65 《水の魂を共に抱き》(8)
もう少し、練習した方が良いのかな?と思ったけれど、運ばれてきたお料理、しかも大好物の春巻きがあると思った途端、その魅力には勝てないと、夏美は思った。
春巻きと小籠包は熱々なので、いつも失敗する。しかし、最近、学んだ。
ゲットしてお皿に早めに載っけておいて、少し冷ましてから頬張ればいいのだ!
そう、松本夏美は、このダンスの練習会のおかげでビュッフェスタイルの食べ方が進化している。料理を取って、きれいに盛り合わせていくのも上手になったのだ。
「あのね、ライさん、」
と言いかけただけで、ラインハルトは、笑顔でホールドを解いてくれた。
「わかってる。今日も全部一通り行くんでしょ?ご武運を!」
「はい!」
良いお返事もそこそこに、会場脇に設けられたサイドテーブルに並べられていくお料理に突進する。最近、そのような食いしん坊メンバー同士、仲良くなった。会話しつつ、情報交換をするのだ。
今日のテーマは、イタリアンコーナーから回るか、中華系から回るか、だ。イタリアンの方が人気だから、反対側の中華系の方へ回った。春巻きを取り損ねたら、きっと後悔すると思うし。
小さなカップに入れられたチャーハンも絶妙で、から揚げは、生きてる喜びを感じた。と思いつつ、遠く離れたイタリアンコーナーに遠征していく。まじめな人たちはまだまだ練習しているので、申し訳ないとは思うけれど、美味しいものを食べ始めたおかげで、さらに食欲が増してしまった。今日は海老ときのこがたくさん入っているアヒージョまであって、そこで花梨さんと隣同士になって情報交換をしつつ、豪快に食べた。あー、あのティラミス、もう一個追加してお皿に載せておきたいけど、まだ取ってない人がほとんどだろうしなぁ…。
遥が困惑顔で寄ってきて、
「アヒージョのにんにく、気にならない?
私、風味付けだけで、後で抜いておくようにシェフに頼んでおいたはずなのに」
と聞いてきたけれども、
「このほろりと口の中でほどけるにんにくは、たとえかっこつけなくてはならないロミオとジュリエットだって、我慢しないで食べるべきだし、どうせ後は『ダンスでも食事でも、残れる人だけ残ってね』という居残り練習タイムな訳だから、大丈夫なんじゃないかなぁ」
と、花梨さんと力説した。
「今、ほぼ瑞季たちにライさんを取られていない?なんかモテモテ状態だよ?
夏美、ほんとに気にならないの?」
とりあえず、ダンスフロアの方を振り返る。確かにライさん、モテモテ状態だ。でも、いつものことだけれど、姫野さんに教わりたくて並んでいる人たちも多くいるし、やはり、女性の方が参加者が多くて、熱心なので当然のような気がする。
「あ、だって、オープニングがあんな感じでしょう?
さっき、散々ダンスしていただいたし。私、今とても忙しいし♪」
デモンストレーションダンスでは、ライさんは序盤たくさんの女性と踊ることになっている。
テーマが【(ライさんを)シンデレラに出てくる王子様のように見せるための舞踏会】だったはずだから、モテモテの王子様が、お妃候補全員と踊っただろうの表現シーンが冒頭にあるのだ。その最初のシーン、夏美は登場しないから、ダンスの負担は軽くなっている。
ほぼすべての女性と、曲の数小節をリレーのバトンのようにしてライさんが踊っていき、その最後の部分ではワルツを瑞季と、タンゴを遥と、スローフォックストロットを真凛と、そして場面転換してから最後にクィックステップを夏美と踊る予定なのだ。
夏美とのシーンは、初めての出会いシーンとなるので、ダンスよりミュージカル的な、セリフ有りの演技部分の方が長い感じがある。元ネタは、『シンデレラ』のお話から取っているのだけれども、遥が脚色しているシナリオは、少しコミカルな現代風だ。
特に最初は、夏美扮するヒロインは、(設定の事情があって)あまり舞踏会に興味がない、みたいな感じでスタートするので、夏美は演技がメインで、ダンスが簡単で良かったと、内心ホッとしているところだった。
それにしても、定番メニューは定番メニューで安定の美味しさ!
