70 《劔を鍛えよ》 (3)
車が心地よい微かな振動を伝えながら走っているのを、夏美は感じている。
自由に身体を動かせない自分をそっと支えてもたれさせてくれている、隣にいるライさんの温もり。
いつもエスコートする時の優しいアイコンタクトは無しで、強引に抱き寄せられたけれど、やはりそれでも無理に邪険にきつく抱くようなことをしなかったので少し安心している。
まぁ、私を魔法で動けなくさせているから、ライさんは余裕しゃくしゃくなんでしょうけれど!
それでも、どんなに怒っている風でも根底からにじみ出てくるようなライさんの優しさに自分の心が落ち着いていく。
さっきまで感じていた違和感とか、自分が龍になる衝動や妄想を吹っ切ることが出来なくて感じていた焦燥感が、眠気とごちゃごちゃになってきて、怒りたいのに気持ちがマイルドになってしまっている。
どうせ、と夏美は思った。
どうせ今は動けないのだから。開き直っちゃえ。
どうせ動けないのだから、まさか今、私、急に龍になるスイッチなんて入らない、よね?
《...良かった。君は少し眠っているといいよ》
《私が...なにかライさんに...飛びかかったり...しないかな...》
とかろうじて伝えているつもりだが、もうそれも、とても億劫なのだ。
《大丈夫、ねぇ、そんなに心配なら、素直に宝珠のことを知っている僕を呼んでくれればいいのに。
夏美の家族とか友人よりは、ここは『賢者』とか『魔法使い』とかの出番でしょ?》
《...ライさんを...》
と、ライさんを心配していたからなのにっていうところ、きちんと説明したいのに、もうどんどん面倒くさくなってきた・・・まぶたが勝手にふさがっていく。リラックスしたらどんどん脱力していって...。
眠い...眠すぎる...
《魔法...? それともここにある、...》
お札のせいなの?
と聞いてみたかったけれど、ライさんにもたれたまま、眠りかけていく。
さっきから、ライさんと自分の間にまたお札があるような感じがしていて...。
そう、どこかでお札を間にして繋がっている安心感。お札だけ?宝珠さんは、どこなの?
ほとんど眠ってしまっている自分・・・何か聞こえた、微かな呟き。...ライさん?
...安心して。僕を殺すのは、夏美、君じゃないみたいだから...
♣♣♣♣♣
ふかふかのお布団よりも気持ちよい固さのお布団が好き...。
?? 目も開かないうちに、ああ、そうだった、この微かな振動は、ライさんの高級車だ、と思った。
今、完璧に寝ていた。それはどうやら短い時間だったようだけど、夢も見ないでぐっすり眠っていたみたいだ。
車内はとても静かだ。
たぶん、眠ってしまった私に気を遣ってくれているのね。
最初よりもっと、本物の恋人のようにライさんにもたれかかって寝ている姿勢になっているのがわかる。そして、なんとなくなんだけど、ライさんも自分につられて眠ってしまっているように感じた。2人仲良く寄り添っているみたいだ。目を開けて確かめたりすると起こしてしまいそうな気がするから、もう一度寝てしまおうかな...。
ライさんのお札を感じる。
ライさんの肩より下がっている位置に、自分が頬をつけているような状態だから、そのそばにあるのがなんとなくわかるみたい。
そして、落ち着いている感じの、ライさんの心臓のゆっくりした鼓動の音。
『Azurite』ルームで飛びかかったあの時、自分を抱きとめていてくれた時に聞いた音。
あの時は、こんな風に寄り添う時が来るなんて、思ってもいなかったのに。
ライさんを怖いというよりも、近づきたいと思ったり、近づきたくないと思ったりする自分の心の動きの方が厄介だっただけなのに。全て宝珠の責任だと思えれば、気も楽だけれど。
自分でも、もうなんとなく感じている。
さっきの瞬間までは、認めたくなかったけれど。
今まで会った誰かと比べ物にならないくらい、私はたぶんライさんを好きで、ライさんの心配をしているみたいだ。美津姫さまや宝珠さんが、ライさんをとても好きだという影響を受けているせいもあるけれど、それでも、それを言い訳や隠れ蓑にしているだけでは、もう間に合わなくなるくらい、心にズキンと衝撃が起きて、怖くなってしまった。
ライさんを好きになってしまったこと。そして、そのことを素直に認めるきっかけが、まさに一族の伝説の、今までの悲劇パターンを踏襲しているみたいに同じだ、と気づいてショックだった、だからいつもより猛スピードでメッセージを送ることができたのだ。
だって、3つの宝物のうち、劔を返したという伝説では、一族のお姫さまが穢れを宿し、結局その宝剣で斬られて亡くなっている。斬った男性が死んだのは自殺みたいだったけど、それでもその時、2人とも亡くなったらしい。
そして、ライさんが持っている宝珠のせいで美津姫さまは亡くなっているし、私が見た夢に近い状況だったとしたら、美津姫さまも穢れを宿しているみたいに悩んでいたし、たぶんライさんだって巻き込まれて危なかったに違いない。
そして今度は、もしかして私ってこと?
