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理解不能の、弱い蒼  作者: 倉木 碧
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42 《鼎を掲げし三乙女にまみえよ》 (1)

「姫野がさっき、夏美に見せたがって浮き浮きしていた小さな食堂は、ここだよ。

 さ、どうぞ」

 相変わらずの完璧なエスコートぶりを発揮するラインハルトが、ドアを開けて夏美を案内する。

「…わぁ…素敵ですね。何か可愛らしい絵本の中に迷い込んだみたい…」

 夏美は部屋全体を見回して、息をのんだ。一瞬、空腹のことさえ忘れる。


 小さい食堂は、まるで『不思議な国のアリス』などのファンタジーなお話に出てくるような、そんな可愛いらしい部屋だった。隣には、大きな台所や召使い用の食堂と休憩室もあり、微かに物音がしている。そして、たくさんの食材の香りもほのかに漂ってくる。そこかしこの戸棚の扉をいきなり開くと、隠れている妖精を見つけられてしまうような、そんな気がしてくる。

 うっとりと眺めている夏美の素直な感動ぶりが好ましくて、ラインハルトはこの部屋に招待出来たことを嬉しく思った。

「きちんとしたディナーを取る食堂はね、大きくてかしこまっていて…それはそれで素晴らしいとは思うんだけど。上質なアンティークな家具もあるし。でも、気取ってばかりの毎日ではつまらないだろうと思って、この屋敷をリフォームした時に作ってもらったんだ。かなり従姉妹の意見を取り入れたんだけどね」


 白と緑のストライプの壁紙が張られている。そして、ぐるりとめぐらされた腰板、扉や窓枠は少しくすんだ白。

 窓際にある二人向かい合わせに座れるテーブルはクリームがかった白。普通の家庭用サイズくらいだが、この屋敷の他の家具からすると、小ぶりな物である。

 他の家具もやはり、少しくすんだ灰みがかった白。片隅に置き忘れたかのように置いてある揺れる木馬のおもちゃも年代を感じさせる。ブルジョワ階級でも、わざと少し古びて色を褪せさせたような、シャビーシックなトーンのインテリアは根強い人気なようだ。


 ワゴン車を押してポットや食材を運んできてくれたメイドさんと共に姫野がにこにこしながら部屋に入ってくる。

「まるで…おままごとをするようなお部屋でございましょう?

 夏美様は、いかがですか?お気に召しましたか?」

 夏美は、即答した。

「ええ、大好きです。ダイニングキッチン付きのリビングなんでしょうけど、この部屋に住みたいくらい、好きです。

 とても可愛くて、夢のような家具ばかりですね。ほんわかとした気持ちになります」

「おお、それはそれは。ようやくお披露目できて、本当にようございました。

『ラインハルト様がガールフレンドを連れて来たら、ここでランチをして欲しい』

 というエリザベス様のリクエストだったものですから。私どもの念願がかないました。

 さぁ、どうぞ…お二人で気兼ねなく、楽しいお食事を」

 と、姫野がウィンクをした。

「ありがとう、姫野」

「ありがとうございます」


 ワゴン車とキッチンのサブテーブルに用意されていたのは。

 すでに焼いて保温状態にしてあるパンケーキ十数枚。ローストビーフや上等なハム。炒り卵などの卵料理3種。魚介類のマリネやアンチョビ。野菜やきのこ。そして果物の他にフルーツやナッツ、チョコ、ヨーグルト、生クリームをとり揃えてある。そして、クレープ生地の入ったボウル。これは、パンケーキばかりだと食感が重すぎるだろうとの配慮らしい。

 それから、お揃いだけどオレンジ色、レモン色の色違いのエプロンだった。


 ラインハルトは、クレープを焼くのがとても上手くて夏美を驚かせたが、夏美も大学祭で一度経験しているので、2人でお互いに焼いて交換しあったりして、ランチを楽しんだ。


 食後のコーヒーを前にして

「さ、そろそろ聞かせてくれるかな?

