54 《風を喚び、飛翔する者》 (7)
先週の復習ということで、パーティー形式で曲をかけて、踊ることになった。
ブルース、チャチャチャ、ジルバ、ワルツを順番にかけて、先週に習った基本のステップだけで踊っているのだが、ほとんど全員が9割以上できていて、姫野と真凛が満足そうに微笑んでいた。
とにかく、先週より皆がほがらかになって、練習を楽しんでいる。
多くの人に、固定のカップルで踊ることを勧められた夏美とラインハルトだが、
「基礎練習の時は、なるべく色んな人と踊る方が気づくことも多いから、みんなと一緒に」
と断った。
それに、と夏美は思う。
今日、絶対2人で踊ったら、またみんなが温かい目で見つめる気がするから、こそばゆいんだけど。
私、変に意識しすぎ?
そうね、最初にライさんに釘をさされたので、みんなその後はさりげなく接してくれているから、変に構えない方がいいよね。
ライさんは、普通に平気みたいだけど、私はあんな主人公扱いに慣れていないから、本当にびっくりした。
演技をしていない、素の自分をたくさんの人が嬉しそうに、しかも気を揃えたように同時に見つめてくるなんてこと、全く普段にはなかったことなんだもの。
これからは、私、演技をしているつもりになって素の自分をあまり出さないようにしっかりした方がいいのかな?
本当の自分を出さないようにすると表現すると、なんだか暗い感じでアレだけど、幽体離脱みたいにちょっと斜めの隠れたところから自分と他人さまのいる〈場〉を眺めて自分をコントロールしてる感じといえば良いのかな、その方が少し、余裕を持って演技ができるのだ。
でも、皆さん、本当に良い人達ばかりだから、あまり考えすぎずに自然体を心がけていた方がいいのかな?
今の私は、そっちのほうを選びたい。斜めの隠れたところにいないで、みんなと一緒に混じりあいたい気持ち。できればリラックスして、みんなと笑いあいたいんだよね。
それでも、たまに自分という人間の見せ方を失敗して赤くなったり、へどもどする自分が、たまらなく恥ずかしくて、迷ってしまう。
それに、ライさんに恥をかかせるようなことはしたくないし…。
今日からスタートした、タンゴの基本のステップ。
タンゴは、どちらかというと、パキパキしたリズムなので、とても好きだ。こういう好きなことをやっていると、機嫌が良くなる単細胞の私。
リズムに変な迷いみたいな‘間’が無い感じが本当に良い。
それに、男性の方がタン!と一度強く床をタップするのがカッコいい!、とても勇ましい感じがするので、女性のステップにも混ぜて欲しいくらい好き。
この基本のステップは、子供の頃に競技会で数度踊ったことがあるから、夏美は自信がある。
ライさんの会社の見知らぬ社員さんにも
「お上手ですね!、ほとんど、講師の先生みたいですよ!」
と褒められて、単純にうれしくなる。
そのおかげか、次に始まった、苦手意識のあるルンバも、そんなに嫌な気がしない。ルンバは、ちょっと時間が足りないかもということで、基本のウォーキングと、チャチャチャと同じ振り付けのステップをやっただけで、本当に簡単だったのだから。
ちょうど、マルセルさんがそばに来てくれていて、踊ってくれる。
「ルンバはとても苦手なんです」
と言っても、
「そうですか?とてもお上手ですよ。確かに拝見していると、夏美さまは軽やかなリズムの方がお好きなようですけどね。
でも、ゆったりとしたリズムなら、逆に余裕があるのでは?」
「あー、余裕なんてないんです。そこまでの‘間’が、逆に上手くもたないんです」
マルセルさんのやさしい雰囲気で、夏美はつい悩み相談みたいに言ってしまう。
「そうですか?