すでに無事に(?)蔵から無くなっている水晶玉が三つの宝の中の一つだったら、ミッション完了みたいに思えるから嬉しいのだけれど、もしもそうだとしたら、現在わざわざ魔法使いのライさんが私にこだわっているはずはないんじゃない?
つまり、まだ終わっていないんだ...。
そう思ったら、本当に怖くなった。
私の中の何か、衝動的なものが起きてくるみたいな感じ。ううん、そう言うとなんだか自分には責任がないみたいな言い方になってしまう。たぶん、その衝動的なものも紛れもなく私、なのだと思う。
弱いニワトリをいじめていた男の子たちに怒りを感じた途端、我を忘れたのは紛れもない私、だったのだから。性格がまろやかになったわけではなく、いつのまにか身体の中に埋もれていただけで、それが起きだしてきてしまったみたいに感じるのだ。
自分が制御しきれない衝動を感じた時の、あの恐怖が甦る。
自分が正しいと思い込んでしまったら、徹底的に『悪』と認識したものをやっつけたくなる衝動、それは正義の味方とか、光の勇者みたいなものに似ているけど違う、と思うのに。
ライさんの持っている宝珠を狙って飛びかかろうとしていたけれど、今度はもしかしたら、ライさんを狙っているような気持がして怖くなったのだ。『悪』を滅ぼすために、ライさんの力を欲しがっているような...。
『悪』と思った相手を、その自分の判断が正しいかどうか考えないうちにぶっ飛ばしたいというのは、絶対やり過ぎだと思う。奈良のお婆さまに言われた、『無用のことをする』ってことだよね?
ただ、自分の中にちゃんと抑え込めるか、今の私には自信が無いのだ。
私は、私自身が怖ろしい化け物のような気がする。
男子を箒で叩きのめした後のように皆に遠巻きにされて眺められて、もう誰も友達でいてくれないと困るから、キャラチェンジして化けてごまかしていただけなのがバレるのが、怖いのだ。
だから、自分で自分のこともだまして、普通の人間の振りをしていたんだ。
唐突にわかった、かもしれない。
私が一番怖かったもの。それは...。
『私は、私自身が怖い。私は、私の本当の正体を知らないことが怖い』
そう、ライさんの不思議さより、そっちのほうが、私にはずっと怖いことなのよ。
『汝自身を知れ』と夢の中で責め立てられたけれど、自分自身を知ろうとすること、理解しようとすること、私はそれをいつしか諦めてしまっていたのだ。だから、自分の正体を理解できなくなったのかもしれない。自分を直視するのをやめてしまって、目を背けて楽な方へ逃げて、小手先で獲得できる幸せそうにみえることの中へ逃げ続けてきた自覚は、すごくあるから。
もう一度、自分で自分と向き合いたい、怖いけれどもう、逃げたくはない。
でも、ライさんには迷惑をかけたくない...、それと...。
醜い、自分が正視できない自分を見せたくないと...思ってしまうのに。
それでも、私...ライさんを...。
ふいに身体をゆすぶられた。
「夏美、大丈夫?もう少し寝ていたい?もうすぐ着くからね」
自分の全身がまるでライさんのことを部屋にあるなじみの布団と枕のように思っていたらしく、力を抜いて身体を預けていたままになっていた。
こんなに力を抜いていたことなんて、最近あっただろうか・・・。
目が十分に開かないまま、ライさんに答える。
《ライさんはね、ううん、とにかく、私、...》
起きているつもりなのに、ちょっと寝ぼけているみたいだった。
微かにライさんが笑う気配がする。
「このまま抱っこして部屋に運んで寝かせてあげた方が、親切なんだろうか」
前の方からマルセルさんの声が答えている。
「姫野がもう、夏美さまのお部屋のご用意はほぼ出来ていると言っていましたから、そちらにご案内しましょうか?
良い機会ですし、見ていただきましょうか?内装などを夏美さまのお好きなイメージに変更した方が...」
私の、部屋...?なぜ、そんなことまで?