それでもう、笑顔がとろけすぎて、元の顔に戻せないかもしれないくらいになっている。とりあえず今の自分は、ライさんは他の人に取られても全然かまわない気がするけれど、今とても美味しい卵サンドに出会ったところなので、そっちを他の人に横取りされたら困る。そう思いながら、幸せを(文字通り)噛み締めているところなのだ。
そこへ瑞季がようやく、食事を取りに来た。いつもと同様、夏美のおススメを聞きながら、パキパキとお皿に載せていく。
「ライさんは、…良い人だよね、最近しみじみ思うわ。私が恋人に立候補していたら良かったなぁって」
「え?」
と夏美は、瑞季の不意打ちに驚く。
もしかして…瑞季、ライさんのこと、好きだったのかしら?
私が、もしかしてすごく邪魔をしている、とか?
夏美の戸惑った顔を見て、瑞季が思いっきり笑った。
「あ、ごめん。言い方が変になった。ここまで来て夏美は、他の誰かに気を遣っている?
大丈夫、《腐れ縁のアイツ》とは、別れていないから♪ …そうじゃなくて。
本当にこれ以上の条件はないくらいに良い人だなぁって、みんなで羨ましがっている反面、夏美とで良かった、って、みんなが思っていると思うのよ。
今日、さらに夏美とライさんがお似合いだね、って思って安心して言えたの。
付き合い始めだと、こっちも気を遣うけど、とても良い雰囲気だから、良かったなあってしみじみと。
最後にウィンナーワルツで白いドレスを着るんでしょう?
『もういっそ、ちょうどいいから、結婚パーティか婚約発表パーティにしてしまったら』って、さっき復習してもらったみんなで言っていたの。ライさんがもう嬉しそうに照れていたよ?」
「ええええ? 結婚なんて…。全然、まだ、まだまだだからね」
「もっとわかりあえなくてはいけないって言うなら、もう少したくさんデートすればいいのにね。
あ、よけいなお世話か。
でもね、すごくカップル感が出てきてた。うん、褒めているんだからね♪
もうほとんど確定なら、《お嫁にいけない》ジンクスなんて心配していないで、白いドレスを着ればいいのに」
そんな話をした後、さっき一緒に踊っていた女子グループに誘われるまま、別テーブルに行ってしまった。
カップル感が出ていたのは、すごく嬉しい褒め言葉だよ、瑞季。
だけど…そう、私、白いドレスを着るのは、ちょっとまだ心にひっかかるものがあるんだけど。
打ち合わせ時に、遥と真凛さんが気を遣って、
『ウェディングドレスみたいだから、嫌なの?』
『うーん、じゃ、アイボリー的な、白く光るシャンパンゴールド的な、そういう色目にする?』
と言ってくれていたけれど、うまく説明が出来なかった。そろそろ、決めなくてはいけないのに。
ふわふわと悩みながらも、しっかりと手と口は動いていて、そろそろデザートとばかりにフルーツとケーキを載せた時に、お椀に入れてあるお蕎麦を見逃していたことに気がついた。一生の不覚!
でも、このお皿を空けて、お蕎麦にいって、再度デザートで締めるということもできなくはないが、さすがにそこまで無双していて良いのかしら。
沈思黙考中、さすがにもう少し練習しなさいよと思ったのか、姫野さんが寄ってきて、
「夏美さま、わたくしが相手でよろしければ・・・少し復習をしませんか?」
と誘ってくれたのだが、そこへスルッと、ライさんが邪魔をしに来た。
「残念でした、姫野。僕、戻って来たよ?…夏美を僕に返して」
「もちろんですよ。…慌てていらっしゃらなくてもわかってます。ちゃんとおふたりでもっと練習してくださらないと。いくら帰ってもいいという時間だとしても、主役は甘えたことを言っていてはいけません。ラインハルト様がいつまでもパートナーを放り出しておくなんて...」
「あ、いえ...」
と夏美は、慌てた。
「うん、僕だけの責任じゃないよ。大事な{もぐもぐタイム}を邪魔したら、僕が夏美に取って食われてしまいかねないから、夏美のお腹をいっぱいにしておかなければならないんだってば」
「また、そんな失礼なことをレディに対して...」
「いえ、本当にその通りなんです…」
と言いつつ、夏美は慌ててお皿の上のデザートを片づけ始める。いつも優しいイケメンの姫野さんが静かに怒ってると、迫力がある。
「ま、いいよ。今から頑張るから。夏美、一曲踊ってくれる?そろそろ、ラテンダンスの曲をかけると斎藤が言っていたし」
「はい!…あとちょっとお待ちください」
お皿の上の物は、全部平らげないとマナー違反だもの。
「あ、それ、美味しそうだねー」
「え?…ほ、欲しいですか?(せっかくのレモンタルト2個目をご指名しないで欲しかったな〜!)」
「うん、最後のやつ、もらってもいい?」
「えーと、…はい、まだ手をつけていないので…」
とお皿を差し出そうとすると、ライさんがドヤ顔をして自分を見つめているので、フォークに刺して空中に浮かしてみる。
「…?どうぞ…」
「うん!」
あーんと口を開けてくれるので、そのまま入れてあげる。なんだか周囲のみんながにこにこと見ているので、レモンタルトへの未練を断ち切ることにした。
どうやら、最近は本当に恋人っぽく見えているようなので、ほっとする。ライさん、ナイス!
