72 《劔を鍛えよ》 (5)
「うん、最終的にはさ、できるよ。
でもさ。なんでも魔法を使っていると、何が本当で何が嘘なのかわからなくなるじゃないか。
僕、本当は自然なのが一番いいと思うんだよ。いつも一族の皆に変人扱いされてしまうけど。
それに、宝珠がくれる傷なら受けとめてみようかなって思ってたし」
夏美がため息をついた。
「研究熱心なのと、意地っ張りなのね、ライさん」
「うん、ずっと宝珠と一緒にいたからね。それに、心のどこかで夏美が本当に宝珠をコントロールしてくれることも期待していたから、自然のまま待ちたかった」
「どうして、自分の身体でそんな実験台みたいなことするの?」
「...趣味? つい研究熱心にはなるね。それと・・・夏美にちゃんと会って...会えば何とかなる気がして...」
「ライさん...」
さっきと一緒だ。魔法のように、もしも自分に力があれば、治してあげたいという思いはあるのに。
ライさんは味方だから永遠に傷つけたくないって思っても、何の呪文も思いつかなかったけど、それと一緒だ。癒しの呪文みたいなものなんて、何も思い浮かばない。
我に正義あり、だっけ?...絶対に違うなぁ・・・召しませ?...それも、違う。
私には何もない、何もわかっていない、本当にただのつまんない松本夏美なの。
そう思うと、泣きたくなるんだから。我慢してるだけなんだから。
でも、わかって...宝珠さん。
美津姫さまも、一族の皆様も誰かを傷つけたくなかったと思うの。
何かを願ったことが、神さまの願いと相いれなかったの?
私たちはどう生きればいいの?
ああ、違う、違う、今はライさんのこと、ライさんの傷に集中しないと...。
無理かもしれないと思いつつ、夏美は祈る。
宝珠さん、無理なら我慢して待つわ。でも、お願い。少しでもライさんの痛みをとって。
あたりはもうずいぶんと薄暗がりに取り巻かれていた。
そういえばマルセルさんが、全然戻ってこないし、シャンデリアの明かりは、なかなかつかない。
「夏美、ありがとう。ちょっとづつ痛みが薄れていく気がする。治癒魔法を使っているみたいに」
「本当?それとも...私に気をつかって、気休めを言っていない?」
「...言ってない、夏美がそばにいて優しい気持に...宝珠も僕も癒されていて。
ね、君と僕がそばにいて・・・良いことは起こりそうだけど、全然、怖いことは起こらないじゃないか。
ねぇ、信じてよ。宝珠が僕を攻撃していたのは、夏美と僕が一緒にいない時だったんだ・・・」
「...確かに、そう、そうみたい・・・」
「大丈夫だよ、夏美が穏やかな気持ちでいてくれて、今は宝珠がとてもリラックスしていて、そして僕を癒してくれていて、」
「本当?」
「うん、夏美も感じてよ。宝珠の優しい気持ちが・・・夏美を受け入れているみたいな、」
ラインハルトの目は真剣だった。
ライさんは嘘を言っていない。
私は、まだライさんには伝えてないけれど、自分の中に鏡があるのかも?ってあの瞬間に思ったのだ。それならば絶対に、ライさんの宝珠と影響しあうって感じて怖くなったのだ。
美津姫さまも宝珠の力を強める鏡を大切にしてたけど、その後、鏡は表舞台に出てきていないじゃないの。
私の中に鏡があったら、怖いことが起きるって思っていたのに、何も起きない。
確かにさっきみたいに自分がいらつかないと、本当にスィッチが入らないとでもいうのか、何も起きない。
それどころか・・・さっき宝珠に心からお願いしたおかげなのか、
今は、ふたりがとても近くにいるのに、自分も、ライさんのところにいる宝珠さんもどんどん穏やかな気持ちになっている。心が落ち着いてきたら、確かに、ライさんの言ったとおりに感じることができる。
ライさんの瞳によく似た、自分を守ってくれる聖域のような、蒼い湖があるような・・・そう、この瞳を私は、ずいぶん前から知っていたんだ...。なぜかわからないけれど。
夏美は手を伸ばす。これは...ライさんの魔法じゃなくて。私が操られているわけじゃなくて。
たぶん、そう、ライさんも手を伸ばしてくれて・・・自然に目と目が合って、気持ちが合って、ただ、そう全てが合った、ただ、それだけなの。
そう、それを同時に私とライさんが優しい気持ちで考えている。そうとしか思えない。
唇が重なって、ハグをして、心の中に怯えを持っているままで、
まだお互いに何も十分に説明もできていないのもわかっていて、
まだお互いにたくさん質問をして、たくさん答えを聞きたいはずなのに
なぜだかお互いに言葉を話すことよりも、唇に違う役割を与えてしまっていた。
先日より、お互いの唇はさらにお互いを求め、深くキスをした。
まるで、お互いを奪うように、まるでお互いを補うことを強いるかのように。
一度、唇を離したラインハルトが夏美の耳元で囁く。
「夏美は、あのさ...化け物なんかじゃないよ、それで言ったら、僕の方が化け物なんだ」
「嘘、」
「嘘じゃないって・・・。ごめん、僕は自分が化け物だとしても、それでも、夏美を好きなんだ」
