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理解不能の、弱い蒼  作者: 倉木 碧
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63 Nightmare 〜 Ⅲ 〜

 (くう)を飛んでいた。

 気持ちが高ぶっていた。たぶん、それは自分のまとっている風のせいでもあるのだろう。

 いよいよ、女神さまとお約束したお別れの時だと思った。

 女神さまはお倒れになりそうなご様子だ。心から泣いておられた。

 それでも、最後に優しい瞳で心配そうに私を見やった。私は、自分の心が伝わりますようにと、強くうなづいた。

 しばしのお別れでございます。そう、心の中で挨拶を終える。


 きっと、いつかまた人は(人型の種族は)、おそばに寄ることができるのだ。そう、信じたい。神さまによる試練を乗り越えて・・・。


 地上に残った最後の女神さまを、側近の方々と他の神さまたちが協力して、天上に連れ戻していく。女神さまのご衣裳の裾に多くの血の染みがついていたのが痛々しい。女神さまの血ではない、諍い(いさかい)を続けている人々の血しぶきによるものだった。女神さまは人々の諍いを止めようと最後まで努力したが、徒労に終わった。自分は力づくで制止したいと思ったが、それは女神さまのご意志ではないことを痛いほどわかっていた。


 いつもは厳しいことを言ってばかりの側近の皆様も、未だ低空を飛んでいて上昇するそぶりを見せない私を心配して呼びかけてきた。

「いったい何を呆けておるのだ。いくら殿(しんがり)をつとめているとはいえ。早くまことの姿に戻られよ、共に天上をめざしましょうぞ」

「どうしましょう。あの者は、まさか地にとどまり、人と共に落ちていく運命を選ぶというのか」

「大丈夫、あの子は、私の大切な麦の穂。あの子には使命があるのです。女神テーミスの特別なご加護で守られているはずです。竜としても真珠としても、そして人の…大切な存在なのですから、」

 女神さまのお心と思いを感じたのを最後に、全てが遠くなっていった。


 地の国に住む人間たちの暴挙・・・・。

 人は、どうして、欲や悪徳に染まっていくのだろう?

 人は、どうして、自分と自分につながるものの利得だけを愛し、優先するようになったのだろう。

 なぜ、正義が敗北するのか。

 なぜ、正義が常に勝利を収められないのか。


 女神さまの手にした麦の穂はしなだれていき、穂先にあった真珠に似た露が湖に落ちて、ちゃぷんと音を立てた。

 そう思った。目を瞑ったまま、誰かが守ってくれているのを感じていた。

 子守唄のような、湖のさざ波の音。湖の上に渡る風の音。

 いくつもの昼、いくつもの夜、いくつもの朝。

『ゆっくりお休み』、

 そう、優しい声が言った。

 起きてもいい、と誰かが言った。くるくる好き勝手に泳いでいい、と誰かが言った。

 湖のそばに天使さまがいらっしゃっていた。

 自分は、とてもとてもつまらない、役にも立たない水蛇だと言ったけれども、それでも、どうやら居ていいみたいだった。それでも、何かを思い出さなくてはいけないと知っていたし、誰かを探さなければいけないみたいだった。その誰かも自分を探してくれている気がした。



 ある時、自分の身体が何かの苦鳴に引き寄せられている、そう思った。湖にいる天使さまが目の端に見えていた、たぶん心配してくださっている。それでも、あの湖から勝手に飛び出てしまったものらしい。 気がつけばまた、(くう)を飛んでいた。


 目を見開くと、そこは石造りの大きな建物の中だった。たくさんの死体が転がっている。そして、他にもごろごろと転がっている。剣、盾、人間の首、古いロザリオを持ったままに斬り落とされた手首。あちこちに赤黒い血の水溜りが出来ていた。吐き気がする。

 やっぱり、女神さまや自分たちのやってたことは、全部無駄だったんだなと思った。

 起き直って、のろのろとそれらを壁際に運ぼうとした。どかしておかないと、踏まれてしまう。もはや、そんなことは気にしないように思うけれども。


「そろそろ、引き上げ時だぜ。欲をかいたら死んじまう。勝ったらしいから、旦那衆の皆さま、ご機嫌だ」

 と言って、手を貸してくれる青年が笑いかける。見知らぬ人だ。


 どうやら、どこかに帰ろうとしているのか。いや、それよりも諍いは終わったのか?