 夏美の夢の話は、いつも面白いからね。とても楽しみにしていたんだ」

 夏美はドキドキしながら、メモをテーブルの上に載せた。食事が楽し過ぎて、既にかなりの記憶が薄れかけている気がしてならない。


「ええと、そうですね、まずは…さっき言いかけていた、〔食べられないミニドーナツ〕の話なんですけど。」

「うん、確か君の質問に対して、金属のミニドーナツを出してくれたんだね、えーと、天使さまだっけ?」

「そうです!これは大好きな絵のワンシーンに似ていたから、自信を持って覚えているんです。あの、ライさんは…タロットカードってお好きですか?」

「うん。占いはともかく、そういう物、寓意的なものには、すごく興味がある方だよ」

「じゃ、14の、『節制』のカードって…わかりますか?」

「うん。…実は、僕にとっては縁の深いカードでね。僕が占いをしてもらう時には、それを《形代》として使わせてもらうんだ」

「《形代》…?」

「日本語では、どんな表現をするんだろう?

 占いを卓上にスプレッドする時に、焦点部分に自分を置いてもらうんだ、アバターとかの感じ?」

「ああ、わかりました。たぶん、《意味の札》とうちの母が表現しているものかもしれないです。母はアマチュアのタロットカード愛好家だから、なにかの占いの本に書かれていたものを参考にしているので《意味の札》が、正確な表現かはわからないんですけど。自分で決めてない人は、星座と関連するカードにするんですけど、それですかね?」

「ああ、たぶんそれだ。パーソナルなカード、個人的なカードみたいなものだね。

 タロットカード占いは、本当にパーソナルな占いを目指しているんだろうね。占い者と対峙した、その人のための、その日その時の占いって聞いたことがある」

「詳しいですね、ライさん」

「受け売りだよ、僕は、タロットは好きだけど、占いはそれほど…好きではないんだ」

「うふふ、うちの弟もそうですよー。でも、嫌いとか言いながらたまに母に占ってもらってるみたいですけど」

「夏美は?」

「私も、そんなに占ってもらいたい方じゃないんですけどね、だって母が

『私はアマチュアだから、責任取れる占いにはならない』

 とか言ってますし。

 でも、そういう遊びの占いみたいな時にカードのキーワードを聞いていたり、タロットの解説書の本を読んでいると、不思議と気持ちが落ち着く時があるんです。なにかの言葉にピンと来てしまう、みたいな瞬間って、妖精やもしかしたら、神さまからのヒントをもらえたように嬉しくなってしまうんです。そういう風にタロットカードに親しむっていうのもアリなんじゃないかな〜と思って」

「なるほどね、うん。昔の人がそれぞれのカードに意味を込めて、占いで出てきたカードの関連でその言葉を紡いでいって、その中からなんらかの運命の啓示をもらいたい願いって、そういう気持ちを落ち着けることにも通ずるのかもしれないね」

「あ、すみません、つい横道にそれましたが、その『節制』のカード、私も大好きなんです。

 その『節制』の天使さまが2つの水差しを持っているところに、夢の中で行ってしまったみたいなんです」

「すごい!…僕もそういう夢の中に行ってみたいよ」

「でしょう?…うちの母も大好きなカードって言ってたので見せてあげたいと思ったんですが、ええと」

 と、メモを見る。

「でも、そこは、もしかしたら地獄かもしれなかったんですけどね」

「えぇっ?『節制』の天使さまは、地獄にいるの?それは…なんか面白い設定だね」

「……うーん。そう考えると変かもしれないですねー」

「東洋の地獄?、西洋の地獄?」

「うーん…。ただの、暗い世界で広い野原みたいな…あまり怖くないところ」

「なんか…地獄っぽくないな…残念ながら僕はまだ行ったことがない気がするけど(笑)」

「そうですね、かと言っても…うーん、天国っぽくないですよね。

 誰かが、私は死んで地獄に行くとか、一緒に行こうとかいう話をしてたんですけど、そこはうろ覚えで…。

 夢の中でいろんな人とか天使さまが出てきてくれたので…ごちゃごちゃになりました…」

 ラインハルトが、少し笑った。

「…うん、ま、まぁ…君が死なないで、夢から戻ってきたことを喜ぼうか」

「そうですね、で、とにかく私は先日お姫様と龍の夢を見てから、ずっと気になっていたことがあって。ライさんも一度解説してくれたでしょう?

 西洋では、龍(竜)はドラゴンとして退治をする対象になるけど、東洋では白蛇さまとか龍とかを信仰の対象としたり、貴いと崇めるでしょう?

