表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
理解不能の、弱い蒼  作者: 倉木 碧
61/148

59 《水の魂を共に抱き》(3)

「うーん、なるほどね、食物連鎖くらいじゃ納得できない、大事なことだよね。テツガクしてるねー」

 と先生は言った。

 テツガクって何か、音声で聞いてもすぐにはわからなかった。


「あー、ま、哲学って言うと大げさかもしれないけどざっくり言うと、なんかめんどくさいことに気がついてしまって、めんどくさいって思うし、他の人にもそう思われるだろうけど、考えてしまうこと。かな。

 《子供だって哲学してるんだよ。大人が理解できる程度に、大人に上手く説明出来ないだけでね、》ってことを大人は忘れがちだから、ねぇ。

 松本さんのそんな話を聞くと、先生はまずは、なんだか嬉しいなぁ。

 その難しいことに向き合っている松本さんは、今からまたものすごく成長するよ。

 ごめん、なんだけど、先生もそうそう答えがわからない。

 先生も考えてみるから、何か思いついたら、先生に教えてくれる?」



 それから、何も思いつかないまま図書館や図書室でいろいろと調べてみた。

 食物連鎖をそのまま解説してるものが多かった。当たり前だ。

 そんなことに疑問を持つのが変なのかな…?

 誰も疑問を持たなかったの?

 なんだか、自分だけが変で、独りぼっちな気がした。


 それでも、ある日ようやく、図書室の伝記の本棚の中に、私は答えに近いものを見つけた。もう、理科っぽい本の解説に飽きていた頃だった。

 その本にたどり着く前は、申し訳ないけどじれてしまって、

『この食物連鎖システムを作った神さまが、悪い』

 と思っていた。友達に誘われてのこのこ教会について行ってるというのに。


 自分がまだ生まれていない時代の人の伝記だった。世界のどこかの外国の偉い人が、今自分が考えている悩みを同じように考えたことがある事実を発見したのだ。

 ああ、良かった。一人では無かった。

 そうしてその人は、苦しみながら答えを見つけたみたいで、つまらないことだと潰しちゃったりしないで、きちんと書いて記録を残しておいてくれた。だから、相当長い時間が経っていたけど、私の元にメッセージとして届いたのだ。


 伝記に取り上げられたその人は、たしか生物学者でお医者さんだったと思う。そう覚えている。うまく再現なんて出来ないけど、こんな話だった。


『生物を助けようと日々努めている。それなのに、私は日々、生き物の命を奪って糧として生きていることを考え、矛盾を感じることがある。そして、たまらなく申し訳なく思うことがある。

 だが、私は役に立つために生きる。私は祈り、誓うのだ。

 彼らに《決して君たちの命を無駄にはしない》と。神にも祈るのだ、《どうか私に仕事、それからこの生を全うさせてくださいますように》と』



 もう、答えを見つけられないと諦めかけていたし、他にもいろいろあって、

『相手を殺して食べたくないなら、いっそ食べないで、自分が死んじゃえばいいんじゃないの?』

 という結論に行きかけていたところだった。

 だから、その話を見つけた時には読みながら泣いた。パクらせてもらおうと思った。


 しばらく頑張って、もう少し頑張って、私は生きるのだ。

 まだ人生は始まったばかりだ。そう校長先生も朝礼で言ってたじゃないか。

 さすがにシュバイツァー博士のようには、私はなれないとは思うが、今になにかの、誰かの役に立って、感謝されることがあるかもしれない。

 そして、そんな風になれなくて、本当にいざ死にたくなったら…誰かの役に立って死にたい。

 誰かの犠牲になって、身代わりになって死にたい。

 そう思った。

 すごく積極的でもない、確定的でもない、漠然とした『死にたい』という思いに惹かれていた。もちろん『死』というイメージが良くわからないから、興味がかきたてられたのが、最大の理由だ。

 それに。

『銀河鉄道の夜』にも心酔していた頃だったし。

 一度目は、うっかり最後まで読んで泣いたけど、読み直しは、あの決定的なシーンに行く前に、ダカーポ記号があるみたいに好きなところに戻って読むことが、マイブームだった。


 あの主人公に優しい友達Kが死んでいなくなる世界なんて、認められない。

 もしも自分がそばにいたら、物語の中に入ることが出来たら、絶対に頑張って助けるのに。そう思っていた。


 毎年、私が先生たちに期待されていた読書感想文は、夏休み前にはすでに、その大好きな本にしようと決めていた。奈良に行く前だった。

 感想文を書くために全部読み直そうとしたのが、まずかったかもしれない。久しぶりに最後まで通して読んだ。

 悲しすぎて、やはりあの辛いことに納得がいかない。落ち着いて向き合うことなんて出来ない。

 あの、Kのお父さんの上品な、気遣いのある言葉にも納得いかない。

 なんであっさり諦めるんだ。なんでいつもこうなるんだ。いったいどこのどいつが悪いんだ。

 その時、心の奥底から、声がした。

 紛れもなく、私の声だ。私の思考だ。

 呪うような声だった。

『Zが死ねば良かったんだ。…Zこそが悪いやつなんだから。主人公をいじめたくせに』


 こんなの、全く勇者らしくはなかった。私はショックで泣きそうになった。誰かが聞いて、

「とても怖い、嫌な子だ」

 と言うに違いない、そう思って慌てて口を塞いだ。

 誰も聞いていない、バレてなどいない、…だけど安心できなかった。

 だって、自分が知っている。自分が確信したのだ。

 自分の中にドス黒い部分があるのを見つけてしまったのだ。

 私はまた、私にがっかりした。

 それと、畏れ多い気がした。

 友達に誘われるまま、教会に通っていて、本当にいいのだろうか。

 手や腕や、神さまの国に行く前に、切って捨てられそうな場所じゃないところに、私の悪がある。

 心の奥底にあったのだ。根幹に。取りきれるものじゃない、そう思った。

 愛想よく振る舞うことが板に付いてしまって自分でも忘れていたかもしれないけど、自分はすごく悪い人間なのかもしれない。

 夏休みに入った後も憂鬱で、そんな時に父は海外出張だし、母は私と隼人を連れて親戚の家を順番に訪ねていたのだ。母方の祖父母は早くに亡くなっていたので、親戚の皆さん全員が母のことをとても可愛がっていたらしい。