あ、そうだ!
「ライさん、もしかしてまだ全然、食べていないんじゃない?」
もう少し一緒に周回できるかも。
「あ、でも、ほら、全然、練習していない曲がかかったよ?
夏美はまだ、食べていたい?」
姫野さんの視線も痛い。あまりサボっていると、ずっと居残りさせられても困るし。
「あ、いえ、…ほぼ制覇しましたから(お蕎麦以外は、無事に全部)」
中盤は、ラテンダンスを共に踊るシーンがある。チャチャチャとかサンバとかは、明るい曲調だから、好きだ。
モダンは、きちんとホールドして、いかにも紳士淑女として踊らなければならないのだが、ある意味、ハグをしたまま気を揃えて移動しているようなものだから、自由度が少ないけど、支えてもらっているので一体感はある。その点、ラテンは、離れて踊っているので、自分できちんと立って踊らなければならない難しさはあるけれど自由度が高いので、楽しいと夏美は思っている。その代わり、ミスをしたら、すごく目立つと思う。ライさんがごまかしてくれるのを当てにすることはできないし、それで姫野さんが心配しているのかな。
しかも、今回はパソドブレの曲で、ほぼバトルのように荒々しく踊るシーンがある。難易度が高いけど、パーティダンスで使用される曲ではないので、練習がどうしても後回しになっていた。
このダンスがどこで使われるかというと、途中で仲が良くなりかけている主人公の2人が衝突してケンカになる場面だ。
以前デートした時の2人の会話のことを、ラインハルトが遥に話したところ、とても気に入ってしまったようである。打ち合わせの時にシナリオに入れたと知って驚いた。
『パソドブレが、男性が闘牛士で、女性は闘牛士がはためかせる赤い布か、牛か、踊り子かに見立てられるって聞いてどうしても入れたくなってしまって。どうかなぁ?』
『僕と夏美のアイディアが採用されたのは、嬉しいけどな』
『現代版なんで、主人公の男女が出会ってずっとラブラブよりは、途中で少しもめるというのも最後のハッピーエンドが生きてきて、良いんじゃない?』
ライさんも、真凛さんも、バトルシーンがあるのがカッコいいんじゃない!ということで、採用になった。
打ち合わせは大いに盛り上がり、振り付けも結構激しいものになってしまった。
『おじいさまが、びっくりするくらいのおてんばぶりを見せてあげてしまって本当に良いの?』
という夏美の心配をよそに、その時の打ち合わせはどんどん暴走していった。
『えーと、夏美の武器は、こう、お座敷を掃く長い座敷箒でいい?』
『箒?、あの、たぶん箒は、すごくだめ!...だと思うわ』
『じゃ、いっそ剣みたいなものにする?』
『剣はもっとだめ! あ、ごめんなさい、そのう、子供の頃に…親戚のおばあさんに怒られたので』
『うーん、モップ?』
『いいじゃない、素手で』
『素手で格闘するの?かっこいいな。夏美は女戦士アマゾネスっぽい衣装にするか』
それから結局、どうなったんだっけ?ややこしいことは、遥と真凛さんにやってもらって助かっているから、今は集中して踊らなくては。
少しづつ皆さんが帰っていく中、振付に合わせた練習は、めっちゃ楽しい。ストレス発散になると思った途端に、ライさんの足を少し踏んでしまった。
「ご、ごめんなさい!」
「あ、大丈夫だよ、来るなと思ったからよけたつもりだったんだけどね。
夏美、すごい迫力だよ。本当に、殺されそうな気がしてきた(笑)。能天気なダメダメ王子を諫めるために来た女戦士って、すごく説得力あるよ。ホンモノみたいだ」
「あ、お二人とも雑談していないで、早くセリフをしゃべってください!私の出が遅れてしまうじゃないですか」
と、姫野さんが言う。
王子様を助けにくる騎士が姫野さんで、バレエダンサーみたいにロングジャンプ!といった感じでかっこよく登場するシーンなのだ。