 どうやって良し悪しを線引きしたのかがわからないと疑問に感じたことがありませんか?」

「なるほど、どういう基準で見分けるのかってことだね?」

「はい、その基準が分かれば判断しやすいし、それはそのまま良い人になれる羅針盤になるのではと思って」

「あー、わかるな、夏美はとにかく良い人になりたいんだね。夏美はずいぶん前に、夢の中でRPGの勇者になって活躍するはずだったんだものね。正義の味方みたいな」

「はい、光の勇者みたいな人になれるならば!

 だって、とりあえず単純にカッコいいじゃないですか」

「悪いドラゴンをやっつける正当性がある感じの。そうか、君は正義を追求するってことだね」

「そうですね、正しくて良くて素晴らしくて、誰からも認めてもらえて選んでもらえる、そしてゲームの中でも、最後に魔王を倒し、ハッピーエンドを迎える勇者なんです」

「ふふっ」

 と、ラインハルトが噴き出した。

 夏美は赤くなり、猛抗議する。

「ええ?やっぱりおかしいですか?もう、みんながみんな、そうやって笑うんですよね。

『そんな素直なおとぎばなしのRPGなんてイマドキ流行らない』とか、瑞季にもすごく馬鹿にされるんですよー!」

「ごめん、つい。

 この間は、頼もしい軍師さまになってくれそうな人なのかと思ったら、夏美がとてもまっすぐな勇者タイプみたいなことを言うので、ね」

「正当性のある、闇落ちしない、頼もしい軍師さまを目指します!」

「いや、夏美は主人公タイプなんだろうね。真っ当な。あ、そうだ!

 …やっぱりさ、こうなったらパソドブレでさ、君が後半から闘牛士風のステップを踏んで僕が牛になって、最後屠られた感じで僕がフロアに倒れて、寝そべってみようか」

「ライさんは、…えー、だって、パーティの主役なのに?」

「うん、最初はふつうに踊って、最後、サプライズ!どうかなぁ…?

 だってさ、遥も姫野もロマンチックなものばかり考えているからさ。それに、夏美もそんなカッコいいのをやりたがってたくせに」

「うーん、じゃ、とりあえず真面目なバージョンと2つ練習して、会場の空気を読んで、やってみます?」

「うん、ね、そういうの、ちょっとしたおふざけがあって良いと思うな。

 あー、つまり僕が何を言いたいかと言うと…多少の難点があっても、良い物は良い、みたいな。多少のおふざけがあっても良いみたいな。ここだってそうだよ。さっき、僕はクレープを焼きながら立ったままつまみ食いしてたり、絶対に婆やが見たら怒られる気がするけど、でも、そういうのもいいって言いたくて」

「はい。はい、そうなんですけど。

 でも、あのう…。例えば…遥がどうしてもロマンチックな雰囲気でまとめたい時に、台無しにはしたくないんです。

 誰かが…私の行為の上になにか期待とか夢とかを載せていたとしたら、責任がありますもん…」

「そうか、じゃ、第1部では、絶対にふざけないことにして。出し物OKの第3部で隙間時間があればやってみる?

 夏美は…何か他にもやるの?」

「えー?私は第3部では、ビュッフェ制覇です!あと、程よく休憩です!

 だって…第1部で、もう十分疲れそうですから」

「なんだ〜。何かやってくれればいいのに。

 …僕はいろいろ受けを取ろうと思っているよ。一個、内々のオーディションに落ちて、僕の出番が一個減ってしまったんだけどね」

「えー?、オーディションですか、厳しいんですねー」

「うん。うちのみんなは、そういうの真剣だから。花梨のピアノに負けたんだ。あっちはピアノの達人だから仕方がないんだけど…。結構頑張って練習したのに、ねじ伏せられて。

 あ、また話をずらしてしまった、ええと『天使さまの、食べられないミニドーナツ』の話だよね」

 2人共に目を見合わせて、つい同じように笑った。

 どうしてこう、自分たちの話は弾みつつ、簡単に横道にそれていくんだろう?


「どうやらそれはイメージだったみたい。でも、金属で出来ている古いイヤリングみたいなものだったのです。その輪っかの端っこがどこにあるのかって質問されたんです」

「ああ、それ…。

 なんとなくわかったぞ、君の質問は『善悪の判断をどうするのか、どうやって決めるのか』って言ったんだよね?

 もしかして、天使さまは、(みみがね)って言った?」

「え?そうです。みみがね、って。メモに書いてあります。

 すごい、ライさん、わかるんですか?