緊張されている時は、腕などを突っ張ってしまう方も多いですね。
ですが、夏美様は、先週よりも少し私にも慣れてくださったのか、緊張がほぐれてきて、腕や手の動かし方とか、とても優雅ですよ。残像を写せるカメラとかで撮影すると、きっと…とてもきれいな円が描けているのがわかるかと思います。自信を持ってくださいね」
「そうですか?ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ」
はぁ〜、マルセルさんはいろいろお見通しなのかもしれない。確かに緊張すると、身体が突っ立ったりしてしまうものね。
でも、本当に優しい良い方なんだわ、先生みたいな雰囲気のマルセルさんに褒められると、さらに嬉しい。私、絶対におだてられたら木に登りたいと思う人種だわ、間違いない。
練習の最後の方は、軽食が用意されているのだ。さすが、遥のホテルの出してくれるご飯。もう、これが一番の楽しみかもしれない。
軽く音楽もかかり、食べたい人は食べ、踊りたい人は踊るという感じになる。先週は踊っている人が少なかったけれど、今週は、みんな、なんだか踊れるという自信がついてきて、三々五々誘い合わせて踊っている。それを見ながら、夏美はにこにこと食事にいそしむ。ようやく、遥とのんびりと話しをする。瑞季は、なんだかモテモテで戻ってきたかと思うとすぐに誘われて、ずっと踊っている。
ホストらしく、順番に女性全員と踊るのを心がけていたらしいラインハルトがそばに来て、
「夏美とは結局、一度しか踊っていないから、夏美、僕と踊ってよ」
と言う。
「え、あ、はい。少し待ってくれます?
お皿の上のカナッペを片付けますね」
最初はあんなに恥ずかしいとか言ってたくせに、いつものように人目を気にすることもなく自分はバクバク食べていたのだ。
「あ、じゃあ、お二人にはみんなが見たがったのをリクエストしていい?」
と、隣で真凛さんと話し始めていた遥が言う。
「ウィンナーワルツね、みんなたぶん、踊って欲しいと思っているはずよ?」
と真凛さんが言う。
「夏美は、ウィンナーワルツでもいい?」
と、ラインハルトが聞いてくる。
「え、ええ、先日のように上手くいくかどうかわからないんですけど、良いですか?」
「うん、そうだよね、みんながどんどんハードルをあげるから、踊って期待はずれって言われるのも、しゃくかな。スローな方のワルツにする?」
「お願い、演目に入れたいと検討中なので、少しだけでもいいの、見せて欲しいの」
と遥が真顔で言う。
「じゃ、そうだね、遥には見てもらった方が良いか。夏美、踊ってくれる?」
「はい、もちろんです」
ホールドする時に、ラインハルトが夏美に囁く。
「大丈夫?緊張してる?
ミスしてもまだまだ練習だし、名曲だからつい主旋律に気をとられるけど、わけがわからない時は、リズムを刻むだけでいいよ」
「そうですね、『ダンスは、リズムに合わせて歩くのが基本』と昔、言われた気がします」
「そうだよね、それだよ。じゃ、ラストダンスを踊ろう。夏美、疲れているのにありがとう」
「私は大丈夫です。ライさんこそ、皆さまにとても気を遣っているのね」
ラインハルトが、少し照れて笑う。
「うん、まぁ、多少はね。サービスしたいからね。無理してるわけじゃないよ、みんながいて僕をいつもサポートしてくれてるのを知っているからね。
さ、集中して。君が教えてくれたんだよ。それを合言葉にしたいな。
踊っている時は…」
夏美は、うなづいた。
「ええ、まるで恋人のように」
たくさんの人の視線の中心に2人はいる。それでもさっきより緊張しないのを夏美は感じた。
くるくると回り始めたのに、いきなり、ピクチャーポーズをするライさんのリード。え?ここで止まるの?
みんなが拍手する。
「そうそう、上手いよ、夏美。普通はこんなのをしないのにぶっつけ本番で入れてみたのに、意外と上手くいったね!」
ちょっと大きめな声で言うので、さらにみんなが拍手をしてくれる。
ライさんが、たぶんここ一番のドヤ顔をしているのを感じる。
もう?!さっきまであんなに心配そうにしてくれたのに、ライさんてばいきなり難しいことをするなんて!
