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理解不能の、弱い蒼  作者: 倉木 碧
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55 《風を喚び、飛翔する者》 (8)

 ここを抜ければ…!

 ここさえ抜ければ…!


 気がつくと、螺旋階段を登っているところだった。

 ああ、とすぐに気がついた。

 しばらくぶりに自分が、ようやくここに戻って来られたのだとわかったのだ。


 塔の中の白くて豪華な造りの螺旋階段、ここを登りきれば、お姫様がいるはずの場所。

 以前と変わらない、豪奢な造りの建物。

 明かり取りの窓は小さいが、それでもきれいな大理石製の階段を十二分に照らしていた。手すりには深い緑色の石が使われているほか、控えめにあしらわれた黄金製の蔦を模した縁の飾りなど細部にまでこだわりを感じさせる壮麗な階段だ。

 どうやってここに戻って来られたのかわからなかった。ただ、心から神に感謝を捧げている自分がいる。


 走るようにして登っていく自分の足元がちらりと見えた。履き慣れた編み上げサンダルのようである。

 それで、安堵した。それも以前と変わりない。そっくりそのままだ。ようやく、本来の自分に戻っている気がする。

 今まで長い夢を見ていて、時間を無駄に過ごしていた気さえする。



 ここは、いつも不思議な階段だった。気がつくと、良くわからないまま登っている。

 大きながらんとした塔の中の螺旋階段なのだが、乙女とすれ違うのだ。

 自分が登っている時に、きれいなシンプルなドレスを着た乙女が1人、上から降りてきて自分とすれ違う。別にそれといった特徴もなく、怖くもない。ただ、明らかに自分の属するだろう種族と異なる気がする。互いに無言のまま、すれ違うだけだ。こちらは急いでいるので、最初は気にも止めなかったのだが。


 更に登ると、またそっくりな乙女が降りてくるのにすれ違う。

 だんだんと自分は、気がつき始める。階段を登りながら、考え始める。

 塔にある、明かり取りの小窓と階段の位置関係がいつも同じくらいの時に、あの乙女とすれ違ってやしないか?と思い始める。


 同じ顔、同じドレス、同じ体型の乙女と、同じような場所、同じようなタイミングですれ違う。さっきから…ずっと同じ繰り返しだ。

 いや、…まさかと否定したくなるが、なんとなく嫌なことを想像し始める。

 もしかして、自分は登っているのではなく、ただ同じ場所を回っているだけに過ぎないのではないか?

 同じような場所ではなくて、同じ場所を回っているだけだったら、進んではいないことになる。永遠にお姫様の元へと着かない。

 もしかして、知らないうちに何かの罠、何かの魔法にはまっているのではないか?



 疑い始めると、とめどなく気になって仕方がない。

 自分はどれくらい登ったのか(自分はどれくらい達成したのか)知りたいと思う。

 ちょうど今、乙女が通り過ぎていったところだから、今のうちにちょっと階段から身を乗り出して、どこまで登ったか見てみるのはどうだろうか、と考える。

 が、なかなか実行に移せない。


 下を見て(どれくらい登ったか)確認をしようが、

 上を見て(あとどれくらいあるのか)確認をしようが、

 ものすごく多くの螺旋の渦に、その渦と同数の彼女らが自分と同じように階段から顔を覗かせるのだろう。

 そうではないか?

 そして、それらの顔はきっと、すべてが一斉に自分を眺めているに違いない。

 そういう予感がして、踏みきれない。


 しかも、自分の肉体という器の外側だけではない。彼女らは、いつのまにか心の底の底まで見透かそうとしているのだ。嘘や欺瞞は、通用しない。


 だから。やるべきことはシンプルに。

 本能的に心を鎮めて登り続けていく。

 だが、そう意識し始めたからなのか、とうとう声ならぬ声が、何か尋ねているのが聞こえてきてしまう。

 乙女達は、笑顔のまま唇を動かさずに声を出すのかもしれない。


 お前は誰だ?

 証を立てよ。

 とか…そんな感じのややこしいことばかり、いつも言っているみたいだ。


 螺旋階段を走って登っているというのに、このタイミングで自分の内面を直視しろというのか…?