 見知らぬ景色と、見知らぬ人たち。倒れているのは、キリスト教を信じている兵士たちらしかった。そして武装をしていない人たちだった。その人たちを敵として戦っていたのだろうか。


「おおい、お前らも手伝えや!、こっちは大物過ぎて、壊すのに手間だぞう!」

 奥の部屋から、どうやら自分たちに向けて声がかかる。

「はい、今すぐに!」

 気持ちよく返事をして、自分にも一緒に行こうと促す青年の首にもまた、ロザリオがかかっていた。


「おおい、みんな、来てくれよ。こいつ、やっぱ全部を取り外して持って帰るの、無理だぞ」

「それだけでもなんとかなんねぇか?その一番上のボウルみたいなヤツ、黄金かもしれないぜ」


 青銅製と思われる柱の上に、黄金色の大きな玉かたらいみたいな物が載っているオブジェがあった。

 支えの柱の意匠は、三つ編みみたいな縄目文様。ん?上に頭部がある。3匹の蛇の頭部。

 この柱、蛇のようだ、3匹の蛇がなんか、たらいみたいな?ものを協力して頭上にて一生懸命に支えている。

 身体が、勝手に震え始める。

 これは見たことなかったけど、似たようなものをどこかで見たことがある。

 これ、神さまのだ。神殿にあるやつ。ここは、もしかして神殿なのかな?

 神さまのたらい。水を張って。それ、それを3匹の蛇が支えているんだよ。

 止めないと。みんなにバチが当たっちゃうよ。

 だって、神さまは本当に何かを伝えようとして、神託が。

 神託?そうだ、そうだよ、神さまと約束したのに、…ここ、どこなんだろう。


「おおぅ、だから、なるべく一番硬い斧、集めて持ってこいや。

 ほら、お前、見惚れているのか。お目が高いねぇ」

「これはな、昔々、どっかの神殿で戦勝記念に飾られてたヤツ。なんかプラなんとか、とか言うそうだよ。何だよ、こいつ黄金の(かなえ)より、柱の方に見とれてやがる」

「おい、お前、蛇が好きなのか?、ほら、来たぞ。さ、危ないから下がってな」

 ぐいっと首ねっこを掴まれて、どかされる。

 ガキンガキンと音を立てて斧が打ち込まれる。

「…やめてよ、蛇はみんな…いい子で。可哀想だよ」


「…はあ?…おい、こいつ、また前に来やがった」

「可哀想なのは、てめえの頭だ。おい、誰か押さえておけ。

 これ、ただの物だぞ。最初から生きてないから、安心しろ」

 おっさん達は、軽口を叩きながら、自分を払いのける。邪険にしているようだが、それでも仲間の一人と思ってくれているのだろう、抑えている手は、なんか優しい。

 そこへ騎士達が2人戻ってきた。立派な剣、立派な盾。そして十字のデザインのついた鎧、甲冑…?


「良し、頑張っているな。それを外したら褒美を与える」

「破壊してもバチは当たらんぞ、気にするな!

 それは、滅びたアポロン神殿から奪われてきた宝だからな。ここにあるのが、そもそもの間違いだったわけだ」


 ようやく黄金のたらいみたいな物が外れたみたいだ。ガキッガキッと、首が斧で斬られる音がやんだ。

 歓声が上がる。

 自分は。

 ぶつりと首の部分から上を全て失くしてしまったまま、それでもなお、神さまに定められた通りを守ろうとするかのように、天に向かってきちんとまっすぐに立っている蛇の残骸である、その柱を立ち尽くしたまま眺めていた。


 暗闇の中で、自分はひとりうずくまっているようだ。

 静かだ。誰の声も聞こえない。いつのまにかあの場所から隔たってしまったのかもしれない。それとも、本当はまだそこにいるのだが、何も出来なかった自分は、心を閉ざしていて、何も認識しえていないのかもしれない。


 大丈夫、あれは確かに作り物だった。鼎を支えていたのは乙女たちではなく、蛇だったということなのか?いや、それとも蛇に見えるけれど乙女たちだったのか?

 いつかどこかで仲良く遊んだ友達がいた気がする。だけど、本当のあの子たちじゃない。青銅か何かによる作り物。

 だけど、それでもつらいのだ。

 好きだったあの子たちに似せて作った像が存在して愛されているのならとても嬉しいのに、黄金の鼎を取るためにと、全く見向きもされなかったのだ。

 それに、もうすっかりとそんな風習はなくなったのだとしても、元々は、神さまを敬って作った物だったろうに。戒めを守り、神殿でひざまづいて祈って神託を授かっていたというのに。そんなことは、もうどうでも良いのだろうか?畏敬の念なんて、無いみたいだった。