《夏美をお姫様抱っこしてあげるチャンスが来たなんて、嬉しいな♪》
「ご、ごめんなさい...起きます! はい、起きました!」
慌てて、じたばたして起きる。
「ふふっ、良く眠れたみたいだね...顔色が良くなったよ」
そうやって笑っていてくれると、いつものライさんにしか見えなかった。
♣♣♣♣♣
大きなお屋敷の玄関ドアを既に開けて、執事の姫野さんが出迎えてくれていた。
「お帰りなさいませ、ラインハルト様。そしてようこそ、夏美様」
いつも、ダンスを教わっているというのに、やはり執事姿が良く似合う、イケメンの姫野さんにぽーっとなって、立ち止まってしまう。
かっこいい!本当にかっこよすぎて、まるで現実味がなくなってしまう。
「本当は、夏美さまのお出迎えに全員を集合させたいくらいでしたが」
「え?、そ、それはちょっと...ごめんなさい」
「ほら、言っておいてよかったよ。全員集合させたりなんかしたら、夏美は回れ右して帰っちゃうよ」
「...ええ、ごめんなさい、私、そういう経験がないものですから」
「さ、姫野はもうちょっと待機していて。ちょっと夏美をリハーサル室に案内してくるよ」
「ダンスの練習をなさるのでしたら...わたくしも」
と言いかけた姫野さんを、ライさんがにこやかに制した。
「いや、違う、まだまだ。練習できる部屋を見せるだけ。そうだな、3、40分後にはちゃんと食堂に行くよ。ね、料理長にそう言っておいて」
「かしこまりました」
と、姫野さんがさがっていく。
「さ、夏美、それからマルセルも来てくれる?」
「...はい」
マルセルさんは気を遣ってくれているのか、少し離れてゆっくりと後ろからついてきてくれる。
もう、強制的に魔法で操られているわけではないけれど、それでもライさんのエスコートに合わせた。廊下を歩いている時に、使用人の方々がいたりして、嬉しそうに控えめに自分たちに会釈をしてくれるからだ。
皆さまきっと、本当に自分の家の若い主人が恋人を連れてきたと思っているようだ。
...ごめんなさい...私は、ふさわしくないのに。
ここまで来てしまった以上、とりあえず帰るまではお行儀良くしておくしかない、よね。
「さ、どうぞ。こちらがリハーサル室です」
と先回りしてマルセルさんがドアを開けてくれる。
とても広くて、まるで小さな体育館サイズ。それを思いっきり豪華にしてみたといった感じの部屋だ。
夏の太陽もさすがに沈む時刻なのだが、きれいなシャンデリアの美しいクリスタルにはまだ輝きが残っているような気がする。
「普段は、普通の照明をつけているけれど、シャンデリアがとてもきれいだろう?」
と、ライさんが言う。
「本当、とてもきれいね」
申し訳ないけれど、それくらいしかきちんと言えない。涙のしずくのような形のクリスタルがとてもきれいで一つ欲しいなと思ってしまったくらいだけど。
「そろそろ暗くなってきますので、せっかくですから30分後にシャンデリアの方のスイッチが自然に入るようにセットしてきましょう」
と、マルセルさんはすーっと奥まで歩いていき、調整室に入って行ってしまった。
「どうやら、僕たちを2人きりにしてくれたようだね。
さ、どうぞ。夏美は本当は、僕を殴りたいくらい腹を立てているんだろう?
人目を気にして、ここまで我慢しておとなしくつきあってくれてありがとう。
危ないから本物の武器はここには置いていないんだ。素手で殴ると痛いから、木刀でもなんでも貸すよ?」
「・・・もしかして、竜殺しの武器も持っているの?」
「うん、持っている。
もしかして夏美がそれを使いたい?
それだったら、先に武器庫に案内するべきだったね」
と、いつもの笑顔で優しくラインハルトが言う。
そんな風に言われると、せっかく気持ちが落ち着いていたというのに、だんだん腹が立ってくる夏美だった。ライさんは、私が勝手にライさんの心配をしていたことなんて、全然わかっていないのね?
「武器を貸していただいても、ライさんは余裕なのね?
私に負ける気なんてしないくせに。
それに悪い魔法使いなんだから、ライさんは魔法でちゃんと防御するんでしょう?」
「...そんなに言うなら、わかった。無抵抗で君にやられまくれば、いいんだね?
君が満足するなら、僕はそれでもいいよ。夏美の気が済むまで我慢する」
「...そんなの!」
そんなことを望んでいるわけじゃないのに。どうして、うまく説明できないの?
私は、私の考えたことは逆なのに。
私はライさんを心配していたのに。
本当にライさんを心配したから、死ぬような目にあって欲しくないと思ったのに!
夢の中で見たように、死にかけている騎士みたいになって欲しくないって思っているのに!
「ライさんは、本当に龍に勝てるの?もしも私がとても大きな龍になったら...」
「君は、そう簡単に、龍にはなれないと思うんだけどな」
「それがね、それが...なんだかそんなことはない、みたいなの」
ラインハルトがため息をついた。
「そうか、僕の知らないことがまだまだたくさんあるのか。
やっぱり君ってば、勝手に夢の中で龍になろうとしてたんだね?」
「勝手に、っていうか、あのね、私もどうしようもなかったの、だって」
ラインハルトがいきなり遮った。
「『危ないから、夢を見たら教えて欲しい』って、僕は夏美にお願いしておいたつもりなんだけど!
それから、『君がもし龍になりそうな気分だったら、僕を呼んでよ、何とかするから』ってちゃんと言っておいたつもりなんだけどな。君は僕の言葉なんて、結局は聞いてくれてもいないんだ。
君ってさ、僕の『役に立ちたい』とか言っておいて、ずいぶんな人だよね?」
ライさんこそ、何もわかってくれていないのに!まだ何も聞いてくれていないのに!
「そうよ、ずいぶんな人で悪い?もしかしたら、人じゃないかもしれないし!
私は、私だってわかんないことだらけだけど、自分が化け物になりかけている気がしたのよ、
ううん、間違いないわ、私は化け物なの、ううん、たぶんずっと最初から化け物なんだから!
だから、ライさんを守りたいって考えたのに!」