「私が化け物で、化け物同士の組み合わせでも...?」
「うん、いいね、それ。
化け物同士の組み合わせなら、僕も夏美も安心だし。それなら相性、良さそうだよ」
そこからラインハルトの唇が夏美のまぶたや、耳元、首筋に散歩を始め、ラインハルトの髪におずおずと手を伸ばした夏美の指までからめとった。
それから、やはりまた、夏美の唇に戻ってきてキスをする。
夏美は、感じている。自分の身体が勝手に少し震えている。
「ごめん、夏美に説明をするはずだったのに...」
「そうね。私もたくさん話があったのに...」
「とにかく、一番言わなきゃいけなかったのは、さっき、言いかけていたのは、うん、宝珠が夏美を本物の正当な継承者と認めるのはどうやってやるんだろう?って僕たちは考えていたけど、考えるより先に答えが出てきてくれた、そう思ったってこと」
「はい、そうですね、さっきよりとてもシンプルでわかりやすいわね」
「うん、ていうか、ふたりでこうしてると、どんどん話がシンプルになるかもしれないな」
「10分くらいで話が全部終わったりしてしまうわね?」
「そんなことになったら、夏美がすぐに帰っちゃうじゃないか」
「いいえ、せっかくだから、ごちそうをたくさんいただいてから帰ります」
「みんながね、一応夏美の部屋を用意してくれているから、後で見てみる?」
「え?お気持ちは嬉しいけど、どうしてそんな話が進んでいるの?」
「ま、婚約者を迎えるつもりの大げさなみんなの盛り上がりと、夏美が先日、部屋の調度品をお行儀よく丁寧に褒めてくれたから、とも言えるけれど。
全員が、僕の援護射撃をしているつもりなんだよ。
お互いの会社が近いから、夏美にここに住んでもらいたい気持ちが僕にあるのが、バレてるんだ。僕は僕で、本当に緊急事態になったら、夏美を連れてこなくてはならないと思っていたから、もちろん、そういう時にはお客人としてちゃんと客間に泊まってもらおうと思っていたけれど」
「先日は、龍になったら、塔に泊めてくれそうに言ってたけれど」
「大丈夫、夏美は急に龍になったりしないと思うよ」
「私の中に、...鏡があったとしても?」
「え?鏡?夏美の中に?
う~ん、そうかな?
それは違うと思うな。夏美、もしかして自分が《鏡の乙女》みたいに思っていたの?」
「《鏡の乙女》?」
「あ、うん、日本ではそんな言い方はしないんだったっけ?例えていうなら、だよ。ほら、お雛様の三人官女だって、手に持っているものが違うでしょ?一人づつ守護する担当のものが違うというか・・・」
「私、そう思ったのが今日なの。TVでやっていたのよ。国宝の三種の神器の話。
鏡、玉、剣、似ているわ、あの神社もそうなのかなって。3人の巫女姫さまがいたんですもの」
「ああ、夏美もそう思ったんだ。僕も似ていると思っていた。草薙の剣とかの話と。
国宝の三種の神器と似たようなものが、昔はあちこちの豪族のところに存在してたらしいね。来年は御代替わりだものね、だからTVでもやっていたんだね」
「私のご先祖様が関わっていた神社に、同じように三種類の宝物があったとするでしょう?
剣はもう、龍神様に返したということになっているし、宝珠は美津姫さまが持っていたけれど、龍になる時には、宝珠だけでなく鏡が必要だったみたいだし、悲劇がある時に鏡は一役買っているけど、その後、鏡はどこに行ったのかなって思ったら、とても怖くなったの。
私、自分のことが怖いと思ったのと、」
「僕のことを怖いって思ってくれないくせに」
「また、そんなことを言うのね。
宝珠の力を引き出して力を吹き込む鏡だとして、それが自分の中にあったから、ライさんの持っている宝珠に手を伸ばそうとしていたのかなと思ったの」
「うん...」
「あの衝動的な気持ちが沸き起こってくる気がしたの、昼休憩の時」
「今は?」
「全然、...あ」
そうっとまた、ラインハルトが手を伸ばして夏美の身体をハグして、夏美の髪を指で梳くように撫でる。
「大丈夫だと思う。確信は持てないけど。
鏡はね、僕の記憶では神社のあった場所に封印されているはずなんだ・・・。絶対に確か、とまでは言えないけれど。承継すべき人や、力の強い人なら封印を解けるかもしれないから、もうそこに無いと否定されてしまったら、不確実な話になってしまうけど」
「そうなの...?」
「宮司様が鏡はとても大切で、宝珠とは別にしておいた方が良いと言ったから、そうしたんだけど」
「鏡は、鏡は悪いものなの?」
「え?」
「ライさんは、『宝珠は悪いものじゃない』って言っていたけど、そして剣はもしかしたら、正義の剣だとして、じゃ、鏡はどうなんだろう?と。逆にすごく悪くて怖ろしいものなのかなって」
「そうじゃないと思うな」
「そう?」
「うん、剣と玉と鏡は、昔から三つがセットで。
だから、3人の巫女とか乙女とか、いたんだ。お護りする役割が決まっていた。
西洋の神話にも女神が3姉妹とかセットで良くある話だし。
その中のどれかが悪を担当しているって、どうしてそう感じたのかな?