 なんで…わかるんですか?」

「ああ、実はね。僕、日本に留学する時に、かなり日本の文化を勉強したんだよ。もう、日本に帰化してしまいたくなる勢いでね。それ、高校レベルの社会分野の資料集に載っているやつだよね。

 僕は尊敬しているんだ、ええと、聖徳太子!」

「聖徳太子…?ええと、わかりません。…なんだっけ?飛鳥時代の天才の…?」

「うふふ、そうだよ。

 なんだか最近『聖徳太子は居なかった説』とか出てるから、日本ではあまり取り上げられてなくて、彼の人気や知名度も高くないんだってね。あんなすごい実績を残してるのに。

 でもとりあえず、僕はその歴史的に残っている、17条憲法の10番目の教訓は、とても良い話だと思うんだ。

 聖徳太子は、そこで(みみがね)の端っこが無いことをたとえにしている。

 善悪というか、是非だね、『それを誰がきちんと判定出来るだろうか』と反語で言っていて。つまり『いや誰も出来ないだろう』という意味になるらしいよ。

 自分たちは全員凡人なので、お互いに賢かったり馬鹿だったりして、それはもう輪っかの端っこが、どこなんだかわからないみたいに決められないと言っていたと思う」

「確か、聖徳太子はすごく頭が良い人だと聞いたのに、…」

「そんな人が自分も含めるようにして、全員凡人だと言われたんだと思うと、説得力があるよね。

 残した実績がとても一人では出来なかっただろうと評価されて、それで余計に聖徳太子の存在が不確かだという根拠になっているらしい。でも、とにかく17条の憲法は実在するわけだし、その憲法を書いた人は、確かに頭が良かったんだろうね。

 その10番目の教訓の中では、『人はみんながそれぞれの観点から見て物事を判断するから、意見の違う人に対して怒るな』とか、『自分一人が[何かわかった、それが絶対だ]と思っても、他の人との意見の調整を考えろ』とか、役人向けの心得が書いてある。

 うん、そうか、…ちょっと待って。

 その考え方は、タロットカードの『節制』に通ずる理念、と言えるかもしれない。

『節制』の天使さまは、異なるもの同士をそれぞれ受容しつつ、中庸を守るとか調和させるという意味を持つから」

「…そうですね、そんな一人だけ他の人よりも抜きん出て頭の良い人にそういう風に言われると、なんか納得してしまいますけど…。でも、やっぱり…調和とか言っても、なにか曖昧な感じで…」

「やっぱり…答えが欲しい?なにか明確な答えが」

「はい、あー…だって…だって…それは。答えがないみたいな…曖昧なものって、その時々でちょっとづつ言葉をずらしていけば、ごまかされてしまいそうな気がします。

 うーん、なんか大学で聞きかじっただけなんですけど。

 例えば、主観的なものを重視する説と客観的なものを重視する説が対立している時に、双方のいいとこ取りしようとしたみたいな《折衷説》が出てくるじゃないですか。だって…」


 だって、なんだろう、夏美はもどかしく思う。

 何を私はこだわっているんだろうと、思う。

 なんなんだろう、とても悲しい気持ちだ。救いのない気持ちだ。うやむやにされてはいけない気持ちだ。

 誰かの、そう、誰かの真面目な必死な思い…。それが無かったことにされてしまう。

『17条の憲法《10》』(筆者の意訳)


心の中の怒りを断ち、憤りの表情をあらわにすることもやめなさい。

他の人が自分と異なる判断をして行為したことに対して、怒ってはならない。

人はそれぞれ心があるから、大切に思うこともそれぞれで違う。

誰かがこの判断は正しいと思った時に、自分が正しくないと思うこともあるし、

自分がこの判断は正しいと思っている時に、誰かが正しくないと思うこともあるのだ。

自分こそが必ず聖人君子なわけではないし、相手が必ず愚かな者なわけでもない。

共に凡人なのである。

そもそも、これが良くてこれが悪いということを誰が正しく判断出来るというのか(誰も出来ない)。

誰も彼もが賢くて愚かである様は、まるで(丸い)耳環に端が無いのと同じである。

だから、もしも誰かが憤っていたら、自分が何か間違いをしたのかと考えてみなさい。

もしも、これこそは自分だけが閃き、確信があると思う時でも、みんなの意見に従って行動しなさい。


[2019年3月16日] 出来ますれば、読者の皆様にもっときちんとした物を読んでいただきたいと思いますが、ご参考になるかと思いまして現代語に意訳してみたのを掲載しました。

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