 奈良のお婆さまは、とにかく私に注意事項を伝えてくれた。

 あの時の私が、心の中の自分の悪を持て余しているような気持ちを抱いていたことに気づいていただろうか?…まさかね。責めるようなことは何も言わなかった。

 剣を私が持って振るうのではないか、自分が正義と信じたことにバカみたいに突進すること、せめてそれだけは避けたいという表現だった。


 ん…?

 私はベッドに起き直った。


『龍神さまに既にお返しした剣』なんて、私が振るう可能性はないはずじゃない。

 剣はない、どこにもないんだから。無いものなんて、手にすることも出来ないはず。

 夢の中にも無かった…ってあれは、違う夢か。

 奈良のご本家にもないはずだったのに、ましてやふだんの私の手の届く範囲に剣が出現する可能性は皆無なのだ。

 全く可能性がないことだというのに、どうしてあんなに一生懸命に注意して護りの呪文みたいに言葉を暗記させる必要があったのかな?


 寿命だから、もうすぐ私はいなくなるっていう感じで言っていたのは、覚えている。

 いなくなる、死ぬってことにとても興味があるくせに、やはり良くわからなかった。

 だから、一応頭を下げて『残念です』くらいの振舞いはしたと思う。でも、実感はなかった。

 というか、そんなことよりも、こんなに白く光っているこのお婆さまの光も消えるのかな…?って方をぼーっと考えてた。

 その日会った最初から、生きている普通の人に見えてなかったのだし、それに申し訳ないけど、ふだん接点のないお婆さまにそんなことを言われても、『銀河鉄道の夜』の中の死より悲しいと思ったりもしなかったのかもしれない。

 本当に実感はなかった。

 というか、思いがけないことを言われ、3つの言葉を教え込まれて頭の中はパンパンだった。

 お婆さまが普通の音声でいきなり、にこにこと

「つるぎという字は書けるか?」

 と言って戸惑った。がらっと空気が変わった。

 誰かがそばにあったボードとマジックを私に渡してくれていた。うまく意思疎通できない時は、それを補助として使っているとか言ってた。

 きちんと大きめに《剣》と書いた。

「おお、力強い、立派な字だ」

 と褒めてくれた後、再度

「古い漢字で書けるのか」

 と聞かれて、私は

「ごめんなさい、知りません」

 と答えた。そばにいた、一番年若い叔父さんが

「僕が書きましょうか?、書けますよ。クイズなら。小学生には無理でしょう」

 と言ったが、お婆さまが笑った。

「クイズごっこをしてるわけじゃない」

 それでみんな笑った。和やかな空気の中、振り返ると弟は、母の膝元でくーくー寝ていた。普通に仲良く親戚同士がにこにこしてる光景…。

「楽しかったよ、さてと、寝てくるかの」みたいに、お婆さまが言った。


 私は、お婆さまがそっと手を出そうとしたので、両手で支えて握手をした。最後の握手。

 きっとこの人とはもう会えないんだ。それだけはわかった。

 そして、お婆さまは私に会う時から、もうそのことを知っていた。覚悟を決めていた。そう思うと、やっぱりちょっと悲しかった。

 最後だから、大切なことを3つ覚えろと言ってたのだ。

 私が子供だから、理解できるのはその程度だと思ったのだろう。つるぎの古い漢字も知らない子供。

 他にもっと何か、教えてもらわないといけなかったのではないか?

 そしてもっと何か、私はお伝えしてお婆さまを安心させてあげなければいけなかったのではないか?

 お婆さまの白く光っている冷んやりとした手が温かくなった。私の手も、だ。私の手もなんだかずっと冷んやりとしていたのだから。

温い(ぬくい)のう』と言った顔は優しかった。



 水晶玉も、いつのまにかなくなったんだっけ…?

 先日、お母さんが伯母さんに電話して確かめていたのだから。

 あ!思い出した。

 お母さん、そうだ、先日『奈良に行くけど、あんたも一緒に行く?』って言ってたんだ。

 私は眠くて生返事していたけど、そんなことを言ってた。


 まさかついでに水晶玉を探してたりして…。見つかったりするのかな?

 でも全部、順番に龍神さまにお返ししてしまうという話なんだから、見つからない方がいいのかな?


 他に何が残っているんだろう、そして…もしかして本当にライさんの話してくれたこととつながっていく?神社の話と…。


 結局は、うとうとしながら変なことばっか思い出し、寝たような寝てないような感じで起きて仕事に行く羽目になった。

 松本夏美本体は、寝不足でちょっと機嫌が悪い。でも、そういう時こそ、私は演技力MAXで、頑張ってしまうのだ。終業時刻の頃、店長さんには

「松本さん、今日いつになく頑張ってたね!この調子でお願いね!」

 と褒められた。


 私は、自分の心を殺して何かに夢中になって突き動かされている方が、上手くいくみたいだ。バカミタイ…ずっと演技していく方がイイミタイ?

 でも、なんか嫌だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