夏美扮する女戦士は、王子様に危害を加え損なった反逆者として捕らえられるが、姫野さんが素敵なので夏美はめっちゃ拍手をする。
姫野さんが起き上がろうとしている王子様を『お姫様抱っこをして助けたらどうだろう?』というアドリブを入れかけたが、ライさんが、
「いくらなんでも、ここ、王子が弱すぎて、ただでさえかっこ悪いから、僕は絶対に嫌だよ!」
と、断固拒否して逃げ回るので、そこにいたみんなで大笑いをする。
「でも、やはり、姫野さんのダンスがここ、カッコいいですよね!」
と、夏美をはじめ女性陣は大絶賛となった。
「あ、ありがとうございます」
と、姫野さんもやりきって嬉しそうだ。
そばにいたラインハルトが夏美にぼそっと小声で言う。
「姫野はどうやら、この自分の見せ場が早くやりたかったんだね(笑)。機嫌があっという間に直ったみたいだ。
ごめんね、夏美、ずっと居残り練習になっちゃって。疲れたでしょう?」
「あ、いえ。久しぶりに劇をやってみるって、とても楽しいです」
「真の黒幕は、ここには登場しないけど、ちゃんと家で練習しているようだから、安心してね」
「え?そうなんですか?私、そこまで聞いていないんですけど、どなたですか?」
「あ、バラしちゃってまずかったかな、あ、でも夏美と後半絡むシーンがある予定だからいいか。
…マルセルなんだけど」
「えー?あんな優しそうな方が一番の悪役を?」
「ああ、そうなんだ、そういう風に見える?」
と、いったん切ってから、姫野に呼びかける。
「姫野、夏美がね、『マルセルが優しそうに見える』って」
「そうですね。え~マルセル様は、(コホン)ええ、お優しい方ですけどね」
「でも、僕と姫野、マルセルには頭が上がらないよね」
「はい…マルセル様を怒らせても無事に生きていけるのは、アルベルト様だけかもしれませんよ」
「とにかく、ああいう優しそうな人は、意外とコワイから気をつけようね」
真凛さんの方を見たら、くすくすと笑っている。もう、本気なのか冗談なのか、よくわからない。
「はい」
と、とりあえず良いお返事をしておく。
今日は、お食事タイムだけは、素の自分を出してしまっていたと思うけれど、先日心に決めた通りに愛想良くして、周囲が嬉しそうに冷やかしたくなるくらい、ライさんと話す時は、笑顔を向けた。踊る時も、ホールドする時も、『恋人』に見えるように頑張ったのだ。周囲の雰囲気も良かったと思う。
そして、ライさんもとても機嫌が良かったと思う。
「あのさ、今日は、僕が送ってもいい?」
と、見つめてくる瞳もすごく優しい。
「ラインハルト様。それこそ、マルセル様に怒られますよ」
と、すぐに姫野さんに制止されているので、自分の意見は言わずに、とりあえずにこにこしておく。
「ちぇ、夏美ともう少し、話していたいんだけど」
「明後日、夏美さまが家にいらしてくださるご予定じゃないですか。わがままを言わずに、おとなしくお車にお乗りくださいませ」
真凛さんが、それを遮るようにして、にこにこ言う。
「あ、じゃあ、私の車の後ろにふたりで乗ってみます? 私はどうせお屋敷のそばに戻るのですから。それなら、マルセルも…」
と、まだ言っている最中に、ライさんがすぐに賛成した。
「嬉しいな、真凛、愛してるよ~」
「あ、ごめんなさい、私はボスをそこまで愛していませんけど(笑)」
「うん、知ってる。ありがとう、真凛」
姫野さんも、ようやく納得したみたいだった。
「真凛さん、私こそいつもお世話になっていてごめんなさい、でも、そうですね。今日は私も…もう少し、ライさんとお話をしていたいです」
「夏美がそう言ってくれるのが、とても嬉しいんだからね。
じゃ、二人とも私の車に乗ってくださいね。お邪魔はしないので、後部座席でデート気分を味わっててくださいね」