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理解不能の、弱い蒼  作者: 倉木 碧
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47 《鼎を掲げし三乙女にまみえよ》 (6)

 夏美は息を呑む。夢で見たイメージに近い。そう、これかもしれない。これが動いてくれれば、と思う。

「これ、これです!…夢の中のイメージにぴったりです。これもまた、ルーブルにあるものですか?」

「ううん、たぶんルーブルにはない。…僕の実家にあるというのは知っているけど」

「ライさんの実家に…?これはなんていう彫像ですか?タイトルがついているんですか?」

「うん。僕の家では『エルサレム』って呼ばれているけど、それが正式なタイトルであるかどうかは古過ぎて、もはやわからないんだ。

 誰かが見た夢を彫像で作ったらしいって聞いたんだけどね」

「エルサレムって、たしか都市の名前でしたよね?」

「そう。聖地エルサレムは、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地となっている都市だよ。さっきの夏美の話のガブリエルさまの話にもつながるね。もとは同じ神さまを讃えている3つの宗教の聖地が、同じエルサレムなんだ。ルーツが1つだから、当たり前といえば当たり前なんだけど、その聖地に焦がれて手を伸ばす当然の行為同士でぶつかる羽目になるんだね。

 エルサレムをその大きな(かなえ)、脚付きの壺をそう呼ぶらしいのだけど、それが絶対的な1つと見れば、3人の乙女が仲良く捧げるようにして円を描いて踊っている夢は、たぶん元々の唯一無二の存在である神さまを皆で讃えよという啓示だと、作者は思ったと伝えられている。ただ、現状は、なかなかそんな風にいってないよね。


 それに彫像だけど。そういう状態で踊るのは、自由度が足りなくてかなり難しいと思うけどな。呼吸が合わないと、それこそ転びそうじゃないか。タロットカードの絵みたいに3人の乙女がそれぞれ別々の軽い杯を掲げて、ゆったりと踊るほうが、どんなに楽かと思うよ。それに、それぞれの宗教のシンボルは、同じエルサレム内にあっても、それぞれ独立して存在しているのだから。

 ニュース等で聖地エルサレムの争いが取り上げられることも多いよね。でも現在、問題は全く解決していないけど、皮肉なことにそれぞれの力が釣り合っている時は緊張関係の中にも安全だとして、普通に観光客も受け入れている都市だよ。内心はどうあれ、お互いを刺激しあわないように祈りを優先して併存しているみたいだね」

「そうですか。聖地エルサレムが尊重されたまま、ずっと平和だといいですね。確かに3人の乙女がバランスよく呼吸を合わせてくるくると回り踊るのって難易度が高いと思いますけど。

 この彫像を見ていると、その難しい均衡を保つという課題を丁寧にやって、平和な状態がいつまでも続いて欲しいという、そんな願いを感じます」

「うん。夏美の言う通りだよ。その夢を見た人も聖地エルサレムの平和を願う気持ちだったんだと思う。

 その彫像にはね、うちの一族の願いも入っているんだよ。錬金術師というのは、お金儲けだけを考えて金を合成しようとしていたわけじゃないらしいんだ。

 神さまから与えてもらった沢山の物を、相反する物や無関係に見える物も、取り合わせて加工したり合成したりすると、何かまた新たな神さまからの贈り物を見いだすことができるんじゃないかという、まぁ科学に近いことをやっていたんだ。そして、その上でもなお、創造主たる神さまを忘れてはいけないというのが、ご先祖さまからの家訓となっていてね。

 神さまのいる天国のような理想郷を地上にもたらすには、科学による進歩を目指しつつも自然を尊重し、多種多様な生き物が平和に共存すべきということらしい」

「ほんとうにそうですね!

 ライさんのご先祖さまの言う通りだと思います。科学と神さまって、何か相容れない感じがしてましたけど、対立してるんじゃないと言ってくれてるみたいでほっとします。科学の進歩って、理系に疎い私から見ると、情緒に欠けるような、自然とか神さまに抵抗しているような気がしてましたから。

 でも、それはそうとして…。どうしてなんでしょう?

 どうして、その彫像を私は夢の中で見ることが出来たのかしら?」

「そうだね、不思議だね…。もしかしたら、やはり宝珠の記憶かもしれない。それか美津姫さまの…」

「じゃ、私の中の宝珠さんがくれたイメージなんですね。幼い頃のライさんのことも…」

「うん、そうかもしれない。ほんとうに不思議だね」


 5歳くらいの自分を覚えているなんてことは論理的におかしいと言いたかったが、ラインハルトは、やはり我慢した。

 彫像のこともそうだ。

 その彫像が動いているところなんて、誰が見ることが出来たというのか。美津姫にも彫像は見せたはずだが、動いているなんて言って表現していた覚えはない。

 今までの自分なら、そういうことを突き詰めないと気がすまなかったはずなのに。倦んでいるわけではない。一歩退いて、力を込めないで見守ってあげたいと、穏やかな気持ちになっている。