 隙が、生じるではないか。危ない、危ない。


 勇者だ、としか…自分には答えようがない。

 以前からそうだ。説明なんか出来やしない。

 姫を助けに行く、と勇ましい気持ちになっているだけなのだ。

 だから、おとぎ話しか例えようがなくて、自分は、そう思ったのだ。

 自分でも、自分が何者なのか良くわからないまま、いつもここにいる。

 泣いているお姫様が、塔の上にいるのだ。そのことは、確実に知っている。

 あと知っていることと言えば…たぶん。

 彼女には…もう残された時間は少ない。最後と思いつめて、命をかけた願いを呟こうとしているみたいだ。その場面、その瞬間に自分が向かっている。


 ワレ 二 セイギ アリ…


 ん?、これは?今の声は…?


 今どうやら…自分の奥の奥から響いてきた唸るような声。

 だが、自分の声でもなく、自分の思考でもなかった。

 だけど、このセリフを聞いたことがある。確かさらにもっと言葉は続く。


 しかし、いったい誰の声…だというのか。そのものと自分は一体なのか異質なのか、判別できない、自分は誰だ?

 知らないのだ。わからないのだ。

 だが、今の声と言葉のおかげなのか、階段をようやく登りきることが出来たようである。



 目の前に少女の背中が見える。痛々しいほど、細い華奢な背中。14歳くらいだろうか。いや、もう少し上なのかもしれない。大人になりかけた、しっとりとした色気を感じる。ゆったりとした、ローブかドレスのようなものを着ている。

 ただ、自分とお姫様の間は、大きな壁で隔てられている。

 お姫様は、まるで大きな水槽の中にいるみたいに見えているが、水の中にいるわけではない。

 青い色の透明なガラスの壁で、外と隔てられている空間の中にいるのだ。世の中の穢れから最も隔絶された空間に閉じ込められているみたいだ。


 ああ、と自分は安堵の溜息をついたに違いない。

 見覚えのある、懐かしい光景…。そうだ、ここにずっと戻りたかったんだ。

 この壁の色にも、見覚えがある。きらきらした青い色であると同時に、哀しいくらい深いあの、魔法使いの瞳と似た蒼。


 その少女は、今は花冠をしていないが、きれいな長い黒髪を持つお姫様なのだ。

 おとぎ話は、いつだって、どこか似ている。

 勇者が助けてあげるべきお姫様。たしか…魔法使いがお姫様を閉じ込めたんだ。

 どんなお姫様だったっけ?…よく覚えていないが、美しい顔立ちをしていた気がする。

 以前、見た時にきちんと整えられていた黒髪は、かなり乱れていた。それでも、艶々とした美しさは、少しも欠けていないようだ。そのことが、痛々しさをいっそう増しているのかもしれない。ほっそりとした身体を折るようにして、手で顔を覆っている。少女は静かに泣いていた。



 昔と同じように、青い色の透明なガラスを割れないように手加減して、叩く。すると、空間が歪むような気がした。崩れてしまう?大丈夫だろうか…?


 お姫様が、はっとして顔を上げ、振り向いた。そうだ、この方だった。そう思うだけで胸がドキドキした。黒い大きな瞳は濡れていたものの、追い詰められてもなお必死に何かを求めているような、その瞳の表情が美しい。


「兄さま…? 兄さまなの…?、もう争いは終わったの…?

 兄さま、ご無事でお戻りなのですか…?」


 少し、自分はガッカリする。

 お姫様の待っていたのは、どうやら、自分じゃないみたいだ。兄さまと呼んでいる人…。

 そして自分は、お姫様の兄ではないのだ。(なぜか、それは確信している。)

 でも、兄さまという人が、まったく見当たらないのだが…。というか、そばに誰の気配もない。こんなところに閉じ込められているお姫様を監視する人も、守る人も、見当たらない。


 もしかしたら、自分はお姫様の名前をようやく知ることができたから、ここに来たのかもしれない。お顔立ちを見て思い出したのである。

 このお姫様は、たぶん…美津姫さま、だ。

 と思ってすぐに迷い始めた。いや、もしかしたら黎津姫さまの方かもしれないな、と。

 自分は閉じ込められている、望まない場所でずっと辛い思いをしていたと自分に向かって話してくれていたのは、どちらのお姫様だったのだろう…?