宝珠はね、今とても落ち着いて夏美の言葉を聞いているみたいだ。
ね、怖がる必要なんてないんだよ?君の中に何かあっても、それはきっと素敵なものだと思う」
「ライさんは、楽天的すぎるわ。
確かに...お札のおかげなのか、ライさんの魔法のおかげなのか、今は何も起きてないけれど。
宝珠は鏡があると力を増幅するって、私、誰かから聞いたような気がする..。
剣が正義を表していて、宝珠は白蛇竜で、鏡はね、鏡はたぶん邪悪なものだったのかなって思っただけ。それで、何かバランスが取れているような気がしない?」
「そうなのかな?あ、でも論理的には成立するね、光と闇が敵対して、その上に神さまみたいなものが載っているみたいな感じってことだよね?」
「そう、そうです。
私ね、夢の中で、そしてどこかで鏡を見ていたの、誰かが鏡の向こうで倒れていた気がするの。
自分の方がまがいもので、倒れているほうが本物みたいな気がしたわ」
「う~ん、僕はそうは思えないな、ごめんね、反対説を唱える。
剣が完璧な善とか正義で、鏡が悪とか罪とかじゃないと思うな。
鏡は神聖なもので、すごく大切にされてたはずだよ?」
「だって・・・怖ろしい伝説もあるし、それはね...お姫さまが大切な人と亡くなった話で」
「うん、聞いたことはある。でも、それは鏡のせいじゃないと思う・・・。それにいつの時代でも3人の女神さま、3人の巫女姫さまが内輪もめをしたって伝説はないよね?しょっちゅう小さなけんかならしていたかもしれないけれど」
「昔、お姫さまは、お姫さまを好きな人と亡くなったのよ。鏡を斬ろうとしていたのに。
きっと、鏡が間違えさせたのよ、」
ラインハルトが、まるで宝物を抱くかのように夏美の頭を自分の胸にもたれさせてくれる。そして、優しく頭を撫でてくれる。
「うん、そうだね、そういう可能性もある。でも、とりあえず僕は反対説だ。
鏡のことはともかく、宝珠は君の存在に反応しているけれど、君を龍にしたがっているわけじゃないと思うよ。
宝珠は僕のことが好きだけど、もっと夏美のことを好きなんだ。夏美はきっと上手にコントロールすることが出来る気がするな。
...ごめん、ずうっとこうしていたいけど、みんなが心配するだろうね」
「ええ、そう思います。...お化粧を直さないと..」
悲しいわけじゃないのに、自分の目から涙が出ているのがわかった。
「うん、そうだね、着替えられるパウダールームが隣にあるから、あ、明るくなるよ?」
シャンデリアから、かすかにジジジ...と音がする。
ようやく、そうっとシャンデリアの明かりがつく。ぱっと点灯するのでなく、映画館の照明のように、ごくゆっくりと明るくなっていく。
「じゃ、パウダールームに案内するよ、夏美?」
「はい、あ・・・」
ラインハルトのエスコートで歩き始めた夏美だったが、入ってきたドアの上に飾ってある小さな絵を見て、夏美は釘付けになり、立ち止まる。
「・・・この絵って、もしかして・・・ライさんを描いたもの?」
「良くわかったね・・・。母のリクエストで弟が描いたんだ、弟は絵を描くのが上手いから」
息をのんだまま、夏美は見つめている。
「私、この男の子を見たことがある気がするの・・・」
ラインハルトが、優しい笑顔になる。
「夏美は、この間から不思議なことを言うよね。
これはね、僕がとても小さい頃の絵だよ?
まだ・・・テオドールとだけ呼ばれていた頃の、」
「テオドール...」
「僕がまだ、魔法使いになる前の、何も知らない小さな頃のね。
...母は、本当は僕がラインハルトになることを嘆いていたから、ね。昔の幻想を、元のままの僕を好きなんだと思う」
筆者註(2019年10月27日)
文中のキャラクターが
『来年は御代替わりだものね、だからTVでもやっていたんだね』と発言しておりますが、小説の設定で、この場面は2018年夏、なんですね。
遅筆なので違和感あるかと思います。申し訳ありません。
ご無事に『即位礼正殿の儀』が執り行われたこと、心よりお慶び申し上げます。