と思ったけど、自分も、知らないステップを楽しんでいるのだった。
半分は照れながら、自分でも笑っている。
さっきよりもっと素直な感じに、力が抜けてきた。
私、やっぱりこのリズムが好きかもしれない。
あの3人の乙女も…。
!、ええ、そうだわ、このリズムで踊っていたのかも。1,2,3, 4,5,6…、と。
このリズムは三角形が2つある感じなのよね。2つの三角形が仲良く、永遠に連なっていく。
でも、くるくると2人で描くのは、たくさんの小さな丸なんだわ。そして、そのたくさんの小さな丸を重ねていきながら、大きな円の上を旅する私たち。
それは本当に不思議ね、だって、私もライさんもけっして丸く歩いているわけではないのにね。
互いに向かい合わせで、そっくりの反対の歩きをしているの。鏡のようだけど、それでも少し違う2人の動き。
ライさんは私に向かって歩いて、次に私を通しているだけ。私はライさんを通してから、ライさんに向かって歩いているだけで。それをライさんのリードで、何かを紡ぎ、何かを織り出していくみたいに、ずっときれいにくるくると動いていく。
あの時、ライさんの方に向かって歩いていくと、その先に道があるみたいな感じがしたのよ。
そのまま私は、ずっと進んで行きたかった。
ライさんを突き抜けてしまうくらいに、ライさんの中に潜り込みたいくらいに進んでいたのに、今はハグをしているようなホールドで、互いに突き抜けずにとても良いバランスで一体化して動いていて、これって…?
「夏美、集中して。素直にリズムを刻んでいこう」
「はい」
いけない、三角形が2つ、ずっとそのリズムでいかないと…。
ライさんには、いろいろと伝わってしまう。ううん、違う、私が今リズムを崩しかけたから、支えてくれていたんだ。
たまに自分が間違えて変なところに足を運んでも、ライさんが上手にその足場で立たせてくれる。身体がぶつかりそうにしても、ライさんの方が自分自身の体を自然と入れ替えて空間を作り、無理なく自分を通してくれるように踊っている。きれいな円運動の繰り返しで成立しているウィンナーワルツをきちんと踊らせてくれている。
「はい、フィニッシュ!」
夏美をくるくるとターンさせ、二人できれいにお辞儀をする。
すぐに、みんなに向かって、ラインハルトが問いかける。
「さ、どうだった?良かった?」
みんなの視線が熱い。私も、たぶんライさんも上手く出来たと思ったのに...でも、誰も拍手してくれない。手を拍手の用意をしたままにして止めている。
「あ、そうやって…大事なところを端折る作戦ですね?」
と、姫野さんが言い、全員が笑った。…もう、あの黒歴史、のことよね?
「どうする?夏美、」
少し心配そうに聞いてくる、優しいライさん。
大丈夫!、完璧な演技をみんなが求めてるならば。
だって、みなさんが喜んでくれれば、私も嬉しいもの!
夏美は先日のように、ちょこんとラインハルトの肩に手を添えて頬にキスをした。
みんなが、ようやく拍手をしてくれる。
「これは、絶対にデモの演目に入れなくてはね!」
と遥が言ったので、みんながさらに拍手をしてくれた。
帰りは、ライさんが送ってくれた。但し二人の乗った車の後ろから、高級車がついてくる。
マルセルさんが、ライさんの体調を心配していたので運転に反対していたらしく、夏美を送った後で、運転手つきの高級車に乗って帰るそうである。
夏美は驚いた。
「なんか、変。あ、ごめんなさい。つい・・・本音が」
「いいよ、笑えば。うん、確かに変だよね。マルセルと、折りあえなくてさ。
僕はちょっとでも、二人だけで話したかった。本当はね、行きに夏美を迎えに行って
『どのタイミングでみんなに発表するのがいいと思う?』って打ち合わせしようと思ったのに、ごめん」
「あ、それは。私が真凛さんと行きたがったからですから。
冷やかされるのは覚悟していたんですけど、本当に全員が一斉ににこにこ見つめるんですから、その光景に驚いちゃったんです。どこまで話が広まったかと思って…。
皆さま、本当にライさんのことが好きなんですね。すごく喜んでくれているから、少し気おくれしてしまいました」
「変な約束をしたって、今後悔してるんじゃない?」
「あ、ええと。それは、あ、保留で」
「え?ホルスタイン?」
「え?…は?」
「うーん、だめか。僕たちは、お笑い芸人コンビには、とてもなれなさそうだね」
「なりません。...もう、ライさんって時々、とても変」
「時々じゃなくて、〈いつも〉変なんだけど。まだバレてなかったとは。
最近、日本のお笑いを研究しようかと思ってね。
夏美がさ、僕のガールフレンドのふりをするのは、『やっぱり嫌だ』ってもしも言ってきたらという場合に備えておいた方がいいかなって。手回しがいいでしょう?」
「じゃ、もしかしてそうなったら、お笑いコンビ結成の発表をするかもしれないってことですか?」
「うん。方向性が間違ってる?(笑)
とにかくさ、夏美がさ、僕と付き合っているふりをする約束を後悔しているかもしれないって思ったんだ。
嫌になったら、いつでも言ってくれていいよ。なんて、ホントは言いたくないけど。
でも、どういう形でも、僕は夏美を危険な目にあわせたくないんだ。だから、どうにかしてそばにいたい。それか、後ろから、ああやってついてくる車みたいに、夏美を護衛したいから」
「ライさん...ありがとうございます。
あのね、嫌になっているというより、どうふるまえばいいのか、とまどっているんです。
演技しているときは、たくさんの人に見られていても大丈夫なんですけど、だからといって、ずっとうその演技みたいではなく、本当に心を込めて演技したいから。
でも、最初は一瞬、素の自分のままで、皆さまの祝辞を受け止めてしまって、恥ずかしかったんです。
お笑い芸人のふりは絶対に出来ないので…頑張るしかないですね」
「夏美は本当は照れていて、ほっぺにキスなんてしたがらないかなと思っていたけど、みんなの期待に応えてくれてありがとう」
「あそこで恥ずかしがったら、場を冷やしてしまいますもんね。ライさんが皆さまに愛されながらも、とても気遣いをしているので、開き直って私も皆さまのご期待にこたえた方がいいかなって。良かったです、正解なら」
「うん、夏美のサービス精神の表れだね。で、最近は、怖い夢とかなにか変なことはない?」
「それが、全然大丈夫なんですよ。宝珠さんもいるような気がまたしているんですが、落ち着いてくれていて、全然困らないです。
もう、護衛とかなくても、一生大丈夫そうな気持がしています」
「ああ、そうならば本当にいいんだけど。
...ああ、もう家に着いたね。今度また時間を取って会ってくれないかな?
迷惑かもしれないけど、僕は、僕の感じたのは、…。
もっと用心深くしていなくてはいけないってことなんだ。
また連絡するよ」
「はい、ありがとうございます。わざわざ送ってくださってありがとうございました。皆様にもよろしくお伝えください」
後ろの高級車には、ただ運転手の山本さんだけではなく、マルセルさんや他の人も乗っていたみたい。
なんか、多くの人が時間を無駄に使っている気がしてしまうのですけど。
ライさんがどうしてもと言ったからなのかもしれないけど、庶民の私は気が咎めて仕方がない。
宝珠さんは、本当に落ち着いているのよ。そんなに大げさなことなの?
私は、もう何も起きないかもって思い始めたところなのに。
・・・そういう私は、全くなんの予感も受ける能力のない、鈍いヤツだったのかと夜中に思い知ったのだ。