「お姫様、あなたはもしかして…美津姫さまなのですか…?」

 呼びかけてみたものの、反応は全くない。やはり、自分の声は、届かないみたいだ。それは、いつものことだった。


 せっかくここに戻れたというのに、何か手立てはないのだろうか。

 以前、自分は何をしようとしていたのか。思い出そうと必死になる。


 お姫様の宝珠を、誰かに届けに行くんだっけ?

 自分が、お姫様に宝珠を届けに来たんだっけ?

 違う、そもそもお姫様が宝珠を持っていたはずで、確か、誰かにそう聞いた…。

 身体の中にあるという宝珠、それがそもそも間違いの元だったっけ?



「兄さま…。お戻りではないのね。…まだ戦いの中にいらっしゃるの?

 どうして私に鏡を返してくれないの。姉さまの鏡があれば、私、きっと」


 鏡?…姉さまのって、ええと…黎津姫さまのってこと?

 鏡、か。いったいどこにあるんだろう?

 鏡を探せと言われた覚えはなかった。今までなかったと思う。



「美津姫さま、あなたを助けに来ました」

 何もできないまま、壁のガラス面に手をぴったり着けてみる。

 どうやら、なにかの気配を感じたようだ。


「…?…どなたですか?そこにいらっしゃるあなたは…?」


 えーと、自分は、誰だっけ?って、そうだよ、さっきから。結局は、それだ。

 この夢の中の自分の名前?

 もしも、真の名前を自分が言うことが出来れば、悪い魔法は解けるのか?

 この壁は無くなり、お姫様と意思が通じて、助けてあげることができるのか?

 お姫様が本当に願っていることの一つだけでも叶えてあげられたら…!


 そうだ、本当に、自分は誰なんだ?

 そう、そもそもここにいる自分は誰だ?、知らないのだ。わからないのだ。

 知らないということは、何が真実かも見通せていないってことだ。どうやって見通せというのか。


 この、ガラスの壁にぼんやりと写っている、まるで古代ギリシャ風の少年のような格好をした姿の自分、それは、やはり勇者なのだと思うのだが…?

 自分でも、だんだんと自信がなくなりかけてきている。


 自分と思っているこの主体、この勇者の姿の自分は、本当の自分の外側の〈皮〉にしか過ぎないのかもしれない。

 自分の奥の奥には、唸るような声で証を立てようとしてるなにものかがいるみたいだ。

 そのものと自分は一体なのか?

 しかし、自分だけの力でこの空間にいられるわけもなく。

 そのもののおかげで、ここにこうしていることができているのかもしれない。

 そのものか、もしくは誰かの力でずっと戻って来られなかった夢に、ようやくたどり着いたのだろう。

(そうだ、これは夢だ。さっきから本当は気づいているが、醒めたら困るので…気づいていない振りを続けているが、これはたぶん夢なのだ)



「えーと、お姫様、聞こえていますか?」

 …、…。反応はない。

 こっちにはなんとなくお姫様の声が聞こえるというのか思考が読めるみたいなのだが、まったく相手には何も伝わっていない。


「何か気配を感じられるのに。兄さまのじゃないお札、のような…?」

 と、お姫様が呟いた。

 どうしようか、壁のこちらと向こう側の会話が、ぜんぜん成立していない。

 いつものことかもしれないが、だんだん焦ってくる。

 自分の手が触れているガラス壁に向かって何か、お姫様が考え込んでいる。


 そして、何か一番幸せな解答を思いついたというように、いきなり嬉しそうに微笑んだ。少し悲しく感じる微笑みだ。

「失礼致しました。…罪を犯した私には、お姿が見えなくなってしまったのでしょう。

 もしかして、(ツルギ)の…乙女さまですか?

 ああ、ようやく願いを聞き届けてくださったのでしょうか」

 と言うなり、お姫様はきちんと座り直し、こちらの壁に向かって、深々ときれいなお辞儀をした。

「お待ちしておりました。どうか、お裁きを。…そして、あの方にお慈悲を。どうかお力をお貸しくださいませ」


 ?…はい…?子供の頃から見ていたいつもの夢と、少し違う?そんな気がした。

 自分を助けるのではなくて、代わりに誰かを助けてほしいという流れで、何かのミッションみたいなものを教えてくれる、いつもの話は…?


 …ていうか、そんな、(ツルギ)で裁けだなんて、そんな悲しいことを言わないでください。

 自分は、お姫様を助けに来た勇者のつもりなんですが、まるで時代劇のお白州にいるみたいに言わないでください。とりあえず、自分は処断する役目の者ではないと思うんですが…。

 …って、会話が成立しないのに、どう伝えたらいいんだ?


 お姫様がなおも、こっちに向かって(神さまかなにかとお間違えのようで)祈りながら、願いをつぶやく。


「お願いです、せめて…兄さまをお助けくださいませ。こうしてる今も…胸騒ぎがするのです。何か…いえ、(不吉な事を言うまいとしたのか、言葉を切った)

 あの方には大切なお役目があるのです。どうかこの祈りをお聞き届けくださいませ」


 どうしよう…。絶対に自分は神さまではない。…そのナントカ乙女とかでもないし、たぶん、勇者のはずなんだけど…記憶が曖昧で名前すらわからないなんて。勇者の格好をしているだけで、結局はまた何の役にも立たないまま、終わりたくない。

 せめて、この魔法をかけた悪い奴を探し出して事情を明らかにしてやろうか、どうすればいいのか。


 テキ ヲ ホロボスコト セイトウ ナリ…


 いきなり、それっぽいイメージの言葉が浮かんだ。

 敵は、どこにいるのか。

 滅ぼしてもいい敵は、どこだ?

 出来れば教えて欲しいのだけど。元凶をやっつけたら少しは事態が好転するかも。だけど一足飛びに、そうすべきか迷った。

 だって、何が善で何が悪かもわかっていなくて…心が決まっていなくて迷いがあって…。


 螺旋階段の乙女の声が、頭の中にわんわん響いた。


 《そなた、何者なのか。証を今一度、立てよ》

 《正義の証を》


 え、だからさ、さっきからごちゃごちゃ、うるさいなぁ、もう。

 この正義の…!


 今、反射的に剣を掲げようとした、

 そして大声で叫ぼうとした、

 《正義の剣を、ご照覧あれ!》と。



 そうだ、正義の(ツルギ)

 光の勇者は、正義という銘を持つ剣を持っていたはず!

 …?

 いや、ちょっと待て。

 おかしい…。

 ここに剣が無い、じゃないか。


 この勇者(自分)、無くしてしまったというのか?

 ふと、脳裏に龍の尾っぽが浮かぶ。…日本の昔話のヤマタノオロチみたいに、どこかの龍の尾から取り出したりするの?

 剣を、どこかで見た覚えが…。脳裏にイメージが…。

 あれは…!

 そのイメージに向かって、何かの言葉を唱えようとした。この手に剣を。

 が、もう、あの螺旋の乙女()()が面前に押し寄せてきている。間合いすら取れない。

 口々に何か言っている。


『証を立てろ』じゃない、今度はいったいなんだ?

『汝自身を知れ』

 確かに…。そうかもしれないけど…。内面を見つめてもたぶん薄っぺらで正直わからないんだけど…

 そう思った時、うわぁ、と思わず声が出た。抗えない強い力で、空中に自分の身体が投げられたみたいだ。


 ああ、また何か間違えたのか。剣を忘れてきた勇者なんて…。

 もう、宝珠の話になる前にぶっ飛ばされたじゃないか。

 そうか、また敗北、そして目覚めるというわけか。


 自分の身体が真っ逆さまに堕ちていく…。


 いつもこんな感じで、夢から醒めるんだけど…?

 え?まだ醒めない?

《gnothi seauton》『汝自身を知れ』

デルポイの神託を求める者に対する3格言の一つ目。デルポイのアポロン神殿入り口に刻まれていたと伝えられている。

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