 ずいぶんと人は、傲慢になった。

 太陽神アポロンさまのおっしゃった通りだ。


 《人間族なんて、もう…してしまえばいいのに!》

 口に出してはならないと、正義の女神さまに戒められていた言葉を、叫びそうになる。

『人を見捨てる言葉を殿(しんがり)をつとめるそなたが口にして、どうするのです?』

 女神さまなら、そうおっしゃることだろう。

 女神さまが恋しかった。どうして、ずっと忘れていたのだろう。


 めそめそしながら、ようやく自分の傲慢さにも気づく。

 自分は、見知っていたかもしれない女神さまを恋しがり、見知っている友達を模した彫像に心を寄せているけれども、あそこにいた、生きている人たち、死んでいた人たちは、見知っていないということで全く親近感を感じていないみたいだ。自分に怪我をさせないように配慮していたおっさんたちの、その後のことなんて全然考えていないことを思い出した。

 結局、アポロンさまの言う通り、自分は出来損ない、なのだ。神さまじゃないから、大局的に物事を判断できる能力がないのだろう。

 慌てて、その後のおっさんたちの無事を祈る。ずいぶんと文明は進んでいた。建物は、中世のヨーロッパ風。カトリックの教会だったかもしれない。十字のデザイン、どこかで見たことのある、凝った意匠のロザリオ。勝った人も負けた人もキリスト教徒だっのたかもしれない。


 何も出来なかったが、神さまからお役目をいただいていたはずだ。思い出さなくては。

 神さまが去ってから、ずいぶんと経った。

 神さまに見捨てられてから、世の中はどんどん悪くなった。

 さっきのも、それより前の争いももっと前の掠奪も、絶対に正義じゃない!

 それを神さまは許しているというの?そんなはずはない。


 悪いものがはびこっていったんだ。それで、ずっとずっと神さまから離れていく羽目になったんだ。

 善悪を判断できないものばかりだったから、だめになっていったんだ。

 きちんと悪を排除しなくてはならないのに、間違えたりしたのだ。

 どこかで、きちんと決着をつけなければならなかったのに。



 ♣︎♣︎♣︎♣︎♣︎



 !…。心の奥で、何かがトクンと音を立てた。夢の中で、何かが慟哭した、何かが吠えた。それに呼応している、私の中にその何かがいる、みたいな。私ではない何か。もしかしたら、ご先祖さまかなにか、伝わっている誰か。それが目覚めようとしている。《正義の…、司る、…?麦の…?

 もう少し、そう、もう少しだ。暗闇の中で、何か見えている気がする。

 かつて、持っていたはずの《正義の(つるぎ)》?


 いや、今、イメージで見えかけていたのは・・・暗闇の中で暗闇を映しているみたいな、古い鏡だった。たぶん、合っている。闇が二重に見えたみたいな。

 さっきの夢、いや違う、先日の夢の中で、鏡に映る自分を見た、気がする。透明な青い壁のそばに行った時に自分を見たのだ。夢の中で自分の顔や姿なんて見たことがなかったのに。

『己自身を知れ』というキーワード、それは鏡のことを指していたのかもしれない。


 (つるぎ)をなぜ、返す羽目になったのかという話(破鏡の嘆)にもたしか、鏡は登場していたのだ。

 一族の姫を殺めようとしたわけではない、その者は本当は、鏡を斬ろうとしていたらしい。

 宝珠を持った姫が映っていた、鏡の方を。

 まるで姫が2人いるように見えたが、現実の姫は優しくて、でも鏡の向こう側には、邪悪を宿す姫に似たまがいもの、たぶん妖怪みたいなものが映っていたのだ。

 鏡は大切なもののはずだけど、妖怪退治のため、やむを得ないと思ったらしい。結局、姫は死んでしまい、宝剣を振るった者は、そのまま劔を持ったまま湖に身を投げて死んだ。それで、神社中、一族のものがすべて集まり、劔をお返しする儀式をして龍神さまに謝罪したのだろう。

 …いったい今、鏡はどこにあるのだろう?

 もしかしたら、すでに返し終わった宝なの?

 答えは、来なかった。当たり前かもしれないけれど、いらっとした。

 最近、宝珠さんと会話が出来ていないんだから!


 鏡って真実を映すんでしょう?

 私は、いい加減、真実を知りたいって言ってるの!

「いけないっ、急に!」

 誰かが言った、みたいに思えた。音声ではないメッセージ。

 宝珠さん…?

 鏡の向こう側で誰かが、自分の身代わりのように倒れている。そんなイメージ。

 それとも、鏡の向こう側の倒れている誰か、が本当の自分、なのかもしれない…

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