 まぁ、何か…夏美の夢なのだろう、と。

 夏美のための何か。先祖から代々受け継がれてきた白蛇竜の宝珠を守ってきた力による何か。

『理解不能』なことは多すぎるけど、何か不思議な力が働いてるんだろう。

 よそ者たる自分が立ち入ってはいけないと思い、危険な時だけ助けになればと考えて、夏美の指に小さな傷を作るような小細工をしてみたけど、あまり役に立ってあげられなかった。

 夏美の中に秘められた力は大きい。それを無自覚で抑え込めてるのは、たぶん素直に正義や正当性を愛する《悪者にはなりたくない、勇者になりたい》という心なんだろう。人間の言葉が伝わらないような、暴虐の龍にはまさか変貌しないとは思うが、何の覚醒も無しに無事に終わるとは思えなくなってきた。

 だが、せめて夏美の怯えや不安を取り除いてあげておきたいのに…。


「ごめん、僕もまだわからないことが多過ぎて、夏美の不安を減らしてあげたいと思うけど、なかなか出来ないね。でも、どうやら…たぶん君の宝珠は、ちゃんと君の中にありそうだね」

「はい。…良かったです。

 ありがとう、ライさん。この彫像の映像を見せてくれて。…気持ちが落ち着きました。

 ありがとう、私のことを考えて、いつも気遣ってくれて…。本当に。

 安易かもしれないですが…。

 ライさんと助けあっていけたら…大丈夫みたいな気がするんです」

 こくんとうなづいた夏美が、そのままラインハルトの瞳を見つめ返して言った。


 まるでそれが合図だったかのように、夏美とラインハルトは同時に腕を伸ばしてお互いを引き寄せて、お互いに歩み寄り、唇を重ねていた。

 不思議だった。

 まるでダンスのステップを踏んでいるかのように、自然に2人は動いた。

 相手も不思議だと思っていたり、信じられないと思っていたりするのかもしれないと思うけど、あまりに自然で当たり前みたいにキスしてしまい、唇が離れた後もお互いに寄り添ってハグしあったまま、何も言えずにいた。お互いに戸惑っていたのかもしれない。


 ラインハルトはただ黙って、夏美の頭を撫でてみた。

 何も言葉は浮かんで来ない。何を言うべきなのか。

 《相互理解》には、言葉がたくさん必要だと思っていたのに…。

 僕は理性(Logos)や言葉を重視して努力してきたのに。…言葉じゃない何かがお互いに届いたというのだろうか。


 夏美はラインハルトの胸にもたれかかったまま、気づいたことを素直に呟いた。

「あ、良かった…。私、少し感覚が戻ったかもしれないです」

「そう、それは良かった」

 ラインハルトは、幸せを噛み締めていたのでぼんやりと答えたが、次の夏美の言葉に冷水を浴びせられたかのように、我に返った。

「ライさん、ここにお札を持っていたんですね、今、ようやく気がつくことが出来ました」


 え?

 本当だ。…本当に、ここに突然にある。

 ラインハルトは、ただ驚いている。

 自室に置いておいたはずの、しかも普段から軽く封印してあるはずの、青龍王のお札が自分の胸に張り付くように、今ここにある。夏美の頭との間にある。

 いつの間に?

 おかしい…。僕は最初から持って来ていないし、召喚してもいない。

 相当の能力を有する術者でさえ…なかなか触ることも見ることも出来ない、自分だけに許されたはずのお札。

 僕は、夏美を刺激したり、邪魔したりしないように、お札をあえてしまっておいたのに。

 まさか、そんなはずはありえないが、夏美が無意識に召喚してしまったのか?

 それとも、お札が勝手に行動しているのか?

 しかも、自分がぼうっとしていたせいか、夏美の方が先に気がついたのだった。

 白蛇竜の巫女の末裔だから、に違いないからか…。

 さすがと言いたいところだが、やはり不思議だった。

 修行も何もしていない夏美だというのに、自然と備わっている力を無意識のうちに使えるというのか。

 無自覚な、未覚醒な力を秘めたまま、夏美は素直に動いているのだろう。

 それとも…。

 僕たちは、ただ宝珠やお札に操られているだけだったのか。

 宝珠やお札の背後にいる神さまや運命が、僕たちを操っているのだろうか。


 お札が今、自分の胸元にあったから、夏美は僕とまるでシンクロするかのように寄り添ってくれたのだろうか?…あの時の美津姫のように。

 今の、幸せな数分間は、僕たち2人の、2人だけのものだと思ったのに。


 先日も、夏美は宝珠の影響を受けて、自分に飛びかかってきた。

 今度は、青龍王のお札に反応してしまったということなのだろうか。

 だとしたら、これから先の困難も、容易に想像がつく。

 あの時と同じだ。

 夏美の、巫女姫さまたちの先祖伝来のものに、よそ者の自分が干渉していく。…静かな湖に、要らぬ石を投げ込むようなもんだ。

 無用な争いはしたくない。無駄な時間を費やしても、納得して信頼してもらいたい。

 力をぶつけて、強制したり蹂躙したいわけじゃない。

 共に神を、どこか根っこが同じであろう創造主を称え、力を合わせて生きていきたいだけなのに。


 どうして、僕たちは理解し合えなかったのだろう?


 苦い思い出が蘇る。

 宝珠と鏡が互いに響きあった時の、美津姫の思いは強かった。そう思う。

 僕への信頼という細い絆なんて、簡単に断ち切られてしまったんだと思う。

 それほど、先祖伝来の血の掟は強固なのだろう。

 自分の言葉をいくら重ねても、美津姫の絶望の心を動かすことは結局、出来なかった。彼女の亡骸の前で、無力だった自分と届かなかった言葉は、ちぎれて散り散りになった。

 もう失敗は出来ない、いや、したくない。


 神さまや運命のもとにいて、螺旋の罠に巻き込まれているように感じながらも、何か自分のしどころがないかと僕はうろうろし、たくさんの努力をしてきた。いずれにしても、自分たちが主体的に出来ることは限られているのだが。もちろん、そんなことはわかっている。

 だが、どんなに頑張って遠くへ行こうが、神さまや運命から離れていくことは出来ない。もちろん、そもそも離れていくのが目的ではない。離れていきたいわけではないのだ。


 神を愛し、神に褒められて、神に愛されたいと、いつだって焦がれているのだ。そのような焦がれる気持ちはどんな宗教を信じているとかじゃなく、無神論者の人にも覚えのある気持ちではないだろうか。

 僕は…心があり、理性を持った『人』として生まれたからには、理想を求めて生きていきたいのだ。それと共に、出来れば愛する人と一緒に時を過ごしていきたいという、ささやかな願いを持ちたいのだ。


「夏美、僕を…もしも僕の嫌な面をたくさん知っても、僕が君を裏切らないと信じてくれる?」

「はい、わかりました。『宝珠の謎解き委員会』の結束は固いですよ、ね?」

 屈託なく、夏美は答える。

「うん。僕も君を信じているから」

「ありがとうございます。喧嘩しても…仲直り出来る友達でいましょうね、ライさん」



 ♣︎♣︎♣︎♣︎♣︎



 夏美の帰宅前にと、真凛、マルセル、そして姫野が再度集まった時に、ラインハルトと夏美が交際を始めると伝えると、案の定賑やかな大騒ぎになった。

 姫野は、『ヴィルヘルムさまにお電話せねば!』と言ってラインハルトに『あとでちゃんと自分でするから』と制止され、

『遥さまと打ち合わせをせねば!』と言って夏美に『照れくさいけど、まずは自分で伝えたいので』と制止され、

 それならばと、とりあえず料理長に《今晩のディナーはお祝いで一品増やす》相談に行った。

 真凛は、嬉しすぎて自分の運転が危ないと言い始め、山本が運転を代わり、真凛は夏美の横に座って往復することになった。

 マルセルも、嬉しさのあまりラインハルトをハグしそうになったが、慌てて少し顔を赤らめたまま、握手をするだけにとどめた。



 明るい皆の笑顔を見ながら、ラインハルトは悟った。

 僕の方だ。僕の心が弱いのだ。

 信じてくれる人たちがいながら、僕自身が信じきれていないのだ。

 さらに、僕はまた、ここで思い知った…。

 先日、悩んだ時と同じようだ。自分では前進しているつもりなのだが、堂々巡りのフーガのように繰り返していく螺旋の罠のようだ。無力感…。


 …そして…残念ながら、やはり強固な先祖伝来の血の掟の下にあるのは、僕も同じなのだ。

 理想の実現のためには、闇魔法も厭わず、神の定めた寿命を超越する術を編み出し、悪魔をもAzoth杖で従えて使役していた大大祖父様から脈々と伝わるもの。


 先ほど、彼女の力の一部に触れた途端、僕の中で膨れ上がった荒ぶる魂。

 敗北より勝利を!

 正義より理想を!

 東洋の伝統に畏敬を感じ、賞賛し…だが、その純粋な気持ちより大きく滾る(たぎる)気持ちがある。

 爪をぎらつかせるようにして手を伸ばそうとする、忌まわしい僕自身の征服欲。


 《焦がれるほど、欲しいのだろう?》


 そうだ…。ずっと追い求めてきたのだから。

 自分ならば気をつけて、理性ある人間としてその力を正しく使う自負もある。…いや、本当は夏美が表現したみたいに、『自分なんか(力不足だ)…』という卑下するコンプレックスを抱えている葛藤は当然あるのだが…。


 螺旋の罠のような運命から、あの時の美津姫と僕は逃れられなかった。今度は夏美だけでも逃れさせてやりたいと本気で考えている。

 だけど、…夏美は白蛇竜の巫女の血のもとに、僕は悪魔使いの血のもとに対峙するのか。


 夏美を愛している、そして、夏美を心配し、夏美を尊重したいと思っている。怖い思いをさせたり、嘆くような目にあわせたくない。

 だが、その一方で…僕は、やはり彼女の全てが欲しい、そして、僕と過酷な運命の中で共に闘って欲しいと思ってしまうのだ。

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