58 《水の魂を共に抱き》(2)
え?
もしかして…私が、暴れていたことになっちゃうの?
驚いて固まった。声が喉の奥に立ちすくんでいた。そこから出てこない気がした。
違うよ、私はただ理由もなく暴れていたわけじゃない。
ちゃんとした理由があるじゃん。
みんな、わかって見てたよね?
最初は、一緒に男子たちに
『やめなよ、にわとりさんたちがかわいそうだよ』
って言ってくれてたよね?
にわとりさんたちを助けるために、正義のために。
男子たちのことは怖かったけど、私は頑張って勇気を出したんだよ。
あんたたち、最初から見てたよね?
何も行動してないんじゃん。見てただけじゃん。
手伝ったり、助けたりしてくれてはいなくても、悪いことをやめさせようとしてる私を応援してくれてる気がしてたんだ、勝手に。
だから、ひどいよ…。あんまりだよ。
そう言いたかった。
でも、言葉をポンと出せないくらい、みんなが私に怯えている雰囲気を感じ、思ったことをすぐに言えなかった。
傍観者の人たちを責めたいわけではなかった。だから、とまどっていたんだ。
だって、私だって、他の誰かが先にちゃんと止めてくれるんだったら良いのに…と思っていたからだ。
私だって、本音を言うと、ただの傍観者でいたかったんだ。大勢の人の中に埋もれたままで悪目立ちなんてしない人間でいたかった。
でも、とにかく私は、悪くないんだから。
みんなが怯えているのも、私のせいじゃない。
いつもの私と違う行動を私がしたから、驚いたんでしょ?
あんたたちはみんな、三つ編みを引っ張られたりしても抵抗しないで、半泣きで逃げていく私をいつも見ていた。『松本夏美は、弱い』というレッテルを貼って安心してたから、驚いたんだ。
「私は、悪くありません。安倍君たちが、にわとりさんをいじめたんです!」
と言った。手を挙げて答えを言う時みたいにきちんと言った。先生に伝わってくれますように…。
私の必死の顔と、みんなの顔を見回して、先生はのんびりとした口調で言った。
「なるほど〜。呼びに来た水野さんもそう言ってましたよ。
たしかに檻の外まで異常に羽が飛び散っているねー。証拠が残ってるよね、うんうん。
どう、安倍君たちも、認める?言い訳はある?…認めるんだね、ヨシ!」
私は、ため息をついて、安倍君の後ろ襟から手を離した。安倍君はすぐに私から離れた。
先生は、にこにこと続けた。
「そりゃ、安倍君たちはいけないことをしたけど…。
松本さん、安倍君を檻に入れたらもっと狭くなって、びっくりするにわとりさんたちもかわいそうだし、安倍君を外からつついたら、かわいそうだよね、そう考えたりしなかった?」
確かにそうだ。いくら、そう宣言して約束していたとしても。
「ごめんなさい。最初、口で注意したんだけど…やめてくれなかったので」
と私は言った。
“敵”の男子たちは相変わらず、おいおい泣いていた。
安倍君だけはさすがに、泣かないように我慢して歯をくいしばっていた。
仕方ないので、さらに私は言ってみた。言い訳なんてしたくなかったけど。
「途中で『ごめんなさい』くらい言ってくれたら、私だって…」
安倍君が、泣きそうな顔で言った。いや、叫んだのかも。ほぼ泣いてたかもしれない。
「言ったもん!俺たち、途中で、『ごめん』って言った…でも松本は聞いてなかったんだ。すげー勢いだし。いつもとなんか…全然違ってて」
女の子たちも言った。
「うん、私たちにも、それは、男子の『ごめん』は聞こえたんだけど…」
私は、心から驚いて、聞き返した。
「え?それって本当に?」
私には、全く聞こえてなかった。
さっきと違って、驚いて自然と言葉が口をついて出た。でも、その後が…。
先生が、言葉に詰まって真っ青になった私の方を見た。
どうやら、みんなが“敵”をかばっているわけではなく、その話は本当みたいだった。
ただ、誰も『降参する』とか『やめて』とかは言ってなかったらしい…けど。
「松本さんはいつも大人しいのに、にわとりさんたちを助けようと思う一心で立ち向かったから、一生懸命になり過ぎてたのかもね。5対1で怖かっただろうし。
生き物にそんないじめ方をしたら、弱って死んじゃうかもしれないから、そりゃ頑張って止めなくちゃいけないよね。松本さんは悪くないよ、他のみんなもね。
それで…だけどね、安倍君たちも松本さんも…途中で止まらなかったよね?
こういうのってなかなか途中で止まらない、自分でも引き返せない、誰にも止められないってことは、ちゃんと覚えていた方がいいんだよ。
とにかく、にわとりさんたちも安倍君たちも怪我していないみたいで良かったよね。
ほら、にわとりさんたちはもう落ち着いてきてるでしょう?」
先生は、そうフォローしてくれて、男子たち含めて『これからも、生き物を大切にする』と私たちに誓わせて、一件落着となった。
それから、さっきちょっと遠巻きにしていた子たちも、
「さっきはごめんねー」とか
「松本さんって正義の味方だよねー」とか言いながら、私のそばに寄ってきた。
みんなでフォローしてくれて、なんか良く出来た“劇”みたいな、テレビドラマみたいになっていたけど、そして私も表面的に
「ううん、ちょっとやりすぎちゃってたよね、私こそごめんねー」
とか言ってたけど、居心地が悪くて、とにかく慌てて帰宅した。
早く家に帰って、早く一人になって考えなくっちゃ…って思った。
あの、正義の味方じみた行動をしている時、どうやら私の心には、誰の言葉も入ってきてなかったみたいだ。私は、“敵の位置”しか見えていなかった。箒という武器のリーチ、とか、先に叩きのめした相手が戦意喪失したか、転がったままでも足払いくらいするのか、気をつけていなければいけないことはたくさんあった。
心が空っぽで、何も考えてはいない、みんなの思いもシャットアウトして、たぶんそれで余計な抑制も無しに、身体がスムーズに、ラケットを振り抜くような気持ち良さで動けてしまったんだ。
それで。
私は、自分が怖くなった。
スイッチが入ると、ゴール(この時のゴールは、いじめっ子5人をにわとり小屋に入れて、外から棒状のものを突き入れて怖がらすという約束)まで突っ走ってしまうような自分。(そして、ちょっとその動きがうまくいって気持ち良さを感じた自分。)
いかに“敵”だろうと、怖くてやめて欲しくて、謝っていたり降参していたりする相手の声を全く認識出来ない自分だったことにがっかりした。
それは…勇者としては失格のような気がした。
そんな自分をコントロールすることが出来ないとしたら、お姫様のお側には行ってはいけない。
私は、高潔で立派な(その頃は、そういうカッコいい二字熟語ばかり探していた)勇者になるはずなんだ。悪魔みたいな暴れ方はしてはいけない。
いじめっ子を撃破した喜びなんて、感じなかった。
その後、噂はたちまち広がって、誰も私をいじめに来なくなったのはすごく快適で良かった。表面上、『正義の味方、出現』、『弱そうに見せて強さを隠してた』的な好意的な噂が多かった。
でも、なんだか透明な壁が見える気がした。
透明なシールドの向こうから、恐る恐るこっちをじろじろ観察するように見ている人がたくさんいる。私から何かコミュニケーションを取ろうとすると、なんか間合いを取っているみたいで。
なんかみんなが、私を見直した、というよりも、見改めている気がした。
そして、2日ほどたったある日、5人のうち右手前に居て一番最初に私が潰しにいった、強さでは二番手くらいだろう野原君が、私の帰り道で待ち伏せしていた。
あんなことさえ無ければ、ふだんけっこういろんなことを話したりする間柄の子だった。先生の前で表面上は仲直りしていたし、とくに構えることなく、いつものように会話が始まった。
「松本、お前さー、唐揚げ好きだよな?いつも給食のお代わり、俺と競っているよな?」
「うん」
「俺さー、ちょっと考えたんだけど。つまりさ、お前はさ、にわとりさんはいじめちゃダメだけど、殺したり食ったりするのはいいってわけになるんじゃね?
にわとりにとって、どっちが大変な目にあっているか正直に言ってみろよ!」
え?
本当だ…私は何も言い返せなかった。
「『殺しは良くて、いじめはだめ』だなんて良く言えるよなぁ。お前って、それこそ偽善者じゃん。正義の味方なんかじゃないぞ、偉そうにするなよな!
ああ、俺たちもバカだよ!だけど…お前なんて!
お前なんて、正義の味方気どりの、バカだ!」
野原君がそんな風に言い捨てて、走っていなくなった後も、私はずっと考えていた。
確かに、自分はバカなのかもしれない。
野原君に言われるまで全くそんなことは考えてなかった。
学校で飼っているにわとりさんたちと、スーパーで並んでる鶏肉。
考えてみれば、元はみんな同じことくらい、知っていたはずだった。頭の中できちんと考えてなかっただけだ。
それで、確かにそうだ。野原君の言う通りだった。
違いと言えば、学校のにわとりさんたちは、学校からちょっと行ったところの中野養鶏場のおじさんのご好意で譲ってもらったひよこたちで、ずっと私たちが面倒を見て大きくしたところ。スーパーで並んでる鶏肉は、私や私たちが知らないにわとりだ。
それだけの違いだ。いや、中野養鶏場のおじさんも、良くあのスーパーにお世話になるとか言ってた。
それならほとんど…同じにわとりだ。混ざっちゃったら見分けなんてつかない。
でも、私は。
スーパーの鶏肉と給食の鶏肉は食べられるけど、学校のにわとりさんのことは食べられない。そう思った。
地球最後の日に、他に食べられるものがなかったら…、それでも食べたくない。
友達だから…?
一緒に同じ時を過ごしたから…?
確かに、そんな要素が付け加えられているから、私は仲良しのにわとりさんたちをえこひいきするのだ。もしも、死んだり殺されていたらショックだと思う。
だけど、たしかに偽善者かもしれない。
他のにわとりさんたちを誰かに殺してもらっておいて、その鶏肉は美味しいと私は食べるんだ。それって…食肉にされるにわとりさんたちから見たら、確かに全くフェアじゃない。
どうしてだろう?どうすればいいのだろう?
私は、その後しばらくは、牛乳とか相手を殺さないで食べられるものばかりだけで食事を済ませようとしていた。それでも目立ったり、心配されたくなくて、給食も家でのご飯も、《とりあえず出された物を残さない》程度に食べた。
野原君とは、その後とくに接点がなかったと思う。
しばらくして、先生がいつも給食をおかわりまでたくさんしてパクパク食べている松本夏美がいないことに気がついてくれた。