性か、わからないけれど、ちょうどど真ん中に中和するような、良いコーラスになるような言葉なんだと思う。
ええと、確か。
大丈夫、私は今でもちゃんと暗誦できるんだから。
……『劔は、お返し申した』と、唱えよ。
それから、
「夏美、お待たせ。
さっき、どこまで話をしていたっけ?」
といきなり、ラインハルトが話しかけたので、一瞬驚いて我に返る夏美だった。ついつい今、妄想の世界に行ったきりになっていた。
「ええと、そうね、スケジュール変更したから、それを確認したかどうかの話だったんじゃない?」
「うん。そうだったね。
おかげで男性陣のチームの出し物の、秘密練習時間が30分くらい縮まったらしい。
負けたくないし、どうしてくれよう。
いっそ、女性陣も同じくらい削ってもらわないとね。
だって女性陣は、練習の進み具合はすごいらしいからね?」
「そう、もうこちらは自信満々なんです。でも、時間のことは安心して。きっとハンデじゃないわ。
女性陣は、自分たちでおしゃべりが弾むと、自分たちで練習時間削っているようなものですから。
でも、悪いけど、会場の票はかなり女性陣の出し物に集まりそう♪」
「こっちだって、イイ感じに完成しつつあるよ。
夏美と踊ると、ものすごく褒められるけれど、それとは別だからね。
僕はそれ以上に会場全体がドッカンドッカン言うんじゃないかな、くらいに思っている。
それにね、あと、僕は別にもう一つ出番を作っておいたし、ここまで頑張れば、絶対におじいさまの特別賞を勝ち取れると思っているんだ。
僕は大人げないからね、ホスト役だろうと、遠慮なんかしないんだ♪」
「お笑いに走っているらしいって噂を聞いたけど?」
「何、それ。
カマかけて聞いても、僕は返事をしないからね。
ずるいな、夏美。うっかり言いそうになったよ。絶対に当日まで内緒なんだ。
夏美は、何かやらないの?」
「うふふふ~~♪」
「あ、あれ?
え~~?何それ。このあいだ聞いた時と、話が変わっていない?
いつも、
『私、ご飯を食べるだけにします』
って答えてきていたのに。
え?何かやるの?
僕、何も聞かされていないよ?」
「えへへ、内緒で~す♪」
「あ、じゃカード1枚めくってもらおうかな、お願いします。教えてください、」
「ダメです、あくまでも内緒です♪」
「ちぇっ、夏美は素直だから、カード理論なら反射的に答えてくれるかと思ったのに」
「ひどいなぁ。
私、そこまで単純じゃないですから。ライさんのおかげでだいぶ鍛えられたと思いますよ」
ラインハルトが、地団駄を踏みそうな顔をした。
「あああ~、気になる!
内緒とか言われると、すごい気になるね、コレ」
「それはわかります。私たちも練習の合間に、いろいろな噂話で盛り上がるんです。
姫野さんが花梨さんと打ち合わせしているのを見た、とか色々聞くので、花梨さんを問い詰めた人も多いのに何も教えてくれないですし」
「花梨はね、ず~~っといつもしゃべっているみたいににぎやかなんだけど、口は堅いよ」
「あと、皆さんにバレバレなのが、ライさんの会社の男性の方が屋上でオペラの何かを歌っていたとか」
「うん、知っている。彼は隠すつもり、全然ないんだもん。声量があるしね。
みんな2度ずつくらい通しで聞いちゃっている(笑)。
誰に聞いても、先週からどれくらい良くなったか、みんな完璧に答えられるんだよ」
♣♣♣♣♣
Azuriteルームは、相変わらず静かで荘厳な部屋だった。
以前、入った時よりももっと、天井の深い青い色を濃く感じる。
この青い色が何かに似ている。
そう、先日は初めて見たと思ったのに、何かを思い起こさせる。
一部、薄い水色にも見える煌めいているところ、光線の加減かな?
そして、やはり歩きやすい上等な絨毯は、足音を殺すかのようにずしっと歩いている人間の一歩一歩を受け止めてくれる。
そう、まるでどこかの古いヨーロッパのお城みたいね。
私は行ったことがないはずなのに、なぜか懐かしい空気のように納得してしまう。物語の写真か映画で見て追体験しているだけなのかもしれないけれど。
「嬉しいな、今日も夏美が素直に見とれてくれている」
「だって、やはりとても素敵なんですもの。
褒めたおかげで、素敵なペンダントまでいただいて申し訳ないくらいだけれど、本当に大好きな石だわ、とても気持ちが落ち着くのよ、この天井の青い深い色が」
もう少し緑がかったら本当に地球みたいね。それと・・・。
そうね、なにか青くて艶のある青緑色の龍が、地球みたいな色の大きな龍が。ううん、考えないようにしよう、龍はもう、たくさんだということにしておかないと(笑)。
「今日も、宇宙を感じるの?」
「そうね、でも今日は、この間とちょっと逆みたいな感じ。
あの時は地球より大きい天体に、自分がなれそうに思って見ていたのに、
今日はね、しょんぼりしているわけじゃないのよ、でも自分より大きなものを感じていて、自然と頭を垂れてお辞儀をしたいような気持になるの。
自分の小さいサイズが良くわかる、みたいな感じね」
「へぇ~~、面白いな。夏美の感覚は固定していなくて、自由に流動的なんだね。
僕は、どうせなら大きな天体になりたいな。
そうだ、今日もたくさん食べて、僕と夏美と2人で肥れば大きくなれる気持ちになるんじゃないかな?」
「ライさん!
私、ちょっと今日この後ドレス合わせもするらしいから、いつもよりは自制するつもりなの」
「あ、そうか、そうだったね。
でも今日こそは、肉は抜かないでよ。ここのステーキは本当にお勧めなんだから。
いっそデザートを少なめに。そうだ、ドレス合わせしてから、居合わせた全員で猛烈にデザートビュッフェで食べるのはどうかな?
今日は、けっこうみんな集まれるって聞いてるよ?
だから、一応先にレストランの方に差し入れのお願いはしてあるんだけど、ビュッフェスタイルにしてくれてあるみたいだし」
「わぁい、それなら今日は、肉食女子全開で」
「うん、もう美味し過ぎるから、絶対に『今までなんで食べなかったんだろう、誰が悪いの?』くらいに思うの、間違いないからね。
夏美の好みは、もしかして血の滴りそうなレアがいい?」
「いえいえ、そんなワイルドな感じじゃなくて、やっぱりミディアムが一番好きです♪」
「わかった。じゃ、ミディアムでね、2トンで足りるかな?」
「ライさん、私、ちゃんと普通に150グラムで大丈夫です♪」
「え?150? 150グラム?本当?
何かの間違いに聞こえるけれど。ま、お代わりも出来るから、ご遠慮なく言ってよ」
「ありがとうございます」
と言ったものの、おかしな冗談を言うから、なんかどぎまぎする。
もしかして、ライさんも私に違和感を持っているとかないよね?
私、龍に見えていないよね?
ライさんも、私がいつもの私に見えていないとか言わないよね?
ちゃんと普通にエスコートして、ちゃんと人間用の椅子に座らせてくれていたというのに、どうしてこう変な冗談を言うのかしら。
「ま、ご褒美の食事を出してもらうよりも先に、大切な話をしよう。
今度こそ、《宝珠の謎解き委員会》の2人がいよいよ問題を解決、いや、とりあえず筋道をつけなくてはね、」
「はい、メモもちゃんと持ってきましたし、心の準備もしてきました」
と夏美は張り切って答える。
タロットの本も確認できたし(母に申し訳ないので持ってこなかったけれど)、大丈夫。それに、瑞季のおかげでわからないことは、ネットで検索できるようになっているんだから。
「うん、僕も出来るだけの準備はしてきた。
とりあえず、夏美のご先祖様のことを知っているゲストを紹介しないとね」
「ゲスト、ですか?」
「安心して。悪い人じゃない。
とても良い人だよ。僕にも夏美にも《協力者》になってくれる人だから。
もっと言うと、夏美には、外国人の僕よりもその方を信じてもらえればいいと僕がまじめに思うくらいの人だよ」
「そうなんですね、わかりました」
と言ったものの、どきどきする。そういえば、昨日何かそんな話になっていた。神社関係?奈良のご本家の方とか、そういう人かしら?
程なくして、斎藤さんと1人の老紳士がやってきた。
礼儀正しく夏美に会釈した後、輝くような笑顔でラインハルトに向き合った。驚いたことに、うっすらと嬉し涙を浮かべているようにも見える。立ち上がって迎えたラインハルトに歩み寄り、固く握手を交わした。斎藤さんは、夏美に笑顔で軽く会釈をし、退室していった。
夏美も思わずその場で立ち上がったが、寄っていっていいのか、わからないので立ち尽くした。
「ラインハルト様、こうやってここでお会い出来るとは、この上ない喜びです」
「僕もだよ、善蔵。本当に感謝してもしきれないよ」
「おめでとうございます、どれほど待ち望んでおられたことでしょう、」
「ありがとう、と言いたいところだけど、この先まだまだ難題を抱えているから」
と言いながら笑顔で夏美を振り返り、再度椅子に座りなおせるようにエスコートする。
善蔵と呼ばれた紳士が、ええ、ええと言うようにうなづいた。
「初めまして、夏美さま。私は龍ヶ崎善蔵です」
さすがに、たまにニュースでも聞くような名前なので、すぐに夏美はわかった。そう言えば、顔写真を見たこともある。
「え?、あの、つまり、遥のお祖父様?」
「はい、いつも遥と仲良くしていただきましてありがとうございます」
「こちらこそ、です。いえ、本当に遥にはいつも頼りっぱなしなんですけれども。
あ、ホテルのこのとても大事なお部屋にもお邪魔させていただけて嬉しいです」
「いえ、とんでもないです、夏美さま。
ご存じなかったでしょうが、元々夏美様は私たち龍ヶ崎の家の主筋の方にあたりますし、私に敬語をつかわれなくても良いのです。
それに、この部屋はもともとラインハルト様のご一族さまの物でございますから。私がたまたま管理を任されておりますが、」
「そ、そうなんですか?」
と、夏美は事情が良く飲み込めないが、ラインハルトは笑顔で言った。
「ま、今から大切なことをたくさん聞けるから、リラックスして、夏美。
それに遥のお祖父様だから、ほっとしただろう?
ただし、遥は《協力者》ではないから、ここでの話をしてはだめだよ。
たくさんの人をむやみに巻き込んで良いわけじゃないからね」
「はい」
「とりあえずざっくばらんにいこうじゃないか。美味しい紅茶を入れるから。というか、もうこのポットに用意してもらってたので。ちょうど良い加減になっているはず。
善蔵、いいよ、僕にやらせて」
と、いつものようにラインハルトがてきぱきと動く。
温かい紅茶にミルクをたっぷり。今日の紅茶は、ラインハルトのチョイスでマレーシアからの輸入の最高級の茶葉らしい。フルーティーな香りで渋みも雑味もなく、気取り過ぎてもいない、水代わりにどんどん飲めそうなくらいの自然な美味しさだった。
ホスト役のラインハルトが